八重山諸島の貝塚遺跡から考古学では三つに区分している
有土器時代があって、無土器時代そして按司時代(八重山が最も栄えた時代)
有土器時代紀元前2000年~紀元前1300年(赤色土器時代と言う)
約800年の空白時代を経て
無土器時代は紀元前500年~紀元後12世紀
按司(すくー城)時代は12世紀後半~14世紀末頃
12世紀頃から、土器や鉄器なども使い始め、地域に支配者(按司)が起り
14世紀半頃には勢力を拡大し、島ごとに按司が支配していったと思われる
この時代の遺跡から数万点もの陶磁器、鉄器類など出土している
八重山の島々で、日本や中国と盛んに交易が行われていた証である
八重山は独立国として八重山の歴史の中で
最も栄えて輝いていた時代であったといわれている
14世紀末頃石垣島の大浜村を統治していたオヤケ アカハチ(遠弥計赤蜂)が
勢力を拡大し石垣島全島をほぼ統一していた
八重山は、1390年に初めて、琉球国に朝貢した
そのため緩やかな従属関係にあったが
1500年、琉球国の侵攻を受け八重山諸島は琉球国に支配される
そのきっかけは、オヤケ アカハチの乱である