尚氏第二王統初代尚円王は多くの事績を残し
1476年薨去、六十二歳 在位七年
世子尚真は十二歳で時期王として幼すぎると
重臣たちは、尚円の弟宣威を推挙した
1477年に琉球国中山王二代目に、弟宣威が即位した
伊是名時代から苦楽を共に助け合って来た
弟宣威は当時越来間切りを領地として越来王子と称していた
半年後宣威は新国王として即位した事を
神々に報告し神任を得る即位式に臨んだ
その最中に、ノロ(神職)が
「首里におはる てだこが おもい この遊び見もん、、、」と
尚真を讃える神託を下さったと告げた
これを聞いた宣威は神を恐れ、王位を退位した
在位わずか半年だった
尚円王の世子である尚真が王位を継承すべきと
異を唱えていた、尚真の母親王妃オギヤカが
神託を利用し陰謀と考えられている
王妃オギヤカは、ノロ(神女)の頂点に立つ
王の次に権力持つ存在だった
尚真は十二歳の時三代目国王に即位する