人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

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仲尾次盛隆【5】

2020年11月20日 00時00分15秒 | 日記

 政隆の尽力によって宮良橋は完成した

その時、島民は喜び盛隆を称え謡を作った

 

仲尾次主(シュー)ヌウ陰(カギ)ニ ~ 仲尾次様のお陰で

宮良(メーラ)大川(ウーガー)ヤ  ~ 宮良大川に

 

宝橋カキティ            ~ 宝のような橋が出来

見事(ミグトゥ)デムヌ       ~ 見事なようすです

 

宝橋上(ウイ)カラ         ~ 宝の橋の上から

通(カ)ユルヒトゥヤ        ~ 通う人々は

 

眼眉(ミマユ)打チ張(ハ)リティ ~ 目眉が生き生きとして

笑(ワラ)イフクイ        ~ 笑顔に満ちている。

以下略する 

 

また、頌徳碑と言う石碑も建っている

盛隆の赦免運動を官民上げて行い

 

嘆願書を王府に提出され終身流刑だったが

1865年に放免となった、実に11年の流刑で那覇泉崎に戻り

 

政隆は6年後1871年7月8日、65歳で永眠する

仲尾次政隆は信仰に基づく実績と活動は評価される

 

無期流刑の中にあっても、信仰は深められ

信仰者として社会実践は奇跡であると

 

伊波普猷は著書の中で述べている

コメント
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