DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

あの試合から30年(WBOジュニアライト級:1994年5月27日・その2)

2024年05月28日 05時48分45秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の昨日となる1994年5月27日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
WBOジュニアライト級戦(現スーパーフェザー級):
王者オスカー デラホーヤ(米)TKO3回38秒 挑戦者ジョルジオ カンパネラ(伊)

*この試合が行われる約3ヶ月前となる3月5日に、マイナー団体とはいえプロでの初の世界王座を獲得したデラホーヤ。初防衛戦の相手に、20戦全勝のイタリア人カンパネラを選びました。戦績だけを見ると、いかにも強豪に映るイタリア人ですが、その実力はせいぜい地域王座やインター王座の一歩手前程度のもの。デラホーヤの育ての親であるトップランク社の見事なマッチメーク力が光ります。

(デラホーヤの初防衛戦の相手を務めたカンパネラ)/ Photo: BoxRec

デラホーヤの圧勝が予想されていた試合ですが、試合開始早々、左フックの打ち合いで負けたデラホーヤがまさかのダウン。大波乱含みのスタートとなりました。しかもデラホーヤは、そのダウンからそれなりのダメージも被ってしまいました。

初回中盤になると、ようやく落ち着きを取り戻したデラホーヤ。その後は長く、早く、そして鋭い左ジャブを起点としたコンビネーションで試合をコントロールしていきます。2回終盤、コンビネーションでダウンを奪い返したデラホーヤ。しかしここでダウン後のライバルに2発(3発かな?)ものパンチを見舞うという反則行為を行ってしまいます。しかもあろうことにレフィリーはデラホーヤに注意を与えません。普通なら減点を科されてもおかしくない行為で、厳しいレフィリーなら失格負けを言い渡した事でしょう。

デラホーヤの悪行はこれで終わらず、同回終了後ゴング後に連打でダウンを追加。もちろんこの行為も反則です。自陣営に抱えられるようにしてコーナーに戻ったカンパネラ。しかし案の定、1分のインターバルで回復は出来ず。3回に2度のダウンを追加され万事休す。「臭い物に蓋をせよ」でしょうか、デラホーヤの行為はまったく咎められることなく試合は終わってしまいました。いくらスーパースターの卵とは言え、いただけませんな。

 

この試合は、昨日お届けした「ジョーンズ対テート」戦を含めた3大世界戦の一つとして行われています。もう一つの世界戦は、IBFライト級王者ラファエル ルエラス(米)の初防衛戦(ルエラスの3回TKO勝利)となります。

(将来性のある選手たちが揃い踏みした華やかな興行が実現!)/ Photo: Eye on the Ring

世界戦以外にも、後のIBFフライ級、スーパーフライ級王者ダニー ロメロ(米)や、WBAフェザー級王座を獲得するデリク ゲイナー(米)も出場するなど、後のスター選手たちが勢ぞろいと中々華やかな興行になりました。

驚くことに、ロメロは何とこの月の5日(日本で言う「子供の日」)にWBCの北米地域タイトルであるNABFフライ級王座を獲得したばかり!この日に初防衛戦を行っています。

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あの試合から30年(IBFミドル級:1994年5月27日・その1)

2024年05月27日 05時30分13秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の今日にあたる1994年5月27日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
IBFミドル級戦:
王者ロイ ジョーンズ(米)TKO2回30秒 挑戦者トーマス テート(米)

*この試合が行われたちょうど1年前、あのバーナード ホプキンス(米)と当時空位だったIBFミドル級王座を賭け対戦したジョーンズ。僅差の判定勝利を収め、自身初の世界王座を獲得しています。

その後1年の間に、3度の試合を行ったジョーンズ。しかし減量苦が囁かれていたジョーンズは、それらのすべての試合を一階級上のスーパーミドル級の無冠戦として行い、順調に白星(2KO)をその戦績に加えていました。

ロイのミドル級卒業試合の相手を務めた指名挑戦者でもあるテートは、29勝2敗の好戦績を持った実力者。1992年8月に当時のWBC王者だったジュリアン ジャクソン(バージン諸島)に挑戦し、フルラウンド戦い抜いたタフガイです。そんなテートを相手に、スーパーマン(ロイのこと)は圧倒的なパフォーマンスを披露する事になりました。

(タフガイとして知られていたテートでしたが...。)/ Photo: BoxRec

持ち前の体力を活かし、先手を取ろうとするテートは、試合開始のゴングと同時に攻勢を仕掛けます。しかしスピードと運動神経で圧倒的に上回るジョーンズは、まったくお構いなしに左右の多彩なパンチを当てまくっていきます。

2回、テートが前進を緩めたその瞬間、ロイの左フックが見事にヒットしテートがダウン。カウント内に立ち上がった挑戦者でしたが、テート陣営が降参を申し入れ試合終了。ジョーンズが会心のパフォーマンスを見せ、王座の防衛に成功。そしてターゲットを、一階級上のIBF王者ジェームス トニー(米)に絞る事になりました。

(ロイの左フックが見事に直撃)/ Photo: YouTube

30年以上に渡り、70戦以上のキャリアを築いたジョーンズ。数々の見事なKOシーンを演出しましたが、このテート戦での左フックはトップ5(トップ3かも)に間違いなく入るものと言っていいでしょう。

(試合後、雄たけびを上げるジョーンズ)/ Photo: Facebook

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あの試合から30年(バンタム級:1994年5月16日)

2024年05月16日 05時50分05秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の今日にあたる1994年5月16日、後楽園ホールで行われた試合結果です。
バンタム級戦(10回戦):
WBCフライ級王者勇利 アルバチャコフ(協栄)TKO9回40秒 小林 宏(角海老宝石)

*現役の世界王者が無冠戦に出場するという事は、現在(2024年)の日本のリングではもちろんのこと、1990年代前半にはすでに非常に珍しい事でした。そんな希少価値のある戦いが30年前に行われています。

次の試合で指名挑戦者との防衛戦を予定していた勇利。前年の師走に防衛戦を行っていましたが、試合感覚を鈍らせないために、1992年に日本王座を獲得した経験を持つ小林を相手にノンタイトル戦のリングに登場しました。

(現役の世界王者と無冠戦のリングで拳を交えた小林)/ Photo: 角海老宝石ボクシングジム

当初の予定ではジュニアバンタム級(現スーパーフライ級)のリミットで行われる予定だったこの試合。しかし意外にも世界王者が契約体重を作れず、一階級上のバンタム級リミットの試合として決行されました。

この試合をあくまで調整試合として位置付けていた世界王者と、「大物を食ってやろう!」と意気込む元日本王者の一戦。格下選手の奮闘もあり、見てる側からすると中々面白い試合でした。実際に8勝10敗1引き分けの元日本フライ級王者小林を相手に、少々余裕を持ちすぎた感のあったこの日の有利勇利。自ら好んでロープを背負って戦う場面が目立ちました。そんな勇利を相手に小林は、ねちっこい連打で現役の世界王者に肉薄していきます。

(現役の世界王者が無冠戦のリングに登場)/ Photo: TBSテレビ

打たれても、打たれても前進を続けた小林でしたが、やはり勇利との実力差は大きすぎました。最後は世界王者のアッパーを中心とした攻撃の前にダウン。自陣営からのタオル投入で救われた形となりました。

敗れたとはいえ、会場からはその勇気に大きな歓声を貰った小林。その後世界挑戦の機会はもちろん、日本王座への返り咲きもなりませんでした。しかし偉大なる世界王者の戦績にその名を留める事には成功しています。

ボクシングの興行の形態が大きく変化した今日この頃。選手としては実戦をどれだけ少なくし、その反面どれだけの大金を稼ぐかが焦点となっています。自らの肉体を酷使して試合を行うボクサーとしては当然の考え方と言っていいでしょう。しかし自分のようなオールドファッションにとり、世界王者でも無冠戦を含め定期的に試合を行っている姿を、もっともっと見てみたいというのが本音です。

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あの試合から30年(WBCヘビー級ほか:1994年5月6日)

2024年05月06日 05時50分36秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の今日にあたる1994年5月6日、米国ニュージャージー州で行われた試合結果です。
WBCヘビー級戦:
王者レノックス ルイス(英)TKO8回1分35秒 挑戦者フィル ジャクソン(米)

*一戦ごとに世界王者として安定度を増していたルイス。今回の3度目の防衛戦では、30勝1敗と好成績ながらも、実力的には明らかな格下ジャクソンを迎え行っています。

当時のルイスは知名度はそれなりにありましたが、観客集客能力はそれほど高くはありませんでした。2万人近くのキャパシティーを持つ会場を半分以下に区切って行われた興行ですが、客の入りは8割程度。まあ、ルイスのアメリカでの人気度もあるでしょうが、翌7日にラスベガスで5大世界戦が行われた煽りもあったでしょう。

(英国の誇りルイスがニュージャージー州のリングに登場)/ Photo: Wikipedia

実際の試合では、ルイスが初回早々に左ジャブからの右ストレートであっさりと先制のダウンを奪っています。早期決着も十分予想出来ましたが、ここから挑戦者が必死の頑張りを見せ王者に食らいついていきます。

(強豪ルイス相手に、最後まで必死に食らいついたジャクソン)/ Photo: Youtube

ルイスの表情からは「いつでも倒せる」という余裕が伺えました。実際に両者の実力差には大きな開きがあり、ルイスは5回、右、左、右のコンビネーションでダウンを追加しています。その回終了のゴング後にもおまけのダウンを奪っていますが、これは当然の如くダウンには数えられていません。

(余裕のボクシングを見せるルイス)/ Photo: Youtube

後のないジャクソンでしたが、ここでもチャレンジ精神を見せてくれます。196センチと、当時のヘビー級としては超大柄なルイスを相手に最後まで反撃を試みるジャクソン(ジャクソンは185センチ)。しかし如何せん相手が悪すぎました。8回、今度は接近戦の中でコンビネーションブローを被弾し3度目のダウン。それまでの試合の流れや挑戦者のダメージから、レフィリーは試合継続を許しませんでした。

(その強打でジャクソンに襲い掛かるルイス)/ Photo: Heavyweight Heroes-WordPress.com

全勝記録を25(21KO)に伸ばしたルイス。当面の対抗馬と思われていたイベンダー ホリフィールド(米)が半月前に王座から陥落してしまい、マイク タイソン(米)は檻の中。世界ランキングを見渡しても魅力的な対戦相手が見当たらない状況。当時のルイスの最大の敵は、自身のはモチベーションの維持という難敵が立ちはだかっていました。

奮戦むなしく撃退されたジャクソン。当時、「バスケの神様」と呼ばれたマイケル ジョーダン(米)が所属していたシカゴ・ブルズに同姓同名のプロバスケの名監督がいましたね。

(ジャクソン氏(左)と「バスケの神様」マイケル ジョーダン)/ Photo: Business Insider

 

WBCフェザー級戦:
王者ケビン ケリー(米)判定3対0(117-111、116-111、116-112)挑戦者ジェシー べナビデス(米)

*前年師走に、強豪グレゴリオ バルガス(メキシコ)を破り世界王座を獲得していたケリー。元WBOスーパーバンタム級王者べナビデスを迎え初防衛戦を行っています。

サウスポー(左構え)同士の一戦は、べナビデスが先制のダウンを奪う波乱の幕開けとなりました。しかし回を追うごとにペースアップしていったケリー。最終的には明白な判定で勝利をゲット。時折見せる不安定なボクシングは健在でしたが、王者としての威厳も備わりつつありました。

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あの試合から30年(WBCジュニアバンタム級:1994年5月4日)

2024年05月03日 05時20分06秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の明日となる1994年5月4日、横浜文化体育館で行われた試合結果です。
WBCジュニアバンタム級戦(現スーパーフライ級):
挑戦者川島 郭志(ヨネクラ)判定3対0(116-110、114-112、114-113)王者ホセ ルイス ブエノ(メキシコ)

アマチュアの高校チャンピオンとして、1988年に鳴り物入りでプロデビューを果たした川島。しかしプロ転向1年の間に、打たれ脆さを暴露し2度のKO/TKO負けを喫してしまいました。その後、自身の怪我もありましたが、プロ6年目にしてようやく世界の檜舞台にその雄姿を見せる事になりました。

川島を迎え撃ったブエノは、前年1993年11月に韓国のリングで文 成吉(韓国)を予想外の判定勝利で破り世界王座を獲得。しかし長期政権を築いていた文を破ったとはいえ、ブエノは実力的には3流の世界王者。文のコンディションがあまりにも悪すぎました。しかしそれを差し引いても、この日に川島が見せたパフォーマンスは、「素晴らしかった」と形容するしかありません。

初回から段違いのスピード差を見せつけてブエノを圧倒していった川島。少々向きに打ち合いに持って行った場面もありましたが、サウスポースタイル(左構え)から放つ右ジャブからのワン・ツーでメキシカンに付け入る隙を与えません。

(初回からブエノを圧倒した川島)/ Photo: Boxing News

ハイペースだった川島は4回あたりから、自らを抑えるようにペースダウンします。そして5回からは川島の真骨頂の一つであるフットワークを駆使し、ブエノを突き放していきます。いくつかの強みがある川島ですが、試合中に作戦を切り替える事が出来るのもその一つと言っていいでしょう。

6回にホールディングにより減点1を科されてしまった川島ですが、それが試合の流れに影響を及ぼすことはありませんでした。

回を追うごとに点数差を広げていった(と思われた)川島は11回終盤、左カウンターで王者からダウンを奪い試合を決定づけます。そのダウンの直後にゴングが鳴ってしまったため追い打ちをかけられませんでしたが、あと数秒あればストップに持ち込むことも可能だったでしょう。

(11回終了間際、試合を決定づけるダウンを奪った川島)/ Photo: 時事通信

世界初挑戦とは思えない落ち着いた、そして安定したボクシングで判定勝利を収めた川島。出された判定が予想以上に競っていたのには驚かされました。11回のダウンがなければ、2対0だったということになってしまいますね。判定、そして6回の減点と、少々川島には厳しい試合だったのではないでしょうか。まあ、問題なく新王者誕生となったため、結果オーライと言ったところでしょう。

雨天の横浜のリングで、日本ボクシング史上屈指の技師である川島が見事なボクシングを披露し世界王座を奪取。その試合が行われてからもう30年も経つんですね。

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あの試合から30年(WBCスーパーライト級ほか:1994年5月7日・その2)

2024年05月01日 05時43分31秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の6日後にあたる1994年5月7日、米国ネバダ州ラスベガスで行われた試合結果です。
WBCスーパーライト級戦:
前フリオ セサール チャベス(メキシコ)負傷判定8回2分57秒(2対1:77-74、76-75、75-76)王者フランキー ランドール(米)

*この年の1月に対戦している両雄。その時は伏兵ランドールが、チャベスから生涯初のダウンを奪うなどして判定勝利。「伝説のメキシカン」に初の黒星を与えました。その一戦から3ヶ月強。立場を入れ替えて対戦した両選手。ランドールに苦手意識を植え付けられてか、チャベスからは覇気が感じられず。結局はチャベスから見て幸運な負傷ストップによる判定結果、チャベスが王座への返り咲きを果たしています。

前年9月にパーネル ウィテカー(米)に喫した事実上の敗北(実際は引き分け)、1月のランドール戦での敗北、そしてこの試合での大苦戦。何とか勝利を収めたチャベスでしたが、彼の栄光が過去であることが鮮明となった一戦となってしまいました。

 

WBCスーパーウェルター級戦:
前王者テリー ノリス(米)判定3対0(119-109、117-111、116-112)王者サイモン ブラウン(米)

*前年1993年の師走に、メキシコのリングで拳を交えているノリスとブラウン。その時はブラウンがその強打を十二分に発揮し、無敵ノリスをKOしてしまいました。1993年の番狂わせの筆頭の一つでもあったその試合から4ヶ月半。今度はノリスが本来のシャープなボクシングを披露し、ブラウンを翻弄。数字以上の差をつけ王座への返り咲きを果たすと同時に、その実力がまだまだ衰えていない事を証明しました。

 

WBCミドル級戦:
王者ジェラルド マクラレン(米)KO初回1分23秒 前王者ジュリアン ジャクソン(バージン諸島)

*ちょうど1年前に対戦しているマクラレンとジャクソン。その時は火の出るような打ち合いの結果、マクラレンが5回で王座交代劇を演じています。その後2度の防衛戦を1ラウンドで終わらせているマクラレン。今回の再戦では、ジャクソンをもその軍門に下してしまいました。

 

WBCスーパーフェザー級戦:
挑戦者ジェシー ジェームス レイハ(米)判定3対0(117-109、117-110、114-113)王者アズマー ネルソン(ガーナ)

*前年9月に米国テキサス州で行われた「ウィテカー対チャベス」戦の前座で対戦しているレイハとネルソン。その時は格下と思われていたレイハが大奮闘し、歴戦の雄ネルソンと引き分けその評価を大いに上げています。

今回の再戦では、レイハがダウンを奪うなどして終始試合を有利に進め判定勝利。1980年代から大活躍してきたネルソンに引導を渡しています。

 

(30年前、ラスベガスで4つの再戦を含めた5大世界戦が行われました)/ Photo: KO Fight Posters

30年前のラスベガスで、先日お届けしたリカルド ロペス(メキシコ)とケルミン グアルディア(コロンビア)によるWBCストロー級(現ミニマム級)を含めた5つの世界戦が同時開催されました。上記のポスターを見てわかるように、最軽量級戦には両者の写真はありません。それだけ注目度も認知度も低かったということですね。

また、ロペスが出場した時間帯は、前座の中の前座試合。試合会場も3割程度して埋まっていないガラガラ状態。いくら軽量級軽視の大米国とはいえ、出場する選手が可哀そうです。

またこの日、リングアナウンサーを務めたジミー レノン ジュニア氏が体調不良のためか、喉を傷められており、ガラガラの声で司会を務めていました。もう一人の売れっ子リングアナウンサーであるマイケル バッファー氏は、前日6日に東海岸のニュージャージー州の興行に出場しており、レノン氏の代役を務める事は出来ませんでした。

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あの試合から30年(WBCストロー級ほか:1994年5月7日・その1)

2024年04月30日 05時23分49秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の一週間後にあたる1994年5月7日、米国ネバダ州ラスベガスで行われた試合結果です。
WBCストロー級戦(現ミニマム級):
王者リカルド ロペス(メキシコ)判定3対0(119-109、117-110x2)挑戦者ケルミン グアルディア(コロンビア)

*52度プロのリングに上がり、51勝(38KO)1引き分けという素晴らしい戦績を残したロペス。このグアルディアを迎えて行った10度目の防衛戦が、そのほぼ完全なるキャリアの中で一番の苦戦した試合だったのではないでしょうか。

(最軽量級の帝王ロペスを大いに苦しめたグアルディア)/ Photo: BoxRec

当時、「ロペスはサウスポー(左構え)が苦手」という声がよく聞かれました。しかし実際には苦手以前に、サウスポーとの対戦が少なかったため、サウスポーに慣れていなかったというのが妥当でしょうね。

21戦全勝の指名挑戦者グアルディアは、その戦績に反することなくキビキビとしたボクシングを展開する好選手。2回にはサウスポーのワン・ツーからの返しの右フックで、ロペスをバタつかせています。

ロペスには珍しく、パンチの被弾率がそれなりにあり、また自身のパンチが空振りするというフラストレーションが溜まる試合展開が続きます。

そんな中でも好バランスを保ち、辛抱強くボクシングを展開。終盤戦からは挑戦者が疲れを見せるなど、何とか自分のペースに持っていくことに成功しました。

採点結果は大差でロペスが支持されていましたが、多くのラウンドは「どちらかと言えばロペス」というものが続きました。

後半戦ではロペスが右のロングフックを投げるように放つなど、「らしくない」荒っぽいボクシングを展開。右目下を腫らすなど、最後の最後までロペスらしくない試合に終始してしまいました。この試合がロペスにとり、ボクシングの聖地ラスベガスでのデビュー戦に加え、大手ドン キング プロモーションでの初陣戦でもありました。しかし試合内容としては、合格点スレスレと言ったところでしょう。

1987年以降に各団体が新設したストロー級。階級の呼称は各団体で違っており、WBCはストロー級、WBAはミニマム級、そしてIBFはミニフライ級でした。

それまでに同級で二桁防衛が達成されたことが無く、ロペスが最軽量級に新たな1ページを刻むことになりました。苦戦したとはいえ10連続防衛に成功したロペス。ここからどんどんと成長していくのですから、まったくもって恐れ入ります。

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意見番(04‐29‐24)

2024年04月29日 05時52分38秒 | ボクシングネタ、その他雑談

*一週間後に迫ったこの大イベント。メインである「井上兄対ネリ」戦より、他の3つの世界戦の方が試合的には期待できるのではないでしょうか。

この東京ドームでの興行、世界が注目する選手が出場する試合が組み込まれています。しかし同じ時期に、もっともっと注目に値する試合が予定されているのですがね...。

Photo: Amazon.co.jp

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あの試合から30年(IBFジュニアライト級ほか:1994年4月22日・その2)

2024年04月23日 05時27分55秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の昨日にあたる1994年4月22日、米国ネバダ州ラスベガスで行われた試合結果です。
IBFジュニアライト級戦(現スーパーフェザー級):
王者ジョンジョン モリナ(プエルトリコ)判定3対0(118-110x2、117-112)挑戦者グレゴリオ バルガス(メキシコ)

*「ホリフィールド対モーラー」戦をメインとした興行で、中量級の好カードが実現しました。これまでに3度スーパーフェザー級王座を獲得してきたモリナが、当時評価が高かった前WBCフェザー級王者バルガスを迎え5度目の防衛戦を行っています。

打ち合い好きな両選手に加え、「プエルトリコ対メキシコ」というファン待望のライバル国出身者同士による一戦。「どれだけの激戦になるのか!?」と大きな期待が寄せられていました。しかし蓋を開けてみるとモリナが試合巧者ぶりを発揮し、バルガスの強打はフルラウンドに渡り空回りする事に。モリナが予想外の大差の判定勝利を収め、防衛記録を伸ばしています。

 

(強豪バルガスを相手に、安定したボクシングを見せつけたモリナ)/ Photo: Pinterest

強豪バルガスを退けたモリナは、この試合後も長らく世界のトップ戦線で戦い続けます。専門家の間ではそれなりの評価を受けていた選手ですが、もっともっとその実力を評価されていい選手だったでしょう。

 

WBAバンタム級戦:
挑戦者ジョン マイケル ジョンソン(米)TKO11回1分21秒 王者ジュニア ジョーンズ(米)

*多くの世界戦が予定されていた30年前のこの時期、軽量級の世界戦で番狂わせが起こりました。「ポイズン=毒針」の異名を持つジョーンズは、前年1993年10月にWBAバンタム級王座を獲得し、この年の1月には早くも初防衛に成功しています。その鋭く長い左ジャブと、恵まれた体格から小型トーマス ハーンズ(米)として期待された、当時のスーパースター候補生の一人として挙げられていました。

ジョーンズの2度目の防衛戦に選ばれたジョンソンは、一階級下のスーパーフライ級の選手で17勝4敗の戦績の持ち主。レコードが表すように、それほど悪い選手ではありません。しかしこれといった武器を持たず、まとまりはあるものの、地味な選手という印象です。

1989年8月に4回戦で対戦している両者。その時はジョーンズが判定勝利を収め、順当にプロキャリアを形成しつつありました。4年半ぶりに再び拳を交えた両雄。世界王者としての威厳というのでしょうか、ジョーンズが鋭い左ジャブと、左右のボディー攻撃でジョンソンを圧倒していきます。

軽量級離れした豪快なボクシングを展開するジョーンズに対し、ジョンソンは固いガードから左右の細かいパンチという手堅いボクシングで対抗。簡単にジョーンズにペースを許すことはありません。

一進一退の攻防が続く中、中盤4回に大きな分岐点が訪れます。大振りのジョーンズのボクシングに順応した挑戦者は、右の打ち合いを制しダウンを奪います。元々耐久力に疑問符が持たれていたジョーンズは、足元がふらつき大ピンチに立たされてしまいます。

中盤以降も両者が激しいパンチの交換を続けますが、ジョンソンが要所要所で明確なパンチを当てジョーンズを追い込んでいきます。迎えた11回、プッシュ気味のパンチながらも2度目のダウンを奪ったジョンソン。試合再開後、王者に連打を見舞ったところでレフィリーストップを呼び込む事に成功。少々早いストップに見えましたが、世界的には無名だったジョンソンが世界の頂点に立つこととなりました。

(番狂わせの主人公ジョンソン)/ Photo: San Antonio Express-News

辰吉 丈一郎(大阪帝拳)の対抗馬として、日本のボクシング誌にもたびたび登場していたジョーンズ。思わぬ形で王座から転落すると同時に、プロ初黒星を喫してしまいました。 

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あの試合から30年(2団体ヘビー級:1994年4月22日・その1)

2024年04月22日 05時42分10秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の今日にあたる1994年4月22日、米国ネバダ州ラスベガスで行われた試合結果です。
2団体ヘビー級戦:
挑戦者マイケル モーラー(米)判定2対0(116-112、115-113、114-114)IBF/WBA王者イベンダー ホリフィールド(米)

*この試合が行われる前年1993年11月、宿敵リディック ボウ(米)に僅差の判定勝利を収め世界ヘビー級王者に返り咲いたホリフィールド。当時、世界ヘビー級王座から転落し、再び世界のベルトを腰に巻くことは非常に稀な事でした。ホリフィールドはフロイド パターソン(米)、モハメド アリ(米)、そしてティム ウィザスプーン(米)に続く僅か4人目という偉業を達成したことになっています。

王座に返り咲いたホリフィールドが迎えたモーラーは、これまでにマイナー団体WBOのライトヘビー級とヘビー級を獲得してきた選手。ライトヘビー級時代には、9度の防衛戦をすべて規定ラウンド内で終わらせてきた(KO/TKO)強打者でした。ヘビー級に転向後は、対格差のアドバンテージが無くなったため、強打に加え技術力もアップ。最重量級に転向後も、積極的に強豪選手たちと拳を交え、全勝記録を35(30KO)に伸ばしていました。

(世界ヘビー級王座に返り咲いたホリフィールド(右)が、サウスポーのモーラーを迎えた一戦)/ Photo: KO Fight Posters

現在はオレクサンデル ウシク(ウクライナ)をはじめ、優秀なサウスポー(左構え)の選手が存在する最重量級。しかし30年前までは、長いヘビー級史上サウスポーの世界王者は存在しませんでした。ジョー フレージャー(米)は左利きでしたが、リング上ではオーソドックス(右構え)で戦っていました。ロッキー バルボア(米)は、アポロ クリード(米)を破り世界のベルトを腰に巻くことに成功しましたが、それは映画の話。そしてサウスポーの世界王者が存在しないに加え、左構えの選手自体希少価値のある存在でした。

(世界ヘビー級史上初(!)のサウスポーチャンピオン ロッキー バルボア)/ Photo: Wikipedia

2階級下のライトヘビー級から乗り込んできたモーラーは、そのサウスポーの選手。ホリフィールドにはプロ、アマを通じて長いキャリアがありましたが、サウスポー選手との対戦となると実に8年ぶりの事。苦手云々以前に、サウスポーとの対戦経験が乏しいというのがどうしてもディスアドバンテージとなってしまいます。

案の定、右構えの選手との対戦時と比べ、どことなくやりづらそうなこの日のホリフィールド。それでも2回、右ショートからの左フックで先制のダウンを奪っています。

(あっさりとダウンを奪ったホリフィールドでしたが...。)/ Photo: BoxRec

序盤戦でホリフィールドがダウンを奪い、モーラーは打たれ脆さで知られた選手。このまま王者がペースを握り、あるいは「早い段階でのKO/TKO勝利もあるのでは?」とさえ思わせるような試合展開になる予感がしました。しかしその予感は大きく外れる事となります。

(攻勢を取るも、中々波に乗れないホリフィールド)/ Photo: the Fight City

中々波に乗れないホリフィールド。体は引き締まっており、普段通りの筋肉で覆われた上体もいつも以上に逞しく見えました。しかしコンディション調整に失敗したのか(オーバーワーク?)、足に全くと言っていいほど力が入っていません。得意のコンビネーションも続かず、バランスの良い選手として知られるホリフィールドが何度もバランスを崩す場面がありました。

この日のホリフィールドは、コンディション云々以前に、元気がありませんでした。ボウとの2連戦を境に、髪の毛の薄さも目立つようになります。また、この試合後に心臓に問題があることが発覚し、「健康状態が悪いのでは?」と危惧されるニュースが飛び交うのもこの時期からです。

不調のホリフィールドを尻目に、モーラーはシャープな右ジャブを丁寧に突き続け、マイペースながらも試合の流れを完全に把握。最後まで安定したボクシングを披露し、僅差の判定ながらも明白な勝利を収め王座奪取に成功。同時に、ヘビー級史上初のサウスポーの世界王者としてそんなを歴史に刻むことになりました。

(丁寧な右ジャブで、ホリフィールドを破ったモーラー)/ Photo: Facebook

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