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「お花見」の経済波及効果

2018年03月27日 | 社会・経済

中国人観光客を締め出しても、「日本の花見文化」が守れない理由

   ITmedia ビジネスONLiNE  2018/03/27 [窪田順生ITmedia]

   桜が咲いたとか、いやまだ咲かない、なんてニュースが連日報じられているなかで、日本経済を左右するような驚愕(きょうがく)の調査結果が出たことをご存じだろうか。

 これまであまり真剣に論じられることがなかった「お花見」の経済波及効果、つまり「サクラノミクス」とでもいうべきものが、実は東京五輪開催に匹敵するほどの、6517億円というすさまじいポテンシャルを有していることが明らかになったのだ。

 これは関西大学・宮本勝浩名誉教授が初めて算出したもので、内訳としては、日本人約6000万人が出掛け、飲食や交通費などで1人当たり4000円を支出し、訪日外国人361万人も「花見観光」をして1日当たり1万6914円を支出すると想定した総額3017億3154万円に波及効果を加えたものらしい。

 よく「五輪を日本経済復活の起爆剤に!」みたいなことを主張するおじさんたちが引き合いに出す「2~3兆円」という経済効果は実は大半は建設バブル。そういう東京限定のハコモノ消費を差っ引いて考えれば、確かに全国津々浦々、老若男女が参加する春の最強イベント「お花見」の方に軍配があがる、というのは容易に想像できよう。

 「よし、そういうことなら日本経済のためにじゃんじゃん飲むぞ!」と張り切って、朝から場所取りをされる方もいらっしゃると思うのだが、実このサクラノミクスには1つ大きな不安材料がある。

 それは「中国人観光客」である。

●サクラノミクスにブレーキをかける「被害者意識」

 なんてことを聞くと、「分かるわ~、あいつら桜の枝を折るわ、ごみを捨てるわとやりたい放題だもんな。心置きなく花見を楽しめるようにマジで入国禁止にして欲しいわ」と大きくうなずいている方もかなり多いだろうが、筆者が言いたいのはそういう話ではない。

 むしろ、そのように花見に訪れる中国人観光客へ向けられる敵意というか、「文化を侵害された」という被害者意識が、サクラノミクスにブレーキをかけてしまう、ということを申し上げたいのだ。

 「ナンチャラ反対!」と声をあげてデモや抗議をしている方たちの主張に耳を傾ければよく分かるように、「被害者意識」は強い排他性・攻撃性に結び付く。(この人は誰をさしてこのようなことを言っているのか?せっかくの論文も台無しだ。ヘイトデモをさすなら理解できるが、一般的な抗議、デモを「被害者意識」と捉える思考もまた大いに問題だ。ーmooru
 
今のように、「中国人観光客から日本が誇るお花見文化を守れ!」という「被害者意識」が強まっていけば、その攻撃性が誰へ向けられるのかというのは自明の理である。

 そんなもん、人様の国にやってきて勝手なことをするあっちが悪いんだからしょうがないだろ、というのが大多数の日本人の感覚だが、外国人観光客側の目線に立てば、これほど理不尽な話はない。

 例えば、なぜ今の時期に中国人観光客が大挙して日本を訪れるのかというと、「日本の桜もわれわれ中国人民のものね」という侵略者のような感覚からではなく、ごくシンプルに日本側が「桜を見に来てね」と誘ったからだ。

 「桜の歴史から花見文化、桜を見ながらの露天風呂、桜餅など、『桜と日本人とのストーリー性を持たせた日本の桜』をテーマに、中国市場や台湾市場を始めとした海外主要国においてプロモーションを実施してきた結果、既に『日本への観桜ツアー』が各国で定着している」(国土交通省「平成25年度観光の動向」より)

 「来てください」と何年にもわたってしつこく誘われたから試しに来てあげたら、行く先々で憎しみの目を向けられ、「お前らはわれわれの文化を壊すためにやってきたのか!」と言いがかりをつけられる。もしご自分がどこかの国でそんな目にあったらどうだろう。帰国をしたら会う人、会う人に「外国人に冷たくて、ロクでもない国だったよ」と悪口を言いまくるのではないか。

 つまり、「悪事千里を走る」のことわざの通り、日本で味わった「お花見トラブル」がSNSなどで拡散され、サクラノミクスはおろか、日本のインバウンド自体もマイナス影響が出る恐れがあるのだ。

●中国人観光客という「新・消費者」

 「中国人なんかに来てもらわなくても日本の花見文化は安泰だ」「そっちの方が観光地が静かになってありがたい」という声が聞こえてきそうだが、残念ながらそれは「日本は神の国だから戦争に負けない」と同じで、ナショナリズムとしては十分理解できるが、現実から目を背けていると言わざるを得ない。

 今回、試算をした宮本氏が、「訪日外国人にも花見が評価されているので当分は増えるだろう」(夕刊フジ3月22日)と未来予測をたてたことからも分かるように、もはや日本経済はインバウンドなくしては成り立たない。「いや、そこは日本人の勤勉さと世界に誇る技術でカバーするさ」と口をとがらせる人もいるが、それは竹やりでB-29に挑むのと同じくらいむちゃなロジックだ。

 ロボットも人工知能(AI)もバイオテクノロジーもどんなに進歩したところで、レストランでメシを食い、店でモノを買って、ホテルに泊まるという「消費者」を生み出すことはできないからだ。人口がフリーフォールのように激減し、年を追うごとに消費者も姿を消していくこの国で、地域経済が生き残っていくにはどうすればいいかをということを冷静に考えれば、外の世界から「新・消費者」を引っ張ってくるしかないのは明らかだ。

 もうお分かりだろう。それこそがサクラノミクスにおける「中国人観光客」なのだ。

 納得できないという愛国心あふれる方も多いかもしれないが、実はそういう方たちが大好きな「古き良き日本人」も、「花見」のように観光名所に集う消費者相手の商売が「内向き」になるとロクなことにならない、ということをよく知っていた。

 それがよく分かるのが、「花見酒」という落語だ。

 2人の男がひともうけするため、向島で花見客に酒を売ろうとした。酒樽を運ぶ途中、休憩をしていたら、1人が相方に金を払って酒を1杯飲んだ。程なく、相方も酒が飲みたくなり金を払って1杯やった。休憩のたびにそんなことを繰り返しているうちに、向島に着いた頃には酒樽はすっかりカラになっていた。といっても、ただ単に互いに払い合っただけなのでもうけはゼロ――という笑い話である。

●「花見酒の経済」の負のスパイラル

 やはり先人の知恵は偉大というか、実はこの落語、「観光」や「伝統文化」にまつわる経済活動が抱えている問題点を、これ以上ないほど分かりやすく説いている。

 サービスの供給者も客も日本人だけなので、年を追うごとに減少してじわじわと疲弊していく。もうけも減るので、インフラや施設への投資も促進されず、サービスの質も落ちていく、という「花見酒の経済」にありがちな負のスパイラルに陥る。そして最悪、これまで守ってきた「観光資源」や「伝統文化」も維持できなくなってしまう。

 過疎化が進むムラに、どんなに素晴らしい伝統的な技術や文化があったとしても、そのムラに後継者がいなくなればその技術や文化が滅んでしまうのと同じ理屈だ。

 なんてことを言うと必ずといっていいほど、「いくら金のためとはいえ、自国民が苦しみ、その文化に敬意を払わないような連中をもてなすのは間違っている」とか言い出す人もいるが、もしわれわれがそういう主張をしていることを耳にしたら「よく言うよ」と失笑する人たちが実は世界中には大勢いる。

 日本国内のメディアの情報ばかりをみていると、「中国人観光客」のように傍若無人で、いく先々でトラブル続発の迷惑な人たちなど前代未聞のような印象を受けるだろうが、実はかつてもっとすさまじい人々がいた。

 「日本人観光客」である。

●迷惑を掛けていた日本人観光客

 詳しくは、過去記事を読んでいただきたいが、実はアジア圏における「元祖・迷惑外国人観光客」といえば、われわれ日本人だったのだ。

 ブランドショップで女子大生が「爆買い」し、遺跡や教会に平気で落書きした。ざんげをしている人にフラッシュを浴びせて神父さんに怒られる人や、交通機関に並ぶ地元民の列に横入りして、札束で「いい席にしてくれ」と交渉する農協のツアー客みたいな人もよくいた。

 今でこそ日本人がわがもの顔で英語を話さずとも遊べると人気のハワイでは、日本企業がワイキキあたりの不動産を「爆買い」した。そのすさまじい勢いに、当時の市長が本気で「このままではハワイは日本に乗っ取られる」と心配したほどだ。先住民からも「日本人はもう来るな」という怒りの声が上がった。先祖代々の聖地に日本のツアー客がズカズカと入りこんで好き勝手やったからだ。反対運動も起きて、日本人観光客をどうすべきか、という国際会議が開かれたこともある。

 ジャパンマネーの強さを武器に、まるで国内観光のようなノリで世界を駆け巡る。そんな日本人観光客のやりたい放題を『TIME』誌では、「世界の観光地を荒らすニュー・バーバリアンたち」と特集した。

 こういう耳の痛い話をされると、ほとんどの日本人は「まだ海外旅行に慣れてなかったんだ」と言い訳をするが、実はいま、日本のメディアが鬼の首をとったかのように大々的に取り上げる「迷惑な中国人観光客」という問題も、その一言で解決できる。

 かつて野蛮人扱いされながらも徐々に外国人観光客としての立ち振る舞いが身に付いたわれわれのように、中国人観光客も、海外旅行の機会が増えて、異国文化に対する理解が深まれば当然、立ち振る舞いも変わっていく。つまり、日本における中国人観光客のマナー問題というのは、その数が増えていけばいくほど解決されていくものなのだ。

●日本人の花見も「乱痴気」だった

 いや、日本人と中国人では「民度」が……とか言い出す人もいるが、「日本人は行儀が良くて、奥ゆかしい」みたいなセルフイメージはせいぜいこの20年くらいでつくられたものにすぎない。むしろ、ハメを外す時は周囲がドン引きするくらい暴走をする、というのが日本人の伝統なのだ。

その象徴が実は「花見」だ。1899年(明治32年)から1914年(大正3年)まで中国・長江に滞在していた帝国海軍・桂頼三の『長江十年:支那物語』のなかで、中国で「飲む、食ふ、歌ふ、三昧や太鼓の楽隊入りの大騒ぎ、果ては踊る、舞ふ、跳る」という「日本式花見」をおこなう日本人たちの「乱痴気」や「狂ひ廻はる有様」を、支那人や西洋人が珍しそうに眺めていたと記述してこのように述べている。

 「世界人種の展覧會場たる上海の地に於て、斯く迄に無遠慮なる誤發展には、流石に吾人も少々赤面の至りである。蔭ではあたりまえとすることでも、人の見る前でははづかしいこともあるからなあ」(P147)

 いまの日本人は「花見」を「世界に誇る」みたいにやたらと美化したがるが、この当時は、異文化の人たちから見ると明らかに「異常な乱痴気騒ぎ」だったのだ。


 夕方見に行くと出始めていました。白樺樹液です。