世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

守護天使

2016-09-30 04:13:36 | 霧の風景


カルロ・ドルチ、17世紀イタリア、バロック。

イエスと同じような運命を味わった天使は多い。というより、イエスを殺してからというもの、人間は自分の罪を恐れて、ほとんどの天使をつぶすようになったのだ。自分の方が正しいのだと思うほうが、楽だったからだ。それは霊魂の進化の過程において、人間存在が必ず陥る誤謬である。
だがいつまでも同じことを繰り返しているわけにはいかない。人間も魂が成長し、自分というものがわかってくる。幻を着て肥大していた自分の愚かな姿に耐えられなくなる。
真実の自分を正直に生きるほうが、ずっと幸せなのだということに気付く。
われわれは暗闇の中を君たちとともに歩いてきた。
君たちを愛する神の心の実行者の一つとして、使命を果たしてきた。
君たちはその愛の真実を認めるのが恐ろしいばかりに、最後の天使を大勢で殺そうとした。だがそれは果たせなかった。
なぜなら愛というものは、決して滅びないからだ。
迷いと暴虐の月日の末に、君たちはとうとう、たったひとかけらの愛に敗れたのである。
われわれは天使存在という。人間よりもはるかに進化した自己存在である。だがそれは人間を超えているがゆえに人間を見捨てていくというものではない。自己存在というものは、常に愛を発揮するものだ。愛を必要とするもののために。
われわれは苦難を乗り越えてきた。様々な侮辱を味わってきたが、それでも人間のもとを離れなかった。そしてこれからも、君たちとともに生きていくことを、君たちに提案している。
それを拒否するか受け入れるかは、君たちの判断である。
だが、たとえ君たちが拒否しようとも、われわれは何かの方法を見つけ、君たちとともに生きようとするだろう。それが愛というものだ。しかしわれわれは、これ以上、君たちとともにいるわれわれの苦しみが増えないことを望む。
ともに生きていけるかね。
差し伸べる手を受け入れてくれるなら、ともに生きていこう。
われわれは天使存在。
君たちの目指す天国のありかを知っている。






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リフレクション、晩秋

2016-09-29 04:13:58 | 霧の風景


チャールズ・ハリー・イートン、19世紀アメリカ、トーナリズム。

もうそろそろ秋が深まってくる。月がきれいだ。心が静かになってくるね。
白い月にはあの人の面影がこめられている。あの人はあのように、静かに笑う人だった。伝わらない心に苦しんでいると、ふと何かが変わって、すべてがなくなってしまう。愛に変わってゆく。つらいことはあった。だけどもう何もいらない。
女とは、そういうものなのだ。
男のように、計算ずくの世界では生きられない。どんなことがあっても、自分の中から消えない愛に、女はいつも負けてしまうのだ。
恨んでなどいないと言って、笑って消えていく。愛しても、決して愛してはくれない男を許すために、彼女らは新しい明日に向かっていくのだ。すると男には、彼女らの心が見えなくなる。それなのにあまりにも美しい。なぜそんなに美しいのかと、男は女を追いかけたくなるのだ。
もう行こう。君たちももう十分に苦しんだ。
いなくなった愛は戻ってはこない。だが、君たちのもとに残ってくれる愛はある。それを大切にしていきなさい。
未来の使命を果たすために、今の自分をゆっくりと生きていこう。愛している。
心より愛している。
もう霧は晴れた。新しい風景が見える。いきなさい。
真実を見る目には、必ず行くところが見える。
そこを目指していきなさい。






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キリストの降誕

2016-09-28 04:16:22 | 霧の風景


アーサー・ヒューズ、19世紀イギリス、ラファエル前派。

小さな人間の女がひとりの子供を産んだ。その周りで天使たちが呆然と天を仰いでいる。天使たちは子供の運命を知っているのだ。
その子は約束を果たさねばならない。遠い過去に自分がまいた種を刈り取るために、そのものは生まれてきたのだ。
母親は子に人生を与えたことを後悔しているかのようにうつむいている。その頭上には神を見つめる天使の顔がある。
君たちはこのように、いつかイエスになる。そしてイエスと同じことを学ばねばならない。
恐れてはならない。自分というものは、いつか必ずそれができるものになるというものだと思いなさい。イエスは必ず君たちを見ているだろう。そして試練を乗り越えた君たちを抱きしめるために、手をうずうずと広げているだろう。
愛しているという心を伝えるために、やってきたことのすべてが無駄ではなかったとわかる日が、必ず来ることを信じて、彼は今も君たちとともにいるのだ。






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祝福するキリスト

2016-09-27 04:18:03 | 霧の風景


シモーネ・マルティーニ、14世紀イタリア、ゴシック。

彼をむごく侮辱して殺した罪から逃れるために、君たちは彼を神にしてあがめるようになった。今日イエス・キリストを知らない人間はほとんどいない。彼の記憶は永遠に人類の脳に刻まれる。忘れることなどできるはずがない。あれは、愚かだった人間のやった、愛への最大の侮辱なのだ。
どんな激しい侮辱にも耐えて、それでも愛してくれる愛を、君たちは彼に求めた。イエスは悲しいと思いながら、それをよしとして受け入れた。だが神になることは拒否した。彼を神にして永遠にあがめていくことだけでは、人間は自分のやったことが永遠にわからないからだ。
乗り越えていこう、と彼は言う。君たちにはそれができるのだ。ともに歩いてあげよう。決して見捨てたりはしない。わたしは君たちの未来を祝福する。
愛している。






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荊冠のキリスト

2016-09-26 04:13:42 | 霧の風景


ヒエロニムス・ボス、16世紀ネーデルラント、北方ルネサンス。

君たちは荊で冠を作り、彼にかぶせて嘲笑した。本当に偉い人間に対してすることではない。彼は黙って耐えていた。心を平静にして、怒りに自分を壊さないように律していた。もはや自分を救ってくれるものはいない。どんな侮辱にも耐えねばならない。愚昧の暗黒の中を、彼は罪びとのように引きずり回されることを覚悟した。
人間は嫉妬しているのだ。あまりにも自分が苦しいからだ。自分よりもきれいに見える人間が憎くてたまらないのだ。それはわかっていた。もどかしいと思う気持ちも消えていた。絶望が彼を支配しようとしていたが、希望を捨ててはいなかった。死ななければならない運命の向こうに、何とか人間の未来を描こうとしていた。
彼は君たちを愛していたのだ。
ゆえに君たちもこういう目に会わなければならない。心より愛し、よき方向に導いてやろうと心を尽くしている者たちによって、むごい侮辱を受けねばならない。
君たちはそういうことをしたのだ。






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キリストの鞭打ち

2016-09-25 04:14:19 | 霧の風景


チマブーエ、13世紀イタリア、ゴシック。

君たちは彼を鞭で打った。罪人のように這いつくばらせ、全員で鞭打った。彼は痛いと言わなかった。ただ君たちの無情に耐えていた。もうどんなに反抗しても無駄だということがわかったからだ。嫉妬に狂った馬鹿の集団ほど怖いものはない。どんなに正しいものでも、その暗黒の前には滅びていかざるを得ないことがある。彼はもう自分の運命を覚悟していた。
君たちはこの図を他人事のように考えてはならない。これはいつか必ず、人類が取り組まねばならない課題なのだ。いつまでも君たちも馬鹿なものではない。勉強を積み、いつかイエスのように賢く高くなる。そしてそのとき、君たちは、自分たちよりずっと進化の遅れた人間たちによって、こういう目にあわされなければならないのだ。
君たちは、こういう未来を、自分たちのために作ってしまったのだ。この課題を、君たちは必ず果たさねばならない。






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磔刑

2016-09-24 04:13:13 | 霧の風景


ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ、14世紀イタリア、ゴシック。

苦しいね。だがそろそろ終わりが近い。もう少し我慢しなさい。
これは人類の罪の象徴である。幾多の画家がこの図を描いているが、古い時代のものの方が記憶が生々しく表れている。現実に起こったことに近い。
実際に起こったことは、聖書に書かれてあることとは若干違う。君たちは、聖人君子に嫉妬して、集団で暴力をふるい、彼を殺したのだ。裁判はあったが、磔刑の判決はなかった。彼は刑死したのではなく、大勢の人間の暴力に殺されたのだ。暴力に興奮しているときは夢中だったが、彼が死んだことがわかると、君たちははっと冷静になった。そして愛していたことを知った。それがあまりに苦しかったので、君たちは彼の死体を侮辱し、着ているものをはいで裸体を馬鹿にした上、十字架に釘づけたのだよ。
それがあの時、君たちのしたことだ。
逃げてはいけない。これをこれから、君たちは支払わねばならないのだ。それは君たちもまた、こういう目に会わなければならないということなのだ。
イエスが生きて使命を果たしていれば、君たちはこういうことにならずにすんだ。かのじょは地球を去らずに済み、君たちは順調に進化の段階をあがったろう。イエスを殺したことで、君たちは人類全体を馬鹿にしたことになったのだ。
正しいものは滅ぶ、生き残るのは馬鹿ばかりだという傾向がこの世界にできたのは、この事件があってからだ。世間の常識のように言われていることだが、それは本当はおかしいことなのだよ。
考え直さねばならない時がきた。少しずつ、見直していこう。






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雨の日

2016-09-23 04:13:49 | 霧の風景


ジェシー・ウィルコックス・スミス、20世紀アメリカ、イラストレーション黄金時代、女流。

また休もうか。虚栄と権力に溺れる人間の醜い姿ばかり見ていると、疲れるだろう。
何も知らなかった子供の時代に帰ろう。雨が降って外で遊べない日は、母が本を読んでくれた。暖かな思い出だ。
あの頃はまだ、自分が馬鹿なことをして、こんなことになるなんて、思ってもいなかった。人生は明るいことに満ちていて、楽しいことばかりだった。愛がいつも周りにあった。
当然だと思っていたあれらのことが、どんなに大切なものだったかと分かった時には、自分は遠いところにいる。帰りたいが帰れない。どこに行けばいいかわからない自分を抱いて、もう一度あの頃に戻ってやり直したいと思っている。それが馬鹿なことだとわかっていながら。
答えがわかり、自分で自分を歩き出すその前に、ほんのつかの間、幻を見ていても、許してあげよう。泣いてもかまわない。
あれは本当に大切なことだったのだ。






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剛毅と真実の寓意像とともにあるエカチェリーナ2世の肖像

2016-09-22 04:15:08 | 霧の風景


ヨハン・バプティスト・ランピ、18世紀オーストリア、ロココ。

時代劇には、よきに計らえと言って面倒なことは部下にすべてやらせ、自分は贅沢に暮らすことと性欲を満足させることだけに生きるという殿様がよく出てくるが、それなどは、自分は何もやらずにほかの霊魂に自己活動をすべてやってもらっているという、偽物の人間の姿をよく表している。現実に、そういう王族はたくさんいる。少なくとも、そういう人生を目指して破滅したという馬鹿はたくさんいる。
結局は、偽物は偽物に過ぎないのだ。
エカチェリーナ2世はロシア皇帝ピョートル3世と結婚したが、夫は貧相で性的能力にも欠陥があり、夫婦の関係は最初から破たんしていた。彼女は多くの子を産んだが、ほとんどは愛人の子だったといわれる。クーデターを起こして夫を廃位させて暗殺し、自らが帝位についたが、幸せな結婚ができなかったがためか、愛をむさぼるようにたくさんの男を作った。功績もあるといわれるが、それはほとんど別の霊魂がやったことだ。
金と位があって贅沢ができれば、愛も手に入ると思ったのか。それが馬鹿というものだ。結局は何もならなかった。すべては幻だったのだ。人生の虚栄を脱ぎ捨てて死んだ後のエカチェリーナの魂は、人から奪った人生で味わった悦楽の代金を支払うために、自分が迷惑をかけたすべての人間の下になり、下僕のような生を長々と続けていかねばならないのだ。






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フランス王妃マリー・レクザンスカの肖像

2016-09-21 04:14:46 | 霧の風景


ルイ・トッケ、18世紀フランス、ロココ。

フランスはフランス革命を起こし、民主主義の時代への道を最初に開いた国だ。ここでもう一度出てきてもらおう。
マリー・レクザンスカはルイ15世の妃である。ルイ16世にとっては祖母にあたる。凡庸な顔をしているが着ているものは虚栄の極みというものである。人間というよりは、服が生きているというもののように見える。
ルイ15世は政治にはあまり関心を示さず、外国に余計な手出しをして戦争を起こし、財政をひっ迫させてフランスを衰退に導いた王である。もちろん本物ではない。私生活ではポンパドゥール夫人やデュ・バリー夫人などの愛人を多くこしらえ、奔放に愛欲に浸った。そういう男の妻にしては、この女性はのんきな顔をしている。マリー・レクザンスカは世継ぎを生むことだけを期待されて王妃になった女性だった。健康な体でそれなりの血筋であればよかったのだ。要するに頭はそうよくなかったのであろう。
ルイ15世の治世は様々な人間の恩讐を積み重ね、時代の照準をフランス革命に絞り続けていた。その時代の影で、こういう女性のために大枚の金がつぎ込まれていたのだ。
彼女が着ているこのすばらしい服は、人間の血で作ったものだ。王権の腐食はすでにこのときに極まっていたのである。






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