世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

日だまりの変容

2014-02-28 08:34:48 | こものの部屋

上弦、半分の月とは、わが身を半分失ったものの象徴です。
それは人類の紋章となるのです。

あなたがたは、愛する女を失ったことで、わが身の半分を失ったことになったのです。

男にとって女は、自分自身の半分のようなもの。女にとっての男も、しかり。

ともにいるだけで、一つに溶けてしまう。

わかりますか、みなさん。

性別のある愛とは、互いを、自分自身のように愛せるという、愛なのです。

それはそれは、自我がとけていくように互いを深く愛せる。切ないほどうれしい幸福だ。

あなたがたは、神より、そういう愛を与えられていたのです。

ですがそれを、人類は侮辱し尽くし、とうとう完全に失ってしまった。

わかりましたか、みなさん。
自分がやってしまったことが、なんだったのかが。

あなたがたは、愛する女を失ったことで、自分自身をも失ったのです。


                           サビク






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2月の終わり

2014-02-28 04:10:11 | 花や木
2014年2月の花。
冒頭はハナカンザシ


ハボタン


ホトケノザ


ラナンキュラス


ロウバイ


アリッサム


ナノハナ


ヒメキンギョソウ


オランダミミナグサ


キンセンカ





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ばらの木陰の聖母

2014-02-27 05:24:50 | 虹のコレクション・本館
No,80
マルティン・ショーンガウアー、「ばらの木陰の聖母」、15世紀ドイツ、北方ルネサンス。

ドイツの画家が続くね。
あまり個性的な絵ばかり見るので、たまには少々安心できる絵をと思って選んでみた。

こういう絵は、あまり理屈をこねることなく、ただ安心して見られる。聖母にしているが、ふつうの美しい母と子として見る方がうれしい。天使がそれを祝福している。

ばらの木陰に母と子が安心しているということは、正しく強い力で、しっかりと愛が守られているということを、感じさせる。

こういう風に、強い力で守られていると、こんなにも愛らしい愛が表現できるというわけだ。安らぐね。

実に美しい。

愛を愛らしく表現するためには、正しいことがきちんと行われていなければならないということだ。




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犀の角

2014-02-26 10:15:01 | こものの部屋

あなたがたはこれまで、愛を盗み、愛を奪い、愛を搾取してきました。しかし自ら愛することは、非常に怠ってきました。
それゆえに、法則上とても厳しいことがいくつも起こっています。

今まで、当然のように消費していた愛を、消費できなくなったのです。
そのことについて、細やかなことをひとつ教えておきましょう。

たとえば、あなたがたは、これから人に迎えにきてもらうということが、許されなくなります。
子供の頃、母親に迎えにきてもらうのは、許されます。
しかし、父親に迎えに来てもらうのは、許されません。

出先で雨に降られた時などに、パートナーに車で迎えにきてもらう。そんなささやかな愛でさえ、あなたがたは求めてはいけないことになったのです。

もし、迎えにきてもらえば、それがあなたがたの人生に苦い運命を作ってしまうのです。

これは法則上の真実です。

自分たちのやってきたこと、やってこなかったことが、このようにして、現れてくるのです。

あなたがたはこれから、あらゆる場面で、今まで当然のように享受していた愛を、享受できなくなったという現実を見ていくことでしょう。

学びなさい。そしてこれがわかったなら、これからは自分から積極的に愛していきなさい。
そして今ある愛を大事にしていきなさい。

あらゆるものに真心を尽くしていきなさい。

無償の愛はあります。でも、すべての愛が無償ではないのですよ。


                          サビク






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女のための戦い

2014-02-26 05:06:01 | 虹のコレクション・本館
No,79
フランツ・フォン・シュトゥック、「女のための戦い」、20世紀ドイツ、象徴主義。

いや、これはなんともすごい絵だね。
このテーマをここまで真正面から描ける画家も珍しい。
女を巡る男の戦いなど、世の中に掃いて捨てるほどあるのだが、なかなかここまで描けない。

傍らで胸をそらして傲然と見ている女がまたいいね。

実際、男は本気で戦っているんだが、傍から見るとこんな感じなのか、というものである。
どことなく滑稽だ。本人たちはマジだというところがかなり痛い。

まあ実際はね、女の前ではカッコをつけるんだが、男は結構裏でいろいろ操作しているんだよ。ここは負けろ、あとで何かするから、とかね。女に見えないところで交渉したりしているわけだ。八百長をかますこともよくあるのである。本気で戦ったら、死ぬからね。

女も気づいてはいるんだが、まあ男を立ててやるというとこで、気づかないふりをしているわけだ。

だが、マジで殺し合いになる時があるから、気をつけよう。

女がからんだケンカと言うのは、こわいのだ。まあ、これを見て慎むことだ。




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七十歳の父の肖像

2014-02-25 05:14:13 | 虹のコレクション・本館
No,78
アルブレヒト・デューラー、「七十歳の父の肖像」、十五世紀ドイツ、北方ルネサンス。

ドイツ・ルネサンスを考える上で、省くことのできない画家だが、これを選んでみた。

美しい絵である。息子の父に対する愛が暖かに見える。
勉強の度合いでは、息子が勝っているだろう。父は息子を立派にするために、愛情を注ぎ、真面目に働いて育てて来たに違いない。

曲がったことのない真面目な男の愛が見える。息子を愛している。そして息子も愛している。見ていると、父と息子のほほえましい思い出さえもが、こちらに見えてくるようだ。

親と子の情愛というのはいい。デューラーはまじめなよい画家だが、それを育てた家庭の環境がよかったのだろう。

自分の父を描いた絵と言うのは、結構少ない。デューラーはまっすぐに父親を見ている。このようにまっすぐに見ても、苦しくない男だったのだろう。




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天の街

2014-02-24 08:32:27 | こものの部屋

なにもかもをなくした後で、わかったとしても、それは苦しいだけと思うかもしれません。

だが、あなたがたはわからねばならない。
なくした愛が、どんなものであったかろ、理解することができなければ、あなたがたは、永遠に、愛をわかることはできません。

忘れずにいなさい。
かのじょの微笑みを。

その微笑みを見たとき、あなたの胸の中に、花のようにもたげてきた、熱い思いを。

愛していたという事実から、逃げれば逃げるほど、あなたがたは、愚かさに引き裂かれてゆく。

たったひとつでも、愛を完全に失うということは、自分の世界を、半分もぎとられることに等しい。

いいですか。
あなたがたは、ここまで来ねばわからないほど、愚かだったのです。

もはや失ったものは戻らない。だが、半分に欠けてしまった水晶の、元の形を恋うても何にもならない。

残った水晶を、よきものとしてゆくべく、あらゆることをやっていきなさい。

あなたがたには、しなければならないことがある。
半分の水晶は、人類の、神への約束のシンボルです。

あらゆることをやっていくための、道しるべです。

それを、上弦と、名付けなさい。


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コルティジャーナ

2014-02-24 05:09:26 | 虹のコレクション・本館
No,77
ヴィットーレ・カルパッチョ、「コルティジャーナ」、15世紀イタリア、盛期ルネサンス。

高級で美しい衣服をまとっているが、これは身分の高い令嬢ではない。コルティジャーナは高級娼婦のことである。知性、教養、美貌をそろえた女を、格の高い男の性の相手をさせるためにできたものだ。

男は、自分の妻や娘には貞節を求めるが、自分には貞節を強要しない。そこで、自分に性の奉仕をさせるために、遊分子的な女をこしらえる。

コルティジャーナはたいそう格が高く、それなりの男でなければ相手にしないというようなものであったそうだ。金持ちで、贅沢な暮らしをしていた。中には身分の高い男の妻となって「出世」したものもいたそうである。女性の中には、コルティジャーナを目指して勉強に励むという者もいた。

しかし、いかに上等の格付けがされていようとも、本質は遊び女だ。高い金を払おうとも、男は女が本当に欲しいものを与えはしない。結局は男社会のエゴに奉仕するものという現実から逃げられはしない。

絵の中のコルティジャーナはたいそう美しい。服装やアクセサリのセンスもよく、しぐさも洗練されている。実に頭のよさそうな顔だ。

だがその表情には、賢くなりすぎぬことで、現実の苦しみを何とか処理せざるを得ない、女の影がある。

コルティジャーナは、美女というものを、どういうものにしたいかという、男のきつい本音が、作らせたものだ。




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ミモザ

2014-02-23 05:19:57 | 画集・エデンの小鳥
ミモザ
2014年




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ラピスラズリ

2014-02-22 08:38:13 | こものの部屋

オリハルコンとは、ラピスラズリのことです。

かのじょはこういう、現代社会の常識を大きく超えるような話は好みませんでしたが、わたしはそういう話もします。

むずかしさを感じる人はいるでしょうが、ついてきなさい。

パワーストーンのHPなどでは、ラピスラズリの効果など言われていますが、あれはほとんど嘘です。信用しない方がいい。鉱物と言うものは、あくまでも愛の媒体です。

その質、色、光、価値などによって、愛があなたに愛を表現できるというものです。

しかし、ラピスラズリには、とても重要なことがあります。

アトランティスの沈没という伝説は、本当にあったことです。
アトランティスという大陸が、一夜にして滅んだのです。
その原因の一つは、このラピスラズリ、オリハルコンをめぐって起きた、人間の、あまりにも醜い事件でした。

あなたがた人類は、オリハルコンをめぐって、おそろしく馬鹿なことをしたのです。

それゆえに、ラピスラズリには、その人間の忌まわしい記憶が、まとわりついているのです。生きている人間は忘れ去っているが、裏側にいる人間は覚えている。

ラピスラズリを見るたびに、人間はいやなことを思い出す。
ゆえに、その石を持っていると、人によっては、よくないことが起こるおそれがあります。

ラピスラズリは、できるだけ、顔料などの用に使った方がよいでしょう。お守りとして持つことは、お勧めしません。

アトランティスを沈めたのは、神です。神は、やろうと思えば、今も、一夜にして、ユーラシアもアメリカもアフリカも、沈めることがおできになります。しかし、この時代は、そういうことはなさいません。なぜと思いますか。

あの時と、今とでは、人間の段階が違うからです。
あなたがたは、今、まさに、アトランティスの時よりも、むごい神のお目玉を食らっているのですよ。

美女というオリハルコンをめぐる、馬鹿によって。


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