世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

愛を守る光る烏賊

2008-05-14 09:54:46 | こものの部屋

イカの胴体に聖母子を描くのは、イカがなものかと思うのですが。イカんせんイカが大好きなので、イカにもイカらしく描きたくて、イカんとは思いつつも描いてしまいました。

すみません、ちょっと悪乗りです。好きといっても、しょうゆとスダチをもって、どうかお皿にいらっしゃい♪という好きなんですが。イカはおいしいです。絵に描いてもかわいいので、とにかくイカを描いてみたくて描いたのですが、イカだけではイカにもかわいそうなので、マリアさまを描いてみたのです。

かわいいでしょう♪

カードの意味づけは、イカにもあとから付け足しました。要するに、「逃げたほうがいいときは逃げろ」です。

イカはやわらかい。貝のようによろいも持たない、ハリセンボンのような武器もない。とにかく、煙幕を吐いてロケットのように逃げるだけ。それで、やわらかで繊細な自分の魂を守る。

世の中には、人間の魂の、あるいは存在の、もっともやわらかで大切な部分を蹂躙して、それを恥じることさえできない人がいるもので、そういう人に出会ったときは、これはイカんと、とにかく逃げるしかないのです。ものすごく、苦しいことになるから。

戦えないもの、あるいは、戦ってもいいけど苦しくなりすぎるものへの対処法の、ひとつでしょう。こうするしかないときもある。

いイカげんやめろ、ということばかりしている人からは、逃げたほうがいいと思うんですが。イカがなもんでしょ?

さても、逃げ切れない場合は、戦うしかないのですが、その場合は、大変なことになることを覚悟しておいたほうが良いでしょう。愛を守るイカの武器は、イカなるものにも恥じない自分だからです。

イカん、最後までやっちゃった。



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月を癒す三人の天使

2008-05-13 09:27:28 | こものの部屋

この小品のシリーズ、なかなか楽しいです。自分では、恐竜や怪獣の絵を描いて手作りカードを作っている子供の真似をして、自分のカードを作っているというつもりで描いています。

何気ない小さな絵に、おもしろい意味をこめてみる。楽しいですね。なんていうか、今まで自分の気持ちの中にためこんできた、いろんな思いを、小さく整えて、きれいな形にこめて出している。おもしろいな。宝物みたいだ。

で、この絵にこめた意味は、「完全休息」です。

何事にもがんばらねばならないときに必要なもののひとつです。苦しいところをなんとかするために、いろいろなことをして、魂を刺激するのもいいですが、たまには、すべての活動を休めて、自分を完全に安らげてあげましょう。

百合のしとねによこたわり、眠っている月に、三人の天使が、甘い薬湯を飲ませている。がんばった人が眠るときには、やさしい天使が、たましいのいちばん疲れているところを、癒してくれますよ。

たまには、ゆっくりと眠りましょう。

あいしているよ。

夢の中で、神様が、ささやいてくれますよ。


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うさぎの竜

2008-05-12 09:06:34 | こものの部屋

うさぎドラゴンは、わたしのシンボルマークみたいなものですが、このたびのは、少々毛足が長くなりました。ちょっとばかし、寒い冬を経験したからです。

さて、うさぎのように弱く、竜のように強いものとは、なんでしょう? 

答えは、「忍耐」です。忍耐ほど、強いものはない。人間、耐える力がついていなければ、なにごともなすことはできません。苦しければ苦しいほど、歯を食いしばる。なんとかする。あきらめない。痛いことがあっても、とにかくやる。

ここで自分が、自分をあきらめてしまっては、一切だめになるというところで、強すぎる逆風に出会うことがある。そんなことが何度もある。そこを耐え切ってゆく。ぜったいに自分をあきらめることはしない。

我慢ができない人は、ちょっとつまずいただけで、みんな馬鹿だ、とすべて投げてしまい、何もかも、だめになってしまいます。それで、自分がいやになって、すべてがつまらなくなってきて、周りの人がうらやましくなって、嫉妬するようになって、他人にいやなことをするようになってしまったら、だんだんとおかしなことになっていくのです。

我慢が肝心です。少しばかりつらいことになっても、とにかくぐっと耐えて、みましょう。言いたいことを飲み込んでみましょう。仕返ししたいと握り締めたこぶしを、自分の意志の力で、下げましょう。

つらいかな。苦しいかな。やりなさい。それができなければ、馬鹿みたいなことになるのだから。

軽々しく人を馬鹿にする人は、何にも耐えていませんから、人の苦しみや悲しみが何もわからなくなります。そして、大事なところで耐えることができなくて、みんなだめになってしまうってことになるんですよ。

我慢ほど、つらいものはありません。ずっと、耐えていなければなりませんから。長いときを、それでずっといかねばなりませんから。そのために必要な一切を、やらねばなりませんから。それはそれは、難しいのです。弱いやつだと、馬鹿にされるようなことばかりですから。

耐えるのが、いちばん難しいのです。

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露をつかむ片あごのクワガタ

2008-05-11 09:16:08 | こものの部屋

虫を描くのも好きです。子供の喜ぶカブトムシやクワガタを描くのも、けっこう得意です。カードの虫みたいに、派手にかっこよくは描けませんけどね。

このクワガタは、片方のあごが変形してます。たぶん、さなぎの中で、事故があったんでしょう。

これは、オスとしてはとっても不利。戦う前に負けてしまう。弱点がそのまま出ていますから。もはやこれまでというところ。でも、男は転んでもただではおきない。片方が縮んだあごを、何かに生かすことを考える。それを武器にする。

彼はいろいろと試みて、左右違う自分のあごが、かなり微妙な技に使えることを発見するのです。樹上から落ちてくる露を、なんと、ナイスキャッチすることができる。その露は、極上の蜜なのです。木の命と知恵がこもっている。

片あごが縮んでいたおかげで、このクワガタはもっと大きな知恵を知ることができる。すばらしいことができる。

要するに、なんでもやってみねばわからないということ。自分の持っているカードを、なんとかしてみる。そうすると、新しいものを、作り出すことができる。新しい世界への窓を、開くことができる。

ないのなら、創り出してしまえばいいのさ。それがすべてのはじまり。

片あごのクワガタは、とってもかっこいい自分を生きている。

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アメリカフウロ

2008-05-10 11:15:35 | 花や木

北アメリカ原産の一年草で、昭和初期に日本に渡来したそうです。これがなんだか、不思議なんです。なぜというに、この花は、まるでそのためにきたかのように、ちょうどいい仕事を、してくれているから。

この季節、道端やのっぱらのあちこちに咲く、普通の花ですが、わたしはこの花が、なぜか大好きで、たくさん写真を撮っています。小さな花で、とくに華やかでも目立つほど美しいわけでもない。鮮やかな色でもない。なのに、この花のそばにいくと、安心する。

若いころに、わたしはこの花に、とても助けられているからです。

わたしは気が強くて、自分の正義を通したいという馬鹿な女の子だったのですが、この世間では、そんな自分を通そうとすれば、痛いことになるだけ、自分が傷つくだけなのです。でもそれが悔しくて、世間に反論したくてもできなくて、結局、何もかも自分が悪いのかと、悔し泣きしていたころ、この花に出会ったのでした。

花は静かにわたしを見て、素直な心で、言ってくれたのです。

「そうだね。馬鹿なことだ。この世界は、たいそう間違っているんだよ。君が苦しむのは、当たり前なんだよ。つらいね」

それで、わたしは、ほっと安心して、やはり、自分は正しいのだと、思うことができて、苦しいけど、やっぱりがんばろうと、立ち上がることができたのです。

この世界では、正しいだけでは、生きていくことができません。いろいろなことを、学ばなくてはいけない。そのためには、やはり、自分が正しいのだという、確固とした芯が、自分の中にあることを感じられなくては、やっていけない。自分が正しいのかそうでないのか、あやふやなままでは、世間の泥に流されて、自分を見失ってしまう。

学校を卒業して、世間に出て、初めての壁にぶつかったころに、この花に出会ったことは、わたしにはとても幸福なことでした。すぐそばに、「君は正しいんだよ」といってくれるものがあったからです。だから、どんなにつらくても、やっていくことができた。時々まちがいをしても、正しい自分に、すぐに戻ることができた。アメリカフウロが、いたから。あの花が、わたしの話をきいてくれたから。花を悲しませることは、できないから。

五月病、というのが、若者の胸にうずき始めるころに、なぜかこの花がたくさん咲いているというのは、ちょっと、うがちすぎですね。また、サラリーマンが増えてくる昭和に、渡来してきたというのも、なんだか、おもしろい。

お若い方々、世間にぶつかって、思い通りにいかなくて、何もかもいやだなんて感じて、お酒を飲んでくだまくのもいいですが、苦しいときは、花が助けてくれることを、思い出してくださいね。

アメリカフウロは、暗い気持ちを、青空に導いてくれますよ。



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タンポポをたすけにきた

2008-05-09 13:52:50 | 花や木
トップの画像は、先日また見つけた、変り種のタンポポです。筒状花が、変形して曲がっている。

季節は初夏に入り、カンサイタンポポやシロバナタンポポは、ほぼ終わりましたが、セイヨウタンポポはまだ、道端にちらほらと見かけます。けれども、今年のタンポポは、みるたびに苦しい。どの花も、ひどく苦しそうな顔をしています。つらい、いたい、と叫んでいる。

中でも、もういやだと、強く叫んでいるタンポポを見かけたので、近寄ってみましたら、このタンポポでした。タンポポが、タンポポをやるのをいやがっている。違う花になりたいと言っている。

土地によって、同じ花でも微妙に違いがあるのには、その土地の人間の性質や環境とのつながりが、いろいろと影響しています。この土地のタンポポは、少し苦しいことを経験してしまったのです。それは、もうタンポポがいやになるほど、つらいことだったのです。

こんなことがきっかけで、亜種が形成されることはまれですが、見ていると、なんだかほんとにそうなりそうな気がして、心配です。このままでは、この土地のタンポポは、もう2度と、あのかわいい姿で咲かなくなるかもしれない。

それは人間には、とても苦しいことだけれど、あまりにタンポポが苦しんでいるので、それも仕方のないことかもしれないと、思います。どんなにがんばってみても、すっかり元にはもどらないでしょう。微妙に影響は残るでしょう。タンポポのためには、そのほうがいいのかもしれない。

そんなことを考えながら、車を走らせていましたら、道の隅に、印象的な黄色い光を見つけて、あわてて車を停めました。カメラをもって駆け寄ると、それはなんと、ジシバリでした。春の野山に咲く、タンポポによく似たジシバリ。よくタンポポと間違えられる花ですが、ここらへんでは、かつて見たことがなかったのです。花の形の似た、オニタビラコやヤクシソウ、アキノノゲシなどは見るのですが、なぜか、この町ではこれまで、ジシバリだけは見たことがなかったのです。

写真を撮りながら、もしかしてと思い、「君はタンポポの代わりをしにきたのか」と問いました。すると「ちがう」と答えました。「ではタンポポを助けにきたのか」と聞くと、「そうだ」と。

ジシバリが、タンポポを、助けにきたのです。

また、スーパーの近くで、きれいなタンポポが咲いていると思って、近寄ってみると、それはガザニアでした。ガザニアが、形も大きさも色も、タンポポそっくりに咲いていたのです。それも、とても上手にまねしている。

ガザニアは本来、人間にとても厳しい花です。悪いことは悪いと、きつく怒る先生みたいなところがあります。けれども、このガザニアは、まるで少女のように、まるっきり純真に、いいなあ、いいなあ、みんないいなあと、繰り返しほめてくれているのです。それは、タンポポの仕事。みんなのことを、ただ無心に信じて、喜びたたえてくれる、タンポポの仕事を、ガザニアがやってくれている。

「君も、タンポポを助けているの?」と問うと、「そうだよ」と笑います。

傷ついて笑うことのできないタンポポを、たくさんの花が助けようとしている。無心に笑うタンポポには、もう戻れない。けれども、少しでもなんとかしようと、みんなががんばってくれている。

いつもより可憐にやさしく咲いてくれたカタバミ、いつもよりずっと美しく咲いてくれたシロバナタンポポ、遠くからきてくれたジシバリ、ちゃんと代わりをしてくれたガザニア。

なぜそうするのかと、問う必要もない。それは当たり前のことだから。みんな、タンポポを、愛しているから。

来年の花は、きっとまた、今年と違っているでしょう。どんなふうになっていくのかを、静かに見守っていきたい。少しずつでいいから、タンポポが元気になってくれますように。そしていつかきっと、傷ついたタンポポが、すべてを乗り越えて、もっと美しく咲いてくれますように。

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バラが仕事をはじめる

2008-05-08 09:22:28 | 花や木


最近、車で町を走っていると、印象的なバラに出会うことが多くなりました。まだまだ、苦しい顔でいるバラも多いのですけど、これまでは、近寄ってみなければバラとわからなかった花が、車で通り過ぎるときにさっと視界をよぎるだけで、あ、バラだ!とわかるのです。

男性のドライバーが、脇を歩いている美人を一瞬で見分けるのとにてなくもないかな。確かに、見れば見るほどに美しいけれど、いちばん最初に美しさを感じるのは、目ではなく魂だという感じがしますね。さっと見るだけで、喜びをかきたてる熱い何かが、胸に飛び込んでくる。

ほら、きれいでしょう。バラが、ほんとの自分の仕事をしはじめている。そんな感じです。バラは、ただバラを美しく咲かせるだけで、仕事になる。バラほどに、真実の美しさを崇高なまでに誇り高く、織り上げることのできる花はないからです。

痛いとげは、バラの唯一の欠点といわれますが、そうではありません。バラは、教えているのです。真実の美しさの前には、恭しく頭をたれねばならないことを。軽々しく扱ってはならない。なぜなら、それがなければ、すべてがないと同じだからです。




これは、ミニバラ。ホームセンターで、一鉢300円で売られていました。小さなバラをよく見るようになったのは、最近のことだと思いますが、見るたびに、なんだかとてもいやなことをしている気持ちになります。見てみると、確かに形はバラなのですけれど、まるでプラスチックの造花を見ているかのように、痛い。バラは、咲けばいいのだろうといって、ただ咲いているだけ。悲しみも苦しみも噛み潰して、無言で堪えている。

美しい真実を、スナック菓子のように、軽々しく消費している。ミニバラはそういう現実を教えています。

同じように、青いバラも、苦しんでいます。人間は、技術を競ってそういうものを創りたがるのですが、青いバラは、バラの性質を痛く剋している。バラは、真実の美を、幸福の中で喜ばねばならないのに、青い色ではそれができないからです。

ミニバラも、青いバラも、人間が、真実にどういう仕打ちをしてきたかを、その存在そのもので教えている。どんなに苦しいときも、どんなに痛い仕打ちを受けても、バラは生きてこねばならなかった。なぜなら、バラが滅びることは、真実が滅びることだから。




人間が、真実をないがしろにし、おろかさの泥の中に我を見失っていた時代、バラは本当に苦しかった。バラが、バラであることを、許されなかった時代、バラは屈辱の石を負って自らを恥じながら咲き続けた。

でも、今、ようやく、バラが本当のバラを、咲かせ始めている。あでやかに、誇り高く、自らを歌い始めている。


人間が、ようやく、気づいたから。世界に満ちる、大きな愛の響きに、気づいたから。

バラが、とうとう、仕事を始める。


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野いちごとかえる

2008-05-07 09:21:56 | こものの部屋

かわいいかえるを描きたくて、描いてみました。かわいいでしょう♪

今日の記事の内容は、ちょっと「花や木」カテゴリと重なるのですが、かえるのバックに、野いちごを描こうと思って図鑑を開いてみましたら、近頃話題の、ワイルドストロベリーと出会いました。

ワイルドストロベリーを手元に置くと、女の子に、すてきなボーイフレンドができるというのは、どうやらほんとみたいですよ。なぜというに、図鑑で見たワイルドストロベリーが、繰り返し、「女の子が素敵、女の子がかわいい、女の子が好き、幸せにしてあげたい」といってるんです。

ワイルドストロベリーは、ほんとに、女の子がかわいくてしょうがないみたいです。

女の子って、みなかわいいけれど、本人はそうは思えないって人が、ほとんどです。目いっぱい見栄っ張りでうぬぼれやって感じに見えるひとも、ほんとはぜんぜん自信がない。それは女の子が、いつも、かわいくないって言われているから。だから女の子は、いつも自分がきらいで、自信がなくて、みじめに縮こまってしまう。せっかくのつぼみが、固くこわばって、咲くに咲けなくなってしまう。

でもワイルドストロベリーは、ほんとの気持ちで、「かわいい、かわいい」て言ってくれるものだから、女の子はほっとして、自分がかわいいと思えるようになって、ほっこりと、自分のつぼみがひらいてきて、ほんとにかわいくなってくるんです。男の子がみたら、どっきりするくらい、みんなかわいくなってくるんですよ。

それに、ワイルドストロベリーは、女の子を幸せにしてくれる男の子が、どんな子かってことも、ちゃんと教えてくれます。その子はね、かえるみたいにちっこいの。ちっともハンサムじゃないの。でも、宝物みたいにかわいいのよ。君がなくした、大切な金のまりを、君が眠っている間に、さがしてくれて、そっと枕元においてくれたりするの。とってもやさしいのよ。

かえるの王子さまを、さがそうね。どこかに、きっといるから。

みんな、幸せになるんだよ。


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マツバウンラン

2008-05-06 11:30:02 | 花や木

今朝、撮ってきたばかりの、マツバウンランです。裏道の隅の空き家の、コンクリートの隙間に、ひっそりと咲いていました。

マツバウンランは、あまり写真に撮られることを、喜んではいないようです。いつも少し苦しそうな顔で写ります。それは、彼女たちがしている仕事が、たいそう、大変なことだからです。

人間には、かげでたくさんいやなことをしている人がいます。そのせいで、この世界は、本当に苦しいことになっています。みなが苦しんで、痛い痛い痛いと叫んでいる。だから、人里に咲く花は、いつも人間に、苦いメッセージを投げています。

そんなことはやめなさい。苦しいことになるから。それはまちがっているんだよ。みんなが苦しむよ。ほんとうに、いやなことになるよ。

だまっていられなくて、本当にきついことを言っている花もあります。花はいつも、人間をまっすぐに見ているので、なんでもわかっているので、いつも、人間のために苦しんでいるのです。

けれども、マツバウンランは、そんな痛いことをする人間を見ても、めったにきついことは言いません。だまって、そこにいて、いつの間にか、そっと、人間が吐いたいやなものや汚いものを、浄化してくれているのです。

なんとなくわかるでしょう。比較的暗い場所や、寂しい場所、あまりよくないものがふきだまっているようなところに、この花が咲くと、心が感じる重さ、暗さが、ある程度軽くなっている。汚い場所が、なんとなくこぎれいになっているような感じがする。

それは彼女たちが、マツバのように頼りない茎に、くっきりと点る美しい花を咲かせてくれているからです。貧しい土壌にもすっきりと立ち、己の光で咲いてくれているからなのです。だから人は、暗い気持ち、苦い気持ちが胸にうずいているとき、この花のそばによっていくと、痛みが少しずつ引いてくるような気がするのです。

マツバウンランは、このように、痛いことやいやなことがある場所を、そっと浄化してくれているのです。これは本当に、大変な仕事です。だって彼女たちは、人間のいやなところを、ずっと見ていなくてはなりませんから。

彼女たちの、仕事がわかったからといって、無理やり彼女たちを特定の場所に連れて行って、掃除をしてくれなんていってはだめですよ。彼女たちはすぐに帰ってしまいます。痛いところにいる人は、こんな礼儀もできないのかということをする人が多いものですから、困ります。ちゃんと、花に、助けてくださいと、お願いしてから、来てもらってください。きっと、助けてくれるでしょう。

それと、たとえば、看護師や警察官などの、日ごろ人間の汚いところやいやなところをたくさん見なければならない仕事をしている人も、この花に心寄せていくと、つらいところをそっと直してくれるでしょう。

マツバウンランは、人間の、いちばんいたいところの傷を、そっと愛で包んでくれるのです。


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ツツジ

2008-05-05 09:59:02 | 花や木

初夏になると、野山にも人里にも、咲き乱れる花。画像は、サツキツツジかな。華やかな園芸品種もよいですが、これは小さくてかわいらしくて、とても好きです。

美しい花ですが、カメラを向けても、めったによい顔をしてくれません。こわばったような、きつく内に閉じこもったような顔で、ほとんど何も話してはくれないのです。ツツジは、本当は、人里にいることは、とても苦しいのです。本当は、だれもいない山奥の、清らかな流れのそばなどで、ひっそりと咲いているのが、いいのです。

けれども、こうして、たくさんの花が、人里に咲き乱れているのは、人間が、ツツジを、愛してくれるからです。人間は、苦しい。激しく、病んでいる。その痛みを、常に叫んでいる。その人間たちの苦しみを、ツツジは、自分の奥の、もっとも柔らかなところで、感じすぎてしまうのです。

だからツツジは、燃えるように激しい色と光で、咲き乱れてしまうのです。なにもかもが苦しい、苦しい、苦しい、あまりにも痛い。だから、咲いてしまう、咲いてしまう。胸の奥の最も痛いところから、あふれ、こぼれ出てくるものを、とめられないかのように、咲いてしまう。

あらゆる、あらゆる、痛みを、激しい色で、埋め尽くしてしまいたいかのように、咲く。彼女たちは、無言のままに、泣き叫んでいる。

五月に咲き乱れるこの花が、ときに暑苦しいほどに美しいのは、この世界が激しく苦しすぎるからです。そして人間が、この花を愛するのは、人間の魂の宿業的な病の芯を、痛く刺激するからです。

ツツジは、山奥にいたほうが、幸せだ。けれども、人間を忘れることも、できない。なぜなら彼女たちは、倒れているものに駆け寄っていかずにはいられないほど、やさしい花だからです。

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