世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

祝福

2016-03-10 05:20:19 | ちこりの花束


 種野も初めて子供ができた時の喜びを思い出しました。結婚して2年間できなくて、ちょっと不安になってた頃にヒョッとできた子だったのです。超音波の映像を初めて見た時は涙が出ました。不思議で不思議でしょうがなかったなあ。なんで私なんかに、こんなすごいことが起こるんだろう……。
 現在も、日に日に少しずつ変わっていき、思いがけない成長を見せてくれる子供たちを見ていると、こんなすごいものがどうして私のおなかからでてきたんだろうって、不思議さに打たれるときがあります。何かに祝福されているような気がして、とても幸せな気持ちになるのです。子供を産んで育てるのは女なら当たり前っていうふうに思われがちだけど、これはもしかしたら神様が私達に与えてくれた、とてつもない祝福なのかもしれません。

(1999年7月ちこり16号、通信欄)





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未熟な人たち

2016-03-09 05:12:18 | ちこりの花束


 大人、子供に関わらず、心の未熟な人というのは、どこにでもいます。未熟な人は、自己の内部で外部から受けたストレスを処理することもできにくく、またそのためにどうすればいいかということも、あまり考えることができません。どうしても外部の刺激、表面的価値に振り回されてしまうのです。周囲の人が、それを見抜き、それに対処していかねばならない。そういう手間のかかる人は、確かにいます。


(2004年11月ちこり32号、通信欄)






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価値ある自己

2016-03-04 05:17:33 | ちこりの花束

 最近、ちこり誌上では、宗教とか精神世界の話題が多く語られるようになりました。種野も精神世界には痛く興味があり、個人的にいろいろ勉強したりしています。けれどこの問題は、一歩間違うと深い陥穽に陥る恐れがあり、ちこりでは大きく取り上げることを今まで避けてきました。
 種野自身、親戚の人の影響で某宗教団体に在籍したことがあり、そこで経験したことを元に言えることは、団体の中に入ってしまうと、自分なりの意見がいいにくいということでした。教祖の人格やその教えはすばらしく、たくさんの勉強をさせていただきましたが、しかし私が私らしく自分を表現しようとすると、心に枷を入れられてしまうような気がしてならなかったのです。(悩みぬいた末にその団体をやめた時は、一種の喪失感とたとえようもない解放感を同時に感じました。)
 例えばオウム真理教の失敗は、どこにあるのか、また、人はどうして宗教に入ってしまうのか、そして失敗してしまうのか……。種野は種野なりに、自分の経験を元に、一生懸命に考えてきました。そこで得た一つの答えは、「みんな自分に自信がない」ということでした。自分の人格、存在、際の、全てに自信がなく、自己に価値がないと思い込んでいる人々は、一見力も才能もたっぷりとあり、神のようにさえ見える人に出会ってしまうと、あまりにも簡単に自己の価値をその人に渡してしまうのではないでしょうか。そして教祖たる人は、周囲の人間がほいほいと自分に価値を捧げてくるので、いつしか教祖個人の価値と強さを過信してしまい、人間的な陥穽に落ち込んでしまうのではないかと思うのです。
 つまり、教祖だけにすべての責任があるのではなく、教祖に簡単に自己の価値を預けてしまう信者にも問題があるのです。人は、そんなに簡単に自己の価値を他者に渡してはいけません。たとえどんなにみすぼらしく見える自己でも、それは自分だけのもの。神様が、その人だけに与えた、大切な宝なのですから。
 では、どうすれば人は自分に自信がもてるようになるのでしょうか? 私は、それには自己表現しかないと思うのです。少しずつでも自己を表現することをして、心に光を入れれば、魂に秘められた自然の命の働きが芽生え、それぞれが価値ある自己として大きく成長し、自己を信じられるようになるのではないか……。
 神戸の少年が、「透明な自分」と言っていた言葉を、今とても重大に受け止めています。一体何が人から価値を奪っていったのか。そして今を生きる私達は何をすればいいのか。
 何もかもは、これからなのですね。


(2000年7月ちこり19号、編集後記)






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アヒルの卵

2016-03-03 05:25:22 | ちこりの花束


 このところあれもしなくちゃこれもしなくちゃで、ついつい子供につっけんどんにしていた種野。先日こんな夢をみました。アヒルが生む卵を、こうしたほうが早く産まれるからと、次々ボールの中に割っていくのです。ボールの中には血管の浮いた卵の黄身がいっぱい。目を覚まして冷や汗が出ました。もう少しゆったりと子供にかかわっていかなくてはと、反省させられました。
 ちょっとしたつまずきや夢が、日常の繰り返しの中で見失いがちな自分を見なおすことに、つながることがあります。大人はやらなければならないことが多すぎるから、見失うまいと思っても見失ってしまう。だから時には、つまずいたりぶつかったりも、人生には必要なことなんですね。


(1998年3月ちこり12号、通信欄)






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2016-02-25 05:28:48 | ちこりの花束

 苦しいとき辛いとき、空を見上げるのは大切なことです。
 うちの夫は、ラファエロの絵の中のアリストテレスのように、地上ばかりを指さして、暮らしていくことが大事なんだよと、そりゃもう口がすっぱいほど言いますが、私はプラトンのように空を指さし、心の問題だって大事なんだよって反論します。
 そりゃ、稼ぐことも食べることも大事なことだけれど、私たちが人生の大きな壁にぶつかって、別離の危機を迎えてもそれを乗り越えることができたのは、私が暮らしには何の役にも立たない詩を書いていて、魂のことを学んでいたおかげです。わかってもらえなくて苦しかった時にも、空を見て、空を見るたび、自分を取り戻していました。どんなにあがいても、自分以外にはなれない自分自身を、空はいつも映しかえしてくれた。そして自分を取り戻させてくれた。


(2005年7月ちこり34号、言霊ノート)




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未来

2016-02-24 05:34:54 | ちこりの花束

 試練を超えられずに、不幸にも罪に落ちた人が、そこから深く学ぶには、地獄のような心の闇を通らねばなりません。人々の憎悪や侮蔑に魂をすりつぶされるような日々にさいなまれるでしょう。そんな人をたくさん作らないために必要なのは、人を憎むことよりも、どこに歪みがあるのかを正確に見抜く目と、考え行動する頭と心ではないでしょうか。
 感情は、どうしようもない。けれど人間は成長することができる。与えられた舞台で自分にとっての最善を行ずることで、それまでの自分の壁を乗り越え、新しい自分へと成長することができる。そしていつか、未来すら変えることができる…。



(2001年3月ちこり21号、通信欄)




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本当は

2016-02-18 05:26:11 | ちこりの花束


 「あのとき、ああしていればよかった」と後悔したくない。ただそれだけのために、種野は訳もわからずがむしゃらにやっています。時々、孤独と迷いの中で押しつぶされそうになったり、思いもしない壁にぶつかって、絶望しそうになる時も、本当はあるんです。


(1998年11月ちこり14号、通信欄)




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本当の幸せ

2016-02-17 05:19:04 | ちこりの花束

 人間の魂って、本当は真実の中でしか生きられないものだと思うのです。癒しグッズなんかが流行るのも、人々の魂が疲れているからで、何で疲れているかというと、今の世の中では、嘘を真実と思うために、魂にたくさんの無理をさせなきゃならないから。これが本当の幸せなんだって、魂に言いきかせるために、たくさんの品物やおいしい食べ物や楽しいゲームや映画なんかが必要で、それらを味わうためにはお金が必要で、お金を得るためには…。でも、本当の幸せって何なんでしょう?


(2002年3月ちこり24号、通信欄)





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試験

2016-02-11 05:50:41 | ちこりの花束


 社会に幸福をもたらす大人の一人となるために、人生には必ずその試験が訪れます。自分をとるか、神をとるかの。その時がきたら、気をつけなければならないことは、ただ一つ、自分の中の「本当の自分」が、「いやだ」ということは、しないことです。たとえそれがどんなに苦しいことでも。


(2003年11月ちこり29号、編集後記より)





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2016-02-10 05:17:11 | ちこりの花束

 ある日の事、長男と次男が、海岸で黒い鳥を拾ってきました。それはほとんど真っ黒な大きな鳥で、どうやら軍鶏のようでした。多分闘鶏用のものでしょうが、両足がマヒして動かなくなっていました。闘鶏用としてはもう使えないので、元の飼い主に捨てられてしまったのでしょう。
 どうしようかと思いましたが、子供の気持ちもくんでやらなければと、世話を始めました。それにその鳥は、足こそ動きませんでしたが、全身ほとんど真っ黒な羽と、鋭く澄んだ金茶色の瞳がとても美しくて、世話をしてあげたいなという私の気持ちも働いたのです。エサや水をあげると、飢えていたのか勢いよく食べました。糞で汚れていたおしりを洗ってやったり、マヒしていた足をさすってやったりすると、きれいな瞳を気持ちよさそうに細めました。それだけでも、何となく幸せな気持ちになったものでした。
 けれど、世話をして七日あまりで、鳥は死んでしまいました。朝、硬くなって死んでいる鳥を見た時は、少し予期はしていたものの、涙が流れました。
「人間を恨まないで死んでくれたと思うから、それでいいよね」
 子供とそう語り合いました。


(2002年7月ちこり25号、編集後記より)





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