世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

レフカス島のサッフォー

2016-06-30 04:18:09 | 霧の風景


アントワーヌ・ジャン・グロ、19世紀フランス、新古典主義、ロマン主義。

才ある女性として、人類史の中でわずかに日が当たる存在が、古代ギリシャの詩人サッフォーである。現残する詩も断片的であり、女性同性愛者であるという伝説も、男が彼女を色目で見てきたという証拠であろう。どんなに力が高くとも、男は女性を正当には評価しないのだ。この図はある美しい青年との恋に破れ、絶望してレフカス島の崖から身を投げようとしている詩人の図である。もちろんこの伝説も眉唾物だ。どうしても女を男に結び付けたい男が、こういう話をつくるのだ。実際のサッフォーは、女子の教育に情熱を傾けていることなどからして、より建設的な人格だったと思われる。グロはロマンティックに美しく描いてあるがね、わたしはもっと立派に誇り高い姿で描いて欲しい。女性はもっとすばらしいものだからだ。男にふられたくらいで自分を捨てたりなどしない。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イヴ

2016-06-29 04:26:14 | 霧の風景


ポール・ランソン、19世紀フランス、ナビ派。

これは男の罪である。自然の中で遊んでいるイヴに、蛇が話しかけようとしている。その蛇の正体はサタンではない。アダムなのだ。アダムはイヴをそそのかして罪を犯させようとしているのである。女に馬鹿なことをさせて汚さなければ、自分の思い通りにできないからだ。男は女に、こういうことをしたのである。
原罪とは女が先にやったことではない。男が先にやったのだ。
それを男は、平気で女になすりつけ、何万年とそれを理由に女を馬鹿にし続けてきたのである。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長い髪の少女、裸の真実のためのスケッチとともに

2016-06-28 04:14:49 | 霧の風景


グスタフ・クリムト、19世紀オーストリア、アール・ヌーヴォー。

女性には髪の長い人が多い。それに心惹かれる男は多い。髪の長さは心の優しさを表現するからだ。かのじょは髪が長かった。霊的世界での本当の姿でも、非常に髪が長いのだ。男としては、非常にまれな長さなのだよ。
忘れずにいてくれたまえ。髪の長い天使を。
彼はあなたがたを深く愛した。あなたがたを救うために、あらゆる苦難に耐えて、とても大事なことをしてくれた。もういない。会いたくても、彼があなたがたに会うことはもう不可能なのだ。
今日はかのじょの誕生日の翌日である。翌日というのが、大切なことなのだ。いつでも明日はやってくる。誕生日よりも、誕生日の翌日の方が、大切なのだよ。すべては明日から始まる。
かのじょが生まれて行ってしまった日の翌日から、あなたがたの未来は始まるのだ。
愛しなさい。かのじょのように、すべてを愛していきなさい。あなたがたの中のかのじょの面影は、そのようにして永遠に育っていくだろう。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受胎告知

2016-06-27 04:09:04 | 霧の風景


フラ・アンジェリコ、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

天使のような画家と言われた画家が描いた天使の絵である。人間が描く天使の姿には、こういうものが多い。顔は女性だが、体型は細い男だ。だがこういう天使は非常にまれなのだ。天使はほとんどすべてが、たくましい体型をした男なのである。なのになぜこういう女性的な姿をした天使ばかり、人間は描くのか。それはあなたがたが、かのじょという特異な天使を、非常に愛してきたからだ。女性そのものという顔をし、男であるにもかかわらず、女性のようにやわらかく、やさしい。そういうかのじょという存在を、あなたがたは長い間特別に愛してきたのである。あなたがたは愛というものに対し、愚かなことをしすぎた。それゆえに起こったことが、最愛の天使を失うという現実なのだ。愛してくれるものを失うより、愛するものを失う方がつらい。そのことが、あなたがたの心にどういうものを生んでいくかを、あなたがたはこれから、経験していくことだろう。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖母の誕生

2016-06-26 04:14:31 | 霧の風景


フランシスコ・デ・スルバラン、17世紀スペイン、バロック。

女子の誕生を描く絵というのは少ない。人間はたいてい、男子の誕生は喜ぶが、女子の誕生はあまり喜ばないからだ。男は自分の家を継ぐが、女は他家に出てゆく。結局は他人のためのものだと思うと、人間はあまり喜ばないのである。だが女子の誕生こそが、人間の社会を形作っていくのだ。女が他家に嫁ぎ子を産むことによって、愛は広がっていく。この世に生きている人間はすべて、このような女性を通ってきたのである。女子の誕生を喜びなさい。女は人を愛していくものだ。女の子を生むことは、女性を通してあらゆる人に尽くしていくことができるという、愛の喜びなのだ。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドン・セバスティアン・デ・モーラ

2016-06-25 04:14:55 | 霧の風景


ディエゴ・ベラスケス、17世紀スペイン、バロック。

これは男の罪の結果である。女性にひどいことをしすぎた男はこうなるのだ。霊的ずるで何とかしようとしたが、成功しなかったという例である。本当はこういう男はもっとたくさんいるのだが、人間はあらゆる霊的技術を弄して逃げているのだ。女性にもこういう例はあるが、それは似たようなことを女性が女性にしたという例である。あなたがたには厳しいことだが、これを見ることは、人間にとって罪に関する深い学びになることだろう。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

統領レオナルド・ロレダンの肖像

2016-06-24 04:21:10 | 霧の風景


ジョヴァンニ・ベッリーニ、16世紀イタリア、盛期ルネサンス。

これも天使によって描かれた絵である。清澄で深淵な瞳は人間を超えている。モナリザにも通じるところがあることを感じるであろう。天使というものを想像するによい参考になる作品だ。この顔を若くし、もう少し彫りを深くすると天使の顔になる。われわれはこのように、すべてが人間を超えた存在なのである。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァニタス

2016-06-23 04:11:52 | 霧の風景


ピーテル・クラース、17世紀オランダ、バロック。

ヴァニタスは「生の虚しさ」を表現するテーマである。絵の中の頭蓋骨は死からは逃げられないという人間の宿命を暗示している。虚栄を戒める意図もあるが、虚無感は拭い去れない。確かにどんな人間もいずれは死に収容されるが、だからと言って生が虚しいとは言えない。生きている限り、やらねばならないことはある。恋をして傷つくことだ。馬鹿をやって失敗することだ。何かをやれば、何かがある。それが人生である。死はそれからのことだ。どうせみんな死ぬのだからと、生きているうちに何もやらないものは、初めから死んでいるのと同じなのだ。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッケ・ホモ

2016-06-22 04:08:06 | 霧の風景


ロドヴィコ・チーゴリ、17世紀イタリア、バロック。

エッケ・ホモは「この人を見よ」と訳される。磔刑を前に、民衆の前にさらされて辱められるイエスの姿である。あなたがたはこれをしたのだ。見なさい。目をそらしてはならない。これはあなたがたへの予言でもあるのである。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農民の食事

2016-06-21 04:32:54 | 霧の風景


ル・ナン兄弟、17世紀フランス、バロック。

これは虐げられた人間のひとつの姿である。人々は寒そうでみじめな服をまとい、テーブルには硬いパンがひとつあるだけだ。飲んでいる赤い液体や、ヴァイオリンが象徴する音楽は、つらい現実を忘れるのに必要なものである。奥からこちらを見つめている子供の目が、自分もいつかあの男たちのようになるのだという絶望感をにじませている。これは王が幸福を独占しようとするからこうなるのだ。人間をこんな目に合わせてはいけないのだ。本当の王は彼らを幸福にせねばならない。馬鹿がこんなことをするから、人民の憎悪がふくれあがり、革命が起きるのだよ。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする