世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ゆくものは

2013-06-27 02:31:59 | てんこの論語

子、 川上に在りて曰く、ゆくものはかくのごときか、昼夜をおかず。(論語・子罕)

せんせいは川辺に立って言われた。法則の流れとはこういうものか。昼も夜も関係なく、流れ続ける。


   ***

今日はわたしの五十一歳の誕生日です。

けっこう長い時を生きましたね。五十一年か。いろいろありました。

誕生日に、こういうことになるということは、意味があるような気がします。

わたしはまだ、生きていくのだが。

理想と使命感に生きた孔子も、年を取り、過去を振り返りつつ、思うことがあったのでしょう。
わたしも今、少々感慨深く、年月を見返しています。

受け入れなければいけないことを、受け入れなければならない。そういうことを学ぶことも、いいことだ。とは、思う、が。

わたしは完全に負けたわけではありません。いつか、彼の裏をかいてなんとか自分を生きたいとは思っています。

だが彼は手ごわい。結局は勝てないだろうな。彼のほうが正しい。

とにかくみなさん、とうとう大きな休みがやってきました。




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女子と小人は

2013-06-10 05:06:37 | てんこの論語

「子曰く、女子と小人は養い難しとなす。これを近づくればすなわち不遜なり。これを遠ざくればすなわち怨む」(論語・陽貨)

先生はおっしゃった。おんなのことガキほど困ったものはない。近づければ調子にのるし、かといって遠ざければ、すねるのだよ。

   ***

孔子を語るには、絶対に避けて通れない言葉ですね。たぶん、孔子にはこういわなければならないような、苦い経験があったのでしょう。でなければ、ここまでは言いませんね。

わたしにも、一度口に出して叫びたいことがあります。わたしには、これを言う権利があると思うので、言います。よろしければ、女性のみなさん、ご唱和ください。
せーの。

男と馬鹿は始末に負えねえ。よってきゃあ勘違いするし、かといって遠ざけりゃあ裏でいらんことするんだよ!

拍手喝采。どうもありがとう。

すみませんね、男性の方。でもね、どんな優しい女性でも、いつかはキレますよ。そういうことばかりしていたら。





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学びて時にこれを

2013-06-09 05:40:24 | てんこの論語

子曰く、学びて時にこれを習う、また説ばしからずや。朋あり遠方より来たる、また楽しからずや。人知らずして慍みず、また君子ならずや、(論語・学而)

先生はおっしゃった。勉強をしてそれが自分の身についてくる、これはうれしいことだ。友達が遠くから訪ねてきてくれる、これもまたうれしい。自分のことなど誰も知らなくとも、わたしはわたしを生きている、こういうわたしであるわたしは、なかなかの立派な人物だ。

   ***

自分として、幸せが欲しいと願えば、これくらいでいいなという言葉ですね。わたしは、勉強することが好きです。こういう自分が好きだ。友達もいる。遠くにいて、めったには会えないけれども、彼だけは自分をわかってくれるという人がいる。それだけで、生きていく力が出る。一生懸命やっても、誰にも認められない。ああ、でもいいか、みなが幸せなら。こういう馬鹿な自分をかかえつつ、真面目に生きていくことを楽しんでいる。こういうわたしは、けっこういいやつだ。それが大事。自分が好き。それが一番大事。

50まで生きてきて、最大の収穫は、自分が大好きだと言うことです。だってわたしは、どんな苦労があっても、この自分だけは、裏切らなかった。後悔はない。大事なのはこれ。本当の幸せはここにある。

うそをついて、自分を得させても、自分が好きになれなかったら、幸せじゃない。わたしは、貧乏な田舎の主婦ですが、とても幸せです。

まあ、今も、結構苦労のある日々を送っていますが、基本わたしは、幸せです。幸せは、本当に、これで十分だ。

自分が好き。

さあ、人生後半に差し掛かったみなさん、いろんな人生を送ってきたでしょう。自分のこと、好きですか? どんなことをしてきました? どんなことがありました? 後悔はありますか? あのときあんなことをしなければよかったなんて、考えていますか? まあ、人の数だけ、人生はあるでしょうね。

わたしは、幸せです。みなさんは、どうですか。




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疏食を飯らい

2013-06-08 05:09:01 | てんこの論語

子曰く、疏食を飯らい、水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみまたその中にあり。不義にして富みかつ貴きは、われにおいて浮雲のごとし。(論語・述而)

貧乏暮らしもよいものだ。ずるをして偉くなるよりは、よっぽどましだ。

    ***

今回も、彼流の訳です。短いけど的確に言ってくれる。かゆいところに手が届いていて、これ以上語るのが、無粋に感じるほどです。わたしだったら、生真面目に一語ずつ丁寧に訳すものだけど。彼にはそういうことは、まどろっこしいのでしょう。

まさに、そのとおりですね。言ってることは、まぎれもない真実。ええ、まことでほんとうで、きっかりと真実です。窮屈ですみません。

わたしは、一年に一枚も、自分の服が買えないような貧乏人ですが、気持ちは豊かだ。自由に、自分の心で、愛するものを愛して、それを美しく表現できる。
みんなきれいな服を着ているが、それがわたしには、とても苦しいことに思える。なぜなら、彼らは、自分に着せる、服一枚ほども、それに値する人生の努力をしていないからです。

かっこいい服を着てるけど、全身きらきらに磨いて光っているように見えるけれど、目にその心が見えると、気持ちが痛くなって目をそらす。あまり見たくない。なんにも努力しないのに、高価で立派な服を平気で着られるということが、なぜみんな、恥ずかしくないのだろう。

美しいということの、本当の姿は、全然違うことなんだがな。わたしは今日も、7年前に買ったトレーナーを着て外に出る。それが平気なのは、ちょっと女性として問題があるかな。でも、自分に似合わない服を着て、偉そうにするよりは、ずっと心地いい。

服一枚分の努力くらい、しましょうね、みなさん。ああ、きついな。彼の影響が大きい。わたしだったらなかなか言えないことを、彼はきっぱりという。

そこがまた、気持ちいい。




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衆にたがうといえども

2013-05-26 04:55:00 | てんこの論語

子曰く、麻冕は礼なり。今や純なるは倹なり。われは衆に従わん。下に拝するは礼なり。今、上に拝するは泰なり。衆に違うといえども、われは下に従わん。(論語・子罕)

先生はおっしゃった。冠は麻で作るのがもともとの礼というものだが、今の時代でそれを守るのは難しいので、ちがうものでつくる。この辺の事情はもっともなので、わたしは世間に従おう。主君に挨拶をするときは、檀下からするのが礼であるが、今は檀上にあがってすることが多い。この点はわたしは譲れない。世間と意見は違おうとも、わたしは自分の意志を貫き、下段から恭しく敬いたい。

   ***

今日は、わたくし流に、訳してみました。
ずいぶん違いますね。やっぱりわたしは、こういう感じになります。ひとつひとつ、丁寧に、真実の静脈を探って、正確に採血するというか。

まあこれを、彼流に訳してみたら、こんな感じになりますか。

世間が何を言おうと、おれはおれだ。

ね。わかりますね。簡単だな。ぴったりですね。言いたいことはこれに尽きる。
もう書くことがなくなってしまいました。

でも、とにかく、世間の常識と違うことでも、自分のまことの気持ちに外れることは、したくはない。人間として、そういう気持ちは、当たり前だと思うのですが。
難しい世の中で、気力を消耗して、生きる気がしなくなって、つい世間に自分を譲ってしまう人も多いですが、わたしは、できることはすべてやり、力の限りを尽くして、自分のまことは守りたい。そういう生き方をしたいし、してきました。

わたしはこれが、わたしらしいということをしてきた。

それが他人から見ると、おもしろいんでしょうね。





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われいまだ

2013-05-24 05:12:03 | てんこの論語

子曰く、われいまだ徳を好むこと色を好むがごとくする者を見ず。(論語・子罕)

立派なことを言っても、やっぱり女の方がいいのだな。

  ***

なんか、かなり強烈な訳ですね。自分で言うのもなんだけど。
もうこれ以上、語ることもないような気がするな。
完璧に。

これ、わたしではないですね。てんこじゃない。
彼のほうだ。彼がやってる。

うまいですね。わたしではこうはいかない。わたしならもっと、きちきちと真面目に丁寧に訳します。いやあ、彼は、こういうことがうまい。こんな短いことばで、すべて言ってしまった。わたしはもう、何も説明することができない。というか無い。

そういえば、「君子は言に訥にして」のときも、こんな感じだったな。
あのときからすでに、彼がやってたんだな。

何かつけたすことがあるだろうか? そうですね。うん。つまりですね。ものすごく立派なことを言う人が、もう聖人君子のような顔をして、正しいことやきれいなことをいっぱい言う人が、一番きれいなお嫁さんをもらってるっていう。なんで?ていう感じで、きれいな女性が必ずそばにいるような。そういう、なんていうか…、ありますね。

なんでかしら、きれいな女性が必ず近くにいるのですね。

どうしてでしょうね。

こんな感じですか?




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君子は器ならず

2013-03-29 03:15:15 | てんこの論語

子曰く、君子は器ならず。(論語・為政)
先生はおっしゃった。立派な人物というのは、何かの役に立つ道具のようなものではない。有能であるというよりは、愛そのものの体現なのである。

   *

以前、別館ブログで「半眼の星」というエッセイを書いたことがありますが、これも似たような内容です。その時扱った言葉は確か、「政をなすに徳をもってす。たとえば北辰のそのところにいて…」でしたね。

わたしはその言葉から、「北辰制」などということばを考えてみたのですが。要するに、愛を体現することのできる、徳高い、すなわち深い教養と高い愛を持った人間を北辰として真ん中におき、それを中心として、高い能力を持った人々が集まって政治を運営していくと。
これには、前にわたしが小学校のPTA会長をしていたときの経験がもとになっているのですが、それをひな形に、政治の理想的形として、「北辰制」という言葉を思いついたのです。まだ言葉だけで、それをどういう風に作っていくか、運営していくかなどは、まったくわかりません。わたしは女性で、夢のごとき言葉を織る詩職人であり、政治は専門ではないので、それにぴったりと思える言葉を生み出すことしかできない。

実際に政治に、北辰という考えを取り込んでいくには、わたしよりもほかの、もっと政治に卓越した知識と経験を持つ人の力が必要だと思っています。

北辰とは、総理大臣や大統領や議員など、政治的な技術の持ち主ではありません。プロじゃない。ただ、愛ゆえに皆を愛し、皆の存在の意義を光らせ、皆の本当の力を引き出すことのできる、高い人格を持った、すばらしい人のことなのです。北辰がいれば、才能ある人が、真に才能を発揮することができ、それによって、正しく政治が運営されていくようになる。

北辰は、その人の能力的に有能なことよりも、その人の愛の深さ、高さが、大切だ。国を愛し、国の人々を愛し、国をなんとかしてくれる有能な人を愛し、それゆえにすべてに愛が行き渡り、命の本当のみずみずしい生命力が花開き、人間の本当の力が目覚めてくる。そのような深い愛の体現たるものが、君子であり、北辰なのです。

しかし、この「愛」というあまりにも高く、繊細な概念を、現実の政治の中に、取り込んでいくのは、相当に難しいでしょう。北辰を選挙で選ぶことはできない。その人の愛の深さを、どうして知ることができるか、どのようにして政治に取り込んでゆくことができるのか、実に私には皆目見当もつきません。だが。

わたしは、それをやってくれる、とても力のある天使か人間が、助けにきてくれると信じている。人々のために、もっともよき人を選ぶための、方法を、作ってくれる素晴らしい人がこの世に生まれてきてくれると、信じている。

わたしは甘い人間なので、こう考える。でも、わたしの願いは、本当にかなうのですよ。

子曰く、魏魏乎たり。舜、禹の天下をたもつや、而してあずからず。(論語・泰伯)
先生はおっしゃった。ああなんとすばらしいことだ。舜や禹の時代の政治は。彼らがただ、君臨していたというだけで、国は平和で美しかった。

その人がそこにいた、というだけで、すべてのことがうまくいき、みなが平和に楽しく暮らすことができた。孔子の理想の政治とはこういうものだったのです。北辰とは、君子とは、高い政治的技術を持っていると言う人ではない。高い徳性を持ち、すべての人を愛で豊かに満たすことのできる人のことなのだ。その愛があってこそ、多くの人が、自分の本当の力を出すことができる。そしてその、みんなの力で、国は正しく動いてゆくことができる。

理想論と言われて、軽んじられることも多かった、孔子の言葉ですが、そう、結局はここに帰ってくる。どう考えても、これは正しいことだからだ。本当に、結局は、正しいものが勝つ。たとえ、三千年、四千年と時間がかかろうと、物事はすべて、正しい理想に帰ってくるのだ。

民主主義は今、堕落と荒廃の坂を転げ落ちている。実際わたしは、オバマの次の大統領がいるのか、未来に希望を見ることができない。もう民主主義は限界を超え、ただ、今もやっているだけだという空っぽの制度になっているような気がする。

これからの未来が、どう変わっていくのか、どう動いていくのかは、わからない。ただわたしに言えることは一つ。

わたしはひとつの、あばら家を建てた。

そして新しい国は、種をまいた土地から一本の楠が盛り上がってくるかのように、いつの間にかできてくる。





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巧言令色

2013-03-02 05:47:44 | てんこの論語

巧言令色、鮮なし仁。(論語・学而)
うまいことばかり言って、かっこばかりつけるやつほど、結局は何にもやらないのよね。

     *

少々きつい意訳ですが、まあ意味はほとんど同じというか、まったく同じと思います。
だいたい、いい服を着て、ばっちりと決めて、町をカッコつけて歩いている人ほど、何にも考えていない。考えていることはたいてい、どこかにかわいい娘があるいていないかな、という程度のことだ。

わたしも女性ですから、いろいろと苦い経験をしました。それは高価そうな服を着て、髪形もばっちり決めて、長い脚と色男振りを強調した男が近寄ってくる。わたしは尻尾を巻いて逃げました。もう二度と男はいやだと思うほど、つらかったのです。

わたしに近づいてくる男性はそういう人ばっかりだった。不遜というわけではなく、ほんとにそういう経験ばかりしてきたのです。もちろん中には親切できちんとした男性もいましたが。

本当に、やるべき時にやらねばならないことをする、そういうことができる男性は、わたしのしっている限り、誰もいなかった。みな、服や髪形を流行の形に整えて、良い車に乗って、人生は女の子と楽しむためにあるのだとばかり、かわいい女の子ばかり探してた。

子曰く、やんぬるかな。われいまだ徳を好むこと色を好むがごとくする者を見ず。(論語・衛霊公)

わたしはまだ、病気になっているこの世界を立て直すために、一身をかけて活動する男をみたことがない。女の子を追いかけるほどの情熱をもって、自分の心魂を燃やして、正しいことのために学び働こうとする男を見たことがない。

最近のわたしは誰かさんの影響で少しきつくなっていますが、大体、町でわたしに、そしらぬ顔で近寄ってくる男性など、歩く性欲という感じがします。本人は気付いていないだろうけれど、男の人の考えていることは、女性にはまるわかりです。本当に、親切で教えてあげますけど、あなた方が、誰かさんとセックスをしたい、と考えている気持ち、顔と雰囲気にもろに出ていて、周りの人にばればれです。もう気持ちを隠すことはできないんですよ。人間も大きくなってきて、見えないものを、大分感じることができるようになっている。

ですから、あの人とセックスをしたい、という気持ちを持って、わたしに近寄って来ないでください。近寄ってくるだけでわたしは苦しい。きれいな服を着て、何の関心もないと言う様子をして近寄ってくるが、わたしはあなたが近寄ってくるだけでその気持ちがわかる。急いで逃げます。仁者は、他人の気持ちがわかりますから、他人が自分を不快と感じているなら、めったに近寄ってはいきません。そんな、こっちの気持ちにも気が付くことができないということは、まるで愛を勉強していないと言うことだ。

女の子に嫌われていると、気付くことくらい、できるようになってください。そして、どうして嫌われているかも、わかってほしいです。

衣服のセンスや表面上を取り繕う技が上手でも、愛がなければ、女の子はよっていきませんよ。むしろ、表面を飾れば飾るほど、いやになってきて、逃げます。

男は、真実の男じゃなきゃいやだと、女の子は言います。





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君子は言に訥にして

2012-11-03 07:22:43 | てんこの論語

子曰く、君子は言に訥にして、行ないに敏ならんと欲す。(論語・里仁)
先生は仰った。「ぐだぐだいうとる暇があったら、とっととやらんかい!」

   *

少々品のない訳になってしまいましたが、正しくは、「君子は言葉少なく、行動にはすばやくありたい」と訳す方があってるのでしょう。

テレビを見ていると、いろんな人がいろんなことを言っていますが、なんだか聴いていてもよくわからないような、政治評論だの、人物批評だの、所信表明だの、未来計画だの、いろいろ。言葉は飛び交っているのだけど、はてさて、その言葉がどこに行って、何をしているのかは、さっぱりわからない。

かたおかにつゆみちて
あげひばりなのりいで
かたつむりえだにはひ
かみそらにしろしめす
すべてよはこともなし
      (ブラウニング)

何がうまくいっているのか、世はめちゃくちゃなのに、ここは平和そのものだ。

わたしはきょうも
せんたくものをほしに
べらんだにでて
ひがしのそらの日をあおぎ
きょういちにちみなぶじであるようにと
てんのかみさまにいのる
       (てんこ)

はたして、世界を動かしているのはだれなのだろうな。少なくとも、テレビの中で千万言を吐いている人たちではなさそうだ。

真実を言うと、みなが一斉に黙れといって集まってくるこの世界。だまっていなければ、この嘘の舞台が壊れてしまうから。だから誰も、はっきりとした真実をまっすぐには言えない。きれいな隠喩に溶かして、あるいは、のらりくらりと痛いところをよけながら、巧みな表現で上手に取り繕う。その結果、誰も何もわからない。言いはするが、誰も何もしない。自分でも何を言っているのかわからないようだ。一体だれが、この世界を動かしているのか。誰が何をやって、何とかなっているのか。不思議なことだ。誰も知らない。

君子は言に訥にして、行いに敏ならんと欲す。

少なくとも、一言は、言った方がいいのだろう。それでないと、誰も本当のことをやらない。やりはじめない。ちょっとは黙って、やるべきことをやれということを、まるでやらない。さて、こういうわたしに、言えることはなにか。

「もうやめなさい。馬鹿なことは」

こういうところでしょうか。まるで小学校の先生のお説教のようだ。

やるべきことの本当の道は苦しい。やって来なかった宿題が山積している。けれどその道を行かねばならない。そろそろ、やりなさい、宿題を。

おかあさんのお説教だな。




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君子はこれを己に求む

2012-11-02 07:06:23 | てんこの論語

子曰く、君子はこれをおのれに求む、小人はこれを人に求む。(論語・衛霊公)
先生はおっしゃった。立派な人は自分の行動規範を自分に求める。勉強の足らない人は、他人に求める。

  *

前に「自分の心が嫌だということはしてこなかった」などということを言いましたが、それはやはり、自分の中に、自分を領する自分と言うものが、確固としてあったからだと思います。わたしはただひとつの自分に従って生きてきた。後ろを見ると、今まで歩いてきたまっすぐな道がある。嵐の跡や、槍の降ったあとがある。落とし穴や、落石などのあともある。けれどもわたしは、自分に従い、自分が正しいと感じる道を歩いてきた。

わたしは根っこから、まっすぐにしか進めない不器用な性格なのだけど、それを信じてくれる人は少なかった。というより、誰もいなかった。自分という人間が、あまりに風変わりで、珍しいものだと、いつしか気付いた。ここでは生きにくい生き物だということにも。それでも懸命に生きてきたのは、何かをしなければならないという使命感が、自分のどこかにあったからだった。

それを今、自分なりにいろいろとやっているわけですが。

テレビを見るのは、最近あまり好きではないんですが、たまにテレビを見ると、いろんな政治家さんがいて、いろんなことをやっているのが見えます。泣きそうな顔をした某市長さんだとか、やたらと言動が派手な某知事さんとか。いろいろな人が政治をかき回していますが、わたしは彼らを見て、彼らは多分、坂本龍馬になりたいのだろうな、と感じます。かっこいいですからね、坂本龍馬。銅像も立ってて、彼を主人公にした長編小説やドラマや映画なんかもいっぱいある。今の時代の、男性の理想像の一つでしょうか。

けれど、龍馬が生きていた時代、多分彼を理解してくれる人間は、本当に少なかったと思います。命を削りながら国中を走り回り、全身を血だらけにして生き、最後には、多分「このやろう、よけいなことをしやがって」という感じで、殺されてしまった。
同時代に生きて、彼を理解することができる人は、ほとんどいなかった。みんなに、馬鹿だと思われていた。

今だって変わらない。本当に、国や人を良くするために、働いてくれる人は、一番馬鹿にされる。いじめられて、つぶされる。そして、殺されている。坂本龍馬のように。

本当に坂本龍馬のようになりたいのなら、それくらい覚悟してやらなければ。口ばっかりでなく、まじめに真実を社会にぶつけて、全身でその反動を受けてみればいい。本当の坂本龍馬になりたいのなら。

維新ということばはもう古いよって、どこかで書いたことがありますけれども、新しいことは、過去に起こった明治維新とは全く違う形でもう始まっている。気が付いている人はいるが少ないと思う。斬新ということばには、斬るという漢字が含まれている。そんなこともわからず、過去の、評価の定まった、かっこいい人に自分の理想を押し付け、その皮をかぶって、何かをやろうとしても、馬鹿が滑ってしまうだけだ。

民主主義は、今、大きな舞台で行われていますが、すでに崩壊している。たくさんの人が、壊さないように影で苦労していることでしょう。またその後ろで、新しい時代を作る人たちは育ち始めている。思いもしないところから、風は吹いてくる。

誰も龍馬がやるとは思っていなかった。あのバカみたいなやつが。龍馬は、誰でもない、自分の心に従って行動したのだ。

誰が新しい時代の風を吹かせているのか、きっと今は誰も知らない。

ついでに言うけれど、坂本龍馬にしろ、弘法大師にしろ、人間を理想形にして、信仰に近い感情を持つことは、あまりいいことではないと思います。坂本龍馬も迷惑だ。龍馬は龍馬。あなたはあなた。

自分は、自分の正しい思いに従って動けばいい。傷だらけの道が待っている。あなたが正しいのなら、行ってきなさい。できるのなら、やってきなさい。逃げるな。

男は命を惜しんだら、そこで負けですよ。



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