荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『ヒメアノ~ル』 吉田恵輔

2016-07-18 23:50:19 | 映画
 『ヒメアノ~ル』は、シリアルキラーの猟奇サスペンス、それからフリーターの一念発起的青春譚、ラブコメディといった複数ジャンルが、絶妙に溶け合っているというよりも、たがいに邪魔し合いながら、空々しい断層を作りだしていく点が非常に面白かった。そしてそうした中和しない各要素——猟奇サスペンス、フリーター青春譚、そしてラブコメディ——が、シネコン向け現代日本映画のクリシェに対する当てこすりにもなっている。
 連続殺人の猟奇性を体現するのはV6の森田剛で、フリーター青春譚は濱田岳とムロツヨシ、ラブコメディは佐津川愛美と濱田岳がそれぞれ受け持っている。彼らの言動ののりしろのような部分に、他のカテゴリーへの橋渡しの契機があるのだが、互いが互いの偵察と監視をしているような構造なのだ。
 シリアルキラーの森田剛にストーキングされた佐津川愛美は、ストーカー被害者としての恐怖と不安に満ちた生活の中で、恋愛も成就させ、ラブコメディのヒロイン役もやりこなしているわけだ。もちろん人の愛は成就されるほうがいいけれども、どうも濱田岳と佐津川愛美だけが、不幸の連鎖のようなこの映画の中で不釣り合いなほどに幸福を享受している。その幸福ぶりがどこか不埒さ一歩手前なものだから、ややこしい。
 現代日本はなにかと「不謹慎」という言葉で他人の不埒さ、不節操を監視し、弾劾する社会に成り果てているが、この映画もそんな構造なのである。シリアルキラーは別に、彼女の旺盛な愛と欲望を叱責するために脅しているわけではないのだが、どうもそうも見えてくる、という嫌らしい構造をこの映画は持っているのである。
 不埒さは、佐津川愛美のコケティッシュな佇まいからも、見え隠れする。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2007)など初期の主演作をのぞけば助演の印象が強い佐津川だが、本作では、そうした嫌らしさを見え隠れさせる難しいヒロイン役を好演したのではないか(欲を言えば、もっとできるはずだと思うが、事務所サイドの制約があるのだろう)。


ヒューマントラストシネマ渋谷等でムーブオーバー
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