荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『あなたの目になりたい』 サッシャ・ギトリ

2016-07-21 09:41:54 | 映画
 サッシャ・ギトリというとついつい、蓮實重彦が梅本洋一のお葬式で弔辞を読んだ際に出てきた、「この日本でサッシャ・ギトリの全作品レトロスペクティヴが実現するまでは、梅本洋一の死を真に悼むことにはならない」という(弔辞としてはやや人を喰った)言葉を思い出してしまう。あれを聴いた列席者の誰もが「それは無茶な注文だ」と心でつぶやいたにちがいない。しかし今、アンスティチュ・フランセ東京(東京・市谷船河原町)でギトリ作品4本がちゃんと日本語字幕まで付いて上映されたという事実――これには賞讃の念しか思い浮かばない。にもかかわらず、今回私が見ることができたのはたった一本、『あなたの目になりたい』(1943)だけである。情けないとしか言いようがない。
 『あなたの目になりたい』は、マックス・オフュルスも顔負けの流麗なメロドラマで、主人公の男女(サッシャ・ギトリ自身と、彼の妻ジュヌヴィエーヴ・ギトリが演じている)の出会いの場となるパレ・ド・トーキョーの美術展会場における諧謔に満ちた絶好調なコメディ演出から始まって、徐々に画面が陰りを帯びていく変調の妙が、なんとも第一級の匠としか言いようがない。
 恋人をみずから振っておきながら、悲嘆に暮れる彫刻家役のギトリが、すがるように自分の美術コレクションを拝み回したり、ロダンの手の彫刻をさすったりするカットの、あふれるような美への殉教ぶりが感動的だ。
 このカットは、映画冒頭のパレ・ド・トーキョーにおける、ギトリがユトリロやルノワールなど、先人たちへのオマージュの言葉を友人と手に手を携えて歩き回りながら、たっぷりと語るシーンと呼応しているだろう。それらの展示作品はいずれも1871年という年号によって集められた特集のようである。フランスは普仏戦争で敗れたが、そのさなかにこれらの傑作が生まれたのだ。敗戦はしても芸術の美によって勝利を挙げた――そのように豪語するサッシャ・ギトリのダイアローグはほとんどモノローグのように響きわたり、誇り高さが強調される。
 パリ・コミューンで殉じなかった(そしてそれは小心者を意味しただろう)芸術家たちによって傑作が生まれ、それによる永遠の勝利がある。ひるがえって自分は、ナチスドイツ占領下のパリで映画を撮っている。灯火管制のために真っ暗となったパリの街を、懐中電灯で足下を照らしながらナイトクラブから家路につく恋人たちの鮮烈なイメージ——トリュフォーが『終電車』を撮りたくなった理由のすべてが『あなたの目になりたい』にある。
 と同時に、サッシャ・ギトリが占領下でドイツ軍に媚びることによって、恵まれた製作環境を維持し得たという影の部分もあるとのことだ。パリ・コミューンで殉じなかった芸術家が生み出した美を讃えるその声には、どうしても自己正当化の色彩も帯びていることだろう。生きるのが困難な時代にこそ、偉大な芸術が生まれる。1871年のパリから1943年のパリは困難さによって結びついた。そしてそれを目撃する私たちの2016年。全世界が影に覆われつつあるこの現代こそ、第2第3のルノワールが、サッシャ・ギトリが、生まれて然るべきである。そうでなければ、なんのための人間世界なのだろう?


9月発売《珠玉のフランス映画名作選 DVD-BOX 2》に収録予定
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