荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

ウディ・アレンのうんち人形

2008-12-20 01:16:00 | 身辺雑記
 帰国してからすでに3日が経過し、スペインで見た4試合のサッカーのこと、ご当地の旨い料理のことなど、出発前には予定していた旅行自慢を書くことも、いささか賞味期限切れのように思える。
 『フットボリスタ』今週号のカバーストーリーで編集長の木村浩嗣が書いていたように、今回のクラシコは、「決して美しい試合ではなかったが、クラシコらしい驚きと興奮があった」と言えるだろう。冷たい雨のなかで選手も観客も私も大変だったが、ラスト10分間のあのテンションは、何物にも代え難い魅力がクラシコにあることを雄弁に証明していたと思う。

 いま、我が家の食卓に鎮座しているのは、バルセロナ・カテドラル前のクリスマスグッズを売る屋台で買った、「カガネール(caganer)」と呼ばれる、高さ10cmほどの人形である。カタルーニャ語で「うんちをする」という意味で、聖母マリアが家畜小屋で出産する場面をかたどったクリスマス模型の片隅に、そっとこの人形を置くへんてこな風習が、18世紀ごろからカタルーニャ地方にはあるそうな。したがってこれは、れっきとした聖なる商品である。
 日本の羽子板のごとく、その年に話題となった人物、サッカー選手や政治家、王室の面々などが「カガネール」のモデルとなるが、私が買い求めたのは、ウディ・アレン。なぜアレンなのかというと、彼は今年、スカーレット・ヨハンソン、ペネロペ・クルス共演の『ビッキー・クリスティナ・バルセロナ』(日本未公開)という新作をバルセロナ市内で撮り上げたのだが、カタルーニャ語版しか製作しなかったものだから、スペイン中央政府=マドリー寄りのメディアの逆鱗に触れたのである。この事実はもちろん、バルセロナ側からすれば快哉ものだったのだろう。返礼としてみごと、うんち人形のモデルに選出された。アレンもまた、期せずして「クラシコ」文化の中に参加した形である。

マドリー、シュスターを解任!

2008-12-10 00:39:00 | サッカー
 クラシコを今週末に控え、バルセロナ市内に滞在している私たちに、衝撃的なニュースが入ってきた。レアル・マドリーの監督ベルント・シュスターが、なんと電撃解任されてしまったのだ。こちらの現在時刻は午後4時半。たった2時間前に、ミヤトヴィッチSDが緊急記者会見を開き、シュスターの解任と、フアンデ・ラモスの監督就任を発表したのだ。国内リーグでは低迷しているものの、まだ逆転可能な勝ち点差だし、チャンピオンズリーグでは16強入りしており、しかもクラシコ直前というこのタイミングでの衝撃人事だ。スポーツ紙「マルカ」のHPではすでに、ミヤトヴィッチSDとフアンデが握手する写真が掲載されている。

 正午時点でこの情報を察知した私たちは、この緊急会見にカメラクルーを差し向けるのに間に合った。それにしても、マドリーも思い切ったものである。新監督のフアンデ・ラモスという人は、セビージャを欧州屈指の強豪に育て上げた熱血派指導者で、昨シーズン途中に、高額オファーに惹かれる形でトッテナム・ホットスパーに引き抜かれたが、今シーズンはスタートに失敗し、最下位に低迷。高額の違約金を受け取って解任を受け入れていた。危機状態の名門を、毀誉褒貶の激しいこの男がどのように救済するか、見ものである。クラシコへの期待を果てしなく膨張させてくれるビッグニュースである。

山崎剛太郎の第1詩集『夏の遺言』

2008-12-07 21:21:00 | 
 慌ただしく過ぎゆく散文的な現在の時間の中で、1冊の詩集との遭遇が私を「過去」または「大過去」に連れ去ってゆく…。東京新聞夕刊に連載されているわが愛読の小コラム「大波小波」で先日紹介されていた、齢80を越える山崎剛太郎の第1詩集『夏の遺言』(水声社)である。若き日に書き留めた詩が、初めて公刊されたのだ。「大波小波」を読んだ翌朝、丸の内オアゾの丸善に出かけて買い求めた。

 山崎剛太郎といえば、私たちの世代にとっては、フランス映画の字幕や『ゴダール全集』の翻訳でお馴染みであった人だ。私の大学在学時にはフランス語の語学教師として勤務しておられていたが、学部が異なるため、私は受講していない。
 戦前戦中に「マチネ・ポエティク」という、フランス象徴詩に触発された青年たちが時局を嫌いつつ、研究室と軽井沢の別荘を往復しながら定型詩を創作した一派が存在したのだが、彼はそのひとりであった。「マチネ・ポエティク」の試みは、時局に勝てずにあえなく霧散したものの、その中からは、先日逝去した加藤周一のほか、中村真一郎、福永武彦ら戦後の知性を輩出した。

 おそらく別の誰かが見い出し、これを出版させたいと強く希望しなければ、永遠に陽の目を見ることなく秘匿されるに任せるのみだっただろう言葉、言葉が、砂浜の貝殻のようにかすかに反響してくる。あるいは、ガラス乾板に塗布された銀塩乳剤のごとく、はかなく消え入ってしまう手前の一閃を見せてくれる。戦前の日本モダニズムがこのような形で、2008年のわれらのもとに、依然として新たなる言葉として届けられようとは。
 先述のコラム「大波小波」の筆者は言う。「かつてデュシャンは、事物が消滅した直後の希薄な感触をアンフラマンスと呼び、美学として提唱した。この詩集はまさにアンフラマンスの万華鏡である。」

スペイン行きの連絡

2008-12-05 17:36:00 | サッカー
 しあさってからスペイン行きである。原稿やらシノプシスやらをやり残しての出発は、誠に心残りであるが、現地ではそうした仕事をこなすのはスケジュール的に無理がある。あちらでは、たった8日間の滞在中に4試合ものサッカー試合を見ることになっている。

1)CL バルセロナvsシャフタール・ドネツク(@カム・ノウ)
2)CL レアル・マドリーvsゼニト・サンクトペテルブルク(@サンティアゴ・ベルナベウ)
3)Liga バルセロナvsレアル・マドリー "El Clásico"(@カム・ノウ)
4)Liga セビージャvsビジャレアル(@ラモン・サンチェス・ピスフアン)

 上3つに視線が行きがちだが、なにげに4だってじゅうぶんに好カードである。しかもこのうち、1と2はおとなしく客席で見るが、3と4は客席ではなく、カメラクルーを連れて、ピッチ上で見るという僥倖ぶりなのである。私は、05-06のロナウジーニョが敵地ベルナベウでスタンディング・オベーションを受けた事件も、06-07のメッシの衝撃的なハットトリックも、クラシコにおける歴史的な場面はピッチ上で目撃してきた。これはいったい、仕事と言えるのであろうか?
 今シーズンは、バルセロナのパスサッカーの充実ぶりが光る。チャンピオンズリーグを制するとまでは行かないかもしれないが、まだ伸びしろが沢山ある感じが楽しみだ。マドリーに故障者が多いのが玉に瑕だが、素晴らしいクラシコになる予感がある。