まるぞう備忘録

無題のドキュメント

頑張れ葛西選手。

2014-02-17 19:19:32 | まるぞうレシピ


ソチオリンピック。葛西選手を応援したいですね。
以下は9年前に葛西選手が語った言葉です。


引用開始==========

―――ジャンプを始めたきっかけは?
(葛西)小学3年生の時、ジャンプをやっていた友達に誘われてやってみたんです。
負けず嫌いなので、友達よりも跳んでやろうと思ったら、いきなり抜いてしまいました。
人より跳ぶ、人に勝つ快感をその時初めて知ったんです。
すぐにジャンプ少年団のコーチが家まで来て、息子さんにジャンプをやらせないかと誘ってくれました。
 ―――天性の才能が見出された。
(葛西)でもジャンプという競技はすごくお金がかかるんです。
うちにはとてもそんな余裕はなくて、親はダメだと。泣く泣く諦めたんですが、親の目を盗んで人が跳ぶのを見に行ったり、跳ばせてもらったり、ジャンプヘの思いは募る一方でした。
間もなく町民スキー大会があって、親に黙って出場したら一位になりましてね。
もらった金メダルを手に、どうしてもやりたいと親に泣いて頼んだら、やっと首を縦に振ってくれたんです。
必要な道具は全部先輩のお下がりを使わせてもらってやりました。何しろうちは、米も食べられないくらい貧乏だったんですよ。
母が朝から晩まで1人で働いて姉と妹と私を育ててくれていました。
電話も引けないし、スーパーにはいつもつけ払いで借金だらけ。そういう中でお金のかかるジャンプをやらせてくれた母には、本当に感謝しています。
いつかオリンピックで金メダルを取って家を建ててあげる。母にはそう約束したんです。
それだけに、絶対に勝たなければならない。夢中で練習しました。
だから中学、高校と、ライバルはいませんでしたね。勝ちまくっていました。
 ―――ジャンプで生きていこうという決意も次第に固まってきたと。
(葛西)1つの転機になったのが、中学三年の時に札幌の大倉山で開かれた宮様大会でした。
そこに私は、テストジャンパーとして出場することになったんです。
中学生が跳ぶことは当時としては異例のことでした。
 ―――初めて体験する正規のジャンプ台はいかがでしたか?
(葛西)ジュニア向けのジャンプ台とは比較にならないくらい大きくて、本当に怖かったですねえ。
とにかく怪我だけはせずに家に帰りたいと考えていたんですが、優勝した選手よりも遠くへ跳んでしまったんです。
「陰の優勝者」と新聞に書かれて随分話題になりました。その時ですね。遠い夢だった金メダルを、現実の目標としてハッキリ意識したのは。
 ―――世界トップレベルの実力は、弛まぬ猛練習の賜物でしょうね。
(葛西)もちろんそれもあります。
しかしそれ以上に、自分を支えてくれる人たちの存在が大きかったですね。
実は、94年のリレハンメル五輪の前年に、妹が再生不良性貧血という重病にかかりましてね。
辛い治療を何度も受けたりドナー探しで大変だったんです。



妹のためにもぜひ金を取りたいと思っていたんですが先ほどお話ししたように銀に終わってしまった。
でも、妹は病気をおして千歳空港まで迎えに来てくれましてね。
誰にも触らせずにおいたメダルを、1番に触らせてあげたんです。
元気になってくれ、という気持ちを込めましてね。
 ―――喜ばれたでしょうね。
(葛西)「ありがとう。次は金だよ」って逆に励まされました。病気の妹に比べれば、自分は何も辛いことはない。そんな妹を支えに、98年の長野五輪へ向けて気持ちを奮い立たせました。
ところが94年の11月、ある大会で転倒して鎖骨を折り、しばらく跳べない状態が続いたんです。翌年の5月頃ようやく完治して、私はブランクを埋めるためにそれまで以上に猛練習に励みました。通常なら3百本跳べば十分といわれる夏に、900本跳んで再起を賭けたんです。
 ―――通常の3倍の猛練習を。
(葛西)しかし、それが逆に災いして、その冬のシーズンで今度は着地の時に足を骨折してしまったんです。
普通に着地したんですが、その途端にコリッと。
練習のし過ぎで、腰や股関節に負担をかけ過ぎたのが原因でした。
それから1年半くらい記録と遠ざかっていたんですが、そんな折に実家が放火に遭いましてね。
母が全身火傷で病院に担ぎ込まれたのです。
 ―――ああ、お母様が全身火傷に。
(葛西)なんとか一命は取り留めたんですが、火傷は全身の70%にも及んでいて、炎の熱で肺も気管も焼けていました。
何度も皮膚移植を繰り返したんですが、結局97年の5月に亡くなりました。
後から入院中に母の書いた日記が出てきましてね。
それを開くといまでもポロポロと涙が出てくるんです。
ああ、辛かったんだろうなあって…。 
貧乏と闘いながら必死で働いて僕たちを育て、ジャンプまでやらせてくれた母には、いくら感謝をしてもし足りません。
金メダルを取って家を建ててあげる約束を果たせなかったのが、本当に残念で……。
入院中の母は、もう手も握れないくらいひどい状態でした。
痛みは絶えず襲ってくるし、死の恐怖と必死に闘っていた。
そんな中で、不調な僕を気に掛けて、励ましの手紙を送ってくれたんです。
 ―――そこに書かれていたことは。
「いまこの時を頑張れ。
絶対におまえは世界一になれる。
お前がどん底から這い上がってくるのを楽しみに待っているよ。」
と。
いまでも大事な大会の前にはこの手紙を読み返します。
見るたびにものすごく大きな力をもらえるんです。

引用終わり==========
http://ameblo.jp/kobaynao/entry-11763609733.html より転載させて頂きました。




心より葛西選手を応援したいと思います。






上記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら

おひさま、ありがとうございます。

今日のひとり言。

2014-02-17 10:00:22 | まるぞうレシピ

今月に入って、ヨメが立て続けに知人の家族が亡くなりお通夜に行くことがありました。
それぞれ大往生だったり、若くしての突然死だったり事情は異なるのでありますが、こういうことは重なる時には重なるものなのでありましょう。

こういう機会でありますので、ヨメには私が死んだ場合はこういう形で葬儀をして欲しいと伝えてあります。
それは我が家が住んでいる地方自治体が提供している葬儀サービスです。

私が父を看取った経験からすると、特に希望がなければ病院と仲の良い葬儀社が選ばれます。
そして松竹梅のコースからどれを選びますか?と問われます。
他の業者と相見積もりをするのは至難の業でした。
私は「相見積もりをするので値段だけ教えてほしい」と連絡したにも関わらず、発注済みということで勝手に斎場まで予約されてしまいました。

お通夜とお葬式は何のためにあるのか、と考えます。
それはまず故人のためです。
亡くなった瞬間は自分が死んだことは気づかないようです。多くの臨死体験を読むと。

うちの父もそうでした。
入院中から早く退院して家に帰りたいといっていました。
その頃から実家のテレビが勝手につく現象が起きました。
私が泊まっていても夜中に何回も居間のテレビがつく現象を体験しました。
父が亡くなって病院から実家に戻ったとき、誰もいなかったはずなのにテレビがつけっぱなしになって父が大好きだった高校野球が流れていました。
その晩も次の日も相変わらずテレビが勝手につく現象が頻繁に起こりますが、お通夜を終えた瞬間にピタっとやみました。
きっと父が自分が死んだことを理解したのだな。と思いました。
自分の遺体と遺影の前に家族が集まって、お坊さんがお経を上げているのをみて悟ったのでしょう。
お通夜という「儀式」は故人のためにあるのだ。とその時私は思いました。

であるならばもう故人となった私のことは手間をかけなくて良いです。
簡単な質素な葬儀で充分です。
お金は生きている人間のために使って欲しいです。

お通夜とお葬式は何のためにあるのか。
一つには故人のためでした。
しかしもう一つには残された家族のためです。
家族は最期の別れだから故人にできるだけのことはしてあげたい。
そのように思うものです。
しかし私はもう亡くなっていますから、質素な葬儀でも豪華な葬儀でも関係ないです。
その気遣いだけでもう充分です。
ですから、私が「質素な葬儀をしてくれ」と家族に言い残すことで、家族は私のために質素な葬儀をしてくれることでしょう。
それが私の家族に対する気持ちであります。


地方自治体の葬儀とはこういうものです。
http://www.city.arakawa.tokyo.jp/kurashi/kurashi/sogi/sogi.html
東京23区ですと、
棺桶と祭壇で10~30万円です。
霊柩車が1~2万円です。
http://www.rinkaisaijo.or.jp/charge/index.html
港区や品川区のような東京湾に近い自治体はりんかい斎場という施設を用意しています。
火葬料金が4万円ちょっと(待合室込み)
葬儀会場が一式で10万円です。


斎場というのは時間があるときにじっくり調べると適切な値段でサービスしているところが実はたくさんあるのですね。
自分の死期というのは、どういう意識状態であちらの世界に移ることになるのか興味津津ではありますが、残された家族はまだまだ浮世のルールに縛られているわけですから、せめて私の葬儀はできるだけ簡素にお願いしますと伝えておきたいです。





上記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら

おひさま、ありがとうございます。