慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

食と健康・美容『炭水化物』

2018年09月09日 | 医療
三大栄養素の炭水化物の働き

 ☆ブドウ糖や果糖などの単糖から、構成されているものを炭水化物と言う
 ☆炭水化物には、2つの働きがある
 *体内に吸収されエネルギー源になる「糖質」
 *消化吸収されずエネルギーにならない「食物繊維」

炭水化物の種類
 ☆炭水化物は構成しているのは単糖の数
 (単糖類、二糖類、少糖類、多糖類)
 ☆少糖類はオリゴ糖とも言い、腸内の善玉菌を増やす効果がある
 ☆多糖類にはエネルギー源となる、でんぷんや、グリコーゲンがある
炭水化物の吸収と働き
 ☆炭水化物は、体内で主に血液中にブドウ糖の形で存在している
 ☆血液中のブドウ糖の濃度が血糖値となります
炭水化物が不足
 ☆人がエネルギーとして使える栄養素は、3種類
 (炭水化物(糖質)、タンパク質、脂質)
 ☆すぐにエネルギーに変えられるのがブドウ糖
 ☆体の中では、グリコーゲンとして肝臓や筋肉の中に蓄えている
 (余分なエネルギーの大部分が、脂肪として体の中に蓄えられている)
 ☆糖質が不足すると、脳や神経への栄養が行き届かなくなくなる
 (判断力が鈍り、注意力が散漫になる)
炭水化物を多く含む食品
 ☆ご飯、パン、麺類などの主食に糖として含まれている
 ☆イモ類などにでんぷとして含まれている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、健康長寿ネットHP、グリコHP






三大栄養素の炭水化物の働き(健康長寿ネットHP・グリコHP記事、ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

河野太郎「ポスト安倍」狙うも弱点あり

2018年09月09日 | 政治家
外交でも成果を上げるが彼を支える若手議員と官僚がいない

 ☆安倍首相が来年参院選で敗北した場合、河野氏の出番が早まる可能性もある
 ☆河野氏を麻生氏か菅氏が担ぎ出すかもしれない
 ☆河野氏をを本気で応援する議員仲間や官僚が出てくるかがカギを握る

外相就任1年で44か国を訪問
 ☆内閣改造で”最大のサプライズ”といわれた河野氏が外相
 ☆父・洋平氏の息子であることから人選を不安視する向きもあった
 ☆現在「安倍後継」の有力候補として注目されるまでになった
 ☆河野氏の最近の口癖『王毅が5年間で270か国を訪問』
 *河野氏は110か国訪問
 *河野氏が中国に追いくのはまだ先の話
 ☆日本と関係が深いのに10年以上も外相が訪問していない国多数ある
麻生&菅が”後ろ盾”になって
 ☆河野氏が「将来の首相候補」として急浮上したのは、外相の実績だけではない
 ☆河野氏の最大の強みは両氏の後ろ盾
 (所属する麻生派の麻生財務相、神奈川県を地盤とする菅官房長官)
 ☆河野氏は、政府のエネルギー政策に批判的な発言を繰り返してきた
 (自民党内でも異端児扱いされていた)
 ☆河野氏を外相に推したのは菅氏だった
 ☆中国や北朝鮮に対し、毅然と反論したことで評価を高めていった
 ☆河野氏初の日中外相会談で、王毅の歴史認識に河野氏反論
 (「大国としての振る舞い方を身につけていただきたい」と)
 ☆河野氏は政策通としても知られる
河野氏官僚を人格否定するほど叱責する
 ☆河野氏は、麻生氏や菅氏など目上には、従順に振る舞う
 ☆河野氏は、若手議員や官僚など”黒子”の人への配慮が足りない
 (官僚からは総スカン状態)
 ☆河野氏をよく知る永田町関係者述べる
 *彼を支えようという政治家も官僚も見たことがない
 *彼の最大の弱点は、常に個人プレーで側近と呼べる仲間がいない
 ☆その点は、ライバルルの小泉進次郎党筆頭副幹事長が一歩リードしている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS9月号』


外交でも成果を上げるが彼を支える若手議員と官僚がいない
(『THEMIS9月号』記事より画像引用)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幕府 元寇 禅宗文化(2)

2018年09月09日 | 歴史
幕府 元寇 禅宗文化

源平合戦の原因はひたすらに後白河院の身勝手
 ☆源平合戦といいますが、当時の勢カバランスでは、源氏は、大きい勢力でなかった
 (源氏が強かったら、平清盛の頼朝・義経への処置が甘すぎる)
 ☆後白河院は無能で我がままな暗君で、平清盛の補佐でなんとか過ごしていた
 ☆源頼政は、後白河院の皇子以仁王と組んでクーデターを試みましたが失敗
 ☆政治の中心はあくまでも後白河院
 ☆頼朝は東大寺大仏の開眠供養で上洛し後白河院と対峙する
 ☆後白河院の死後に頼朝は、征夷大将軍に任じられた
 ☆頼朝の事故死で京都と鎌倉の折り合いが、宙ぶらりで鎌倉の混乱が深まる
 ☆幕府を廃して、朝廷に権限を戻せるとみた後鳥羽院が起こしたのが承久の変
 (無謀だという人が多いのですが、そうは言い切れません)
 ☆北条泰時が「御成敗式目」を制定して、幕府の安定に成功した
大人数があちこちで集団自決した鎌倉幕府の幕引き
 ☆北条家では、元寇の時代を乗り切った時宗が34歳で没した
 ☆北条家との私的な家臣のとの権力闘争で、幕府の弱体化が進む
 ☆両統迭立でなんとか機能していた皇位継承
 (後深草院系の持明院統(北朝)、亀山院系の人覚寺統(南朝))
 ☆北朝の花園天皇が12歳で即位し、皇太子に9歳上の後醍醐天皇がなる
 *後醍醐天皇は、「正中の変」を起こし失敗する
 *後醍醐天皇は、隠岐に流された
 *後醍醐天皇は隠岐から脱出し各地の武士に討幕を呼びかけた
 ☆幕府は源氏の最有力者足利尊氏を派遣しましたが、尊氏は寝返りを宣言
 ☆鎌倉は、新田義貞の攻撃で、鎌倉幕府の関係者870名が自決した
 *足利尊氏は、天皇が送った追討軍の新田義貞を箱根で討つ
 *足利尊氏は、光厳院を担ぎ、楠木正成を神戸の湊川で敗死させた
 ☆後醍醐天皇は、比叡山に逃れ、北朝の光明天皇が即位しました
 (後醍醐天皇は、大和の吉野に逃れ「南北朝時代」が始まった)
足利尊氏は栃木県に行ったことはない
 ☆尊氏は、褒賞の気前のよさや人情味で独特の人気を持っていた
 ☆尊氏を栃木県人と信じている人が多いが、尊氏は足を出み人いれたこともない
 ☆後小松天皇は、6歳で即位した、吉野では、後亀山天皇が即位しました
 ☆その後、明治天皇の裁断で南朝が正統であるとした
明の皇帝独裁に影響された足利義満
 ☆南北朝合一の前後20年ほどの時代は、「日本国王」を名乗った足利義満の絶頂期
 ☆義満は、将軍職を息子の義持に譲り、出家し法皇と同格の扱いを受ける
 ☆義満は金閣を建て、後小松天皇の行幸を迎えました
 ☆義満が死んだとき、朝廷は大上法皇の称号を与えようとした
 ☆義満の姿勢を苦々しく思っていた義持は辞退した
 ☆義持は義満の死後は、現実主義者で義満が政治を行い、明との勘合貿易もやった
 ☆アルコール依存症だった義量の死後は義持がしばく政務をみました
 ☆「黒衣の宰相」らの主導で石清水八幡宮の神前で後継者を決めるくじ引きも行われた時代
 (義持の弟・青連院義円が選ばれて6代将軍義教となる)
 ☆義教は独裁権力を振るいだし、「万人恐怖」の政治を行う
信長より先に上洛した大内義興と三好長慶
 ☆幕府は、将軍義政の弟の政知を鎌倉公方として送り込む
 (抵抗を受け、政知は鎌倉に入れず伊豆に留まったまま)
 ☆義政は幕政への熱意を持たず、東山第での隠居生活に早く移ることを望む
 ☆弟の義視を還俗させて後継者としましたが、日野富子が義尚を産んだ
 ☆義視は細川勝元を、日野富子は山名宗全を後ろ盾として後継者争いに備えた
 ☆斯波、畠山両氏の相続争いもあり応仁の乱が勃発
 ☆京都では、応仁の乱の戦乱からの復興が進んで、商工業の町・下京では祗園祭が復活
 ☆三好三人衆は義維の子の義栄を将軍に擁して、松永久秀や三好義継と対立した
 ☆義栄は、将軍宣下を受けますが、義輝の弟・義昭が岐阜の織田信長に擁されて上洛
 ☆義昭が室町幕府最後の将軍になる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『最強の日本史』


幕府 元寇 禅宗文化(ネットより画像引用)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする