慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

死者が「怨霊」で崇る日本人特有の考え

2018年12月19日 | 歴史
平安時代2

武士の誕生
 ☆土地制度の崩壊とともに、貴族や僧侶による土地の私有化が始まる
 *富裕な貴族や有力な寺が取得した土地は荘園と呼ばれた
 *当時土地の正確な地籍図もなく、土地をめぐる争いは日常茶飯事
 ☆貴族たちは荘園を守るために用心棒のような男たちを雇った
 *彼らは戦いに備えて武装していた
 ☆寺では下級僧侶たちが僧兵として自らを武装していた
 ☆国司として派遣された下級貴族の一部も土地を私物化した
 *それを守るために自ら武装集団化した
 *彼らは、戦闘の専門家となり、家業として受け継がれていく
 *武士と呼ばれる存在となる
 ☆地方に有力な武士が誕生した
 *棟梁と呼ばれる者を頂点とする一族を形成するようになる
 ☆関東を中心として勢力を広げた平氏
 *平氏は、桓武天皇の流れを汲む皇族出身
 ☆摂津を河内を中心に勢力を広げた源氏
 *源氏は、清和天皇の流れを汲む皇族出身
 ☆家格の高さから武士たちの尊敬を集め大きな勢力となる
藤原氏の台頭
 ☆財力を持った貴族が増え、藤原氏の財力はずば抜けていた
 *藤原氏は飛鳥時代の中臣鎌足が始祖
 *鎌足は「乙巳の変」で活躍したことで出世し藤原姓を与えられた
 *藤原氏は、鎌足の子不比等の時代に大きな権力を得た
 ☆藤原氏(北家)は平安時代の中期から、 一族の娘を次々と天皇に嫁がせる
 *天皇の外戚として力を振るう
 *藤原氏の当主は摂政や関白として天皇の代わりに政治を執り行なった
 ☆菅原道真も藤原氏の策略により、九州の大宰府に流された
 ☆藤原氏が最も権勢を振るったのは道長の時代
 *ライバルを次々に失脚させ天下を意のままにした
 ☆藤原道長家に、次々と不幸に見舞われる
 *本人が身体の不調をきたす
 *息子が死に、三人の娘もすべて死ぬ
 ☆藤原道長は、自分が政争で追い落とした者たちの崇りでと恐れた
「崇り」について
 ☆古の日本人は、非業の死を遂げた人は怨霊となって世の中や人に祟ると恐れた
 *疫病が流行ったり、天災が続いたりすると崇りのせいだと考えた
 *怨霊を鎮めるための祭りを行なったり、神社を作ったりした
 ☆怨霊を恐れる思想は、日本人の心の底に根強く残っていて、幕末の頃まで続いていた
 ☆明治維新以後、西洋風の合理主義が入り込んだ
 *現代人は「崇り」や「怨霊」を非科学的なものとして排除するようになった
 ☆明治維新まで、人々の行ないは「祟り」や「怨霊」を恐れたゆえのものであったことが少なくない
平安時代の人々が恐れおののいた「菅原道真の崇り」
 ☆醍醐天皇により、大宰府に流された道真は、2年後に大宰府で亡くなる
 ☆「祟り」は、道真に死後に起きる
 *道真を追い落とした藤原氏の主だった男たちが次々と急死
 *その子供たちも次々と亡くなっていく
 *道真を左遷に追いやった首謀者の藤原時平は、崇りに怯えながら狂い死
 *皇太子までもが亡くなる
 ☆醍醐天皇は道真の怨霊を恐れた
 *道真の左遷を取り消して名誉を回復させたが崇りは収まらなかった
 *醍醐天皇は、朱雀天皇に譲位するが、その7日後に醍醐天皇は崩御する
 ☆朝廷は道真の怨霊を鎮めるために北野天満宮を作る
 *道真の霊を祀って、ようやく祟りは収まった
 ☆その後も、人々は不遇の死を遂げた人物の崇りを恐れた
 *彼らの怨霊を鎮めるために神社を作って、御霊を祀った
 ☆死者が崇るというこの考え方は日本人特有である
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本国紀』








死者が「怨霊」で崇る日本人特有の考え
(ネットより画像引用)



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不安神経症&過敏性大腸症候群

2018年12月19日 | 医療
不安神経症(ストレスが引き金)

真面目だが気分転換が下手な人がターゲット
 ☆有能でやり手、出世街道をまっしぐらの中に気分転換が下手という人も多い
 ☆このような人が不安神経症のターゲット
 ☆不安神経症特徴
 *理由もなく不安感に襲われ、心臓がドキドキして息苦しくなっるなど、過呼吸が特徴
 *発作型(死を予感させるほどの強い発作に襲われる)
 *非発作型(漠然とした不安やイヤな気分のために動悸が続く)
 ☆不安神経症は、各種の神経症の中で多く発症している
 *男性では20~40代
 *女性では20~30代に多い
過剰なストレスや慢性疲労が発作の引き金になる
 ☆不安神経症の発作は、何の前ぶれもなく、何の原因もなく突然起こることが多い
 ☆発作時の症状は、急に心臓がドキドキしはじめたり、呼吸が早くなり息苦しくなる
 ☆なぜ突然に発作が起きるのか原因は解明されていない
 *過重なストレスが蓄積したり、慢性疲労に陥っている場合に起こりやすい
 ☆体に異常はないとはいえ、本人は死を予感するほどに苦しんでいる
 ☆家族や周囲の者が協力体制をとらないとこの病気から抜け出しにくい

過敏性大腸症候群(ストレスが引き金)

ストレスは確実に体の弱点を狙う
 ☆胃に問題があれば胃潰瘍に、腸が弱い人なら過敏性大腸症候群に
 ☆企業のトップにはストレス性の消化性潰瘍患者は意外に少ない
 ☆若い社員や中間管理職の人がストレス性の胃腸の病気などにかかりやすい
心の動きが自律神経を狂わせ、腸の働きを過敏にする
 ☆ストレスにもさまざまな種類がある
 ☆自律神経系に乱れが生じると、腸の運動、分泌、吸収の機能が乱れて便通異常が起きる
 *腹痛や下痢、下痢と便秘が交互に起こるなどの症状が現われる
 ☆過敏性大腸症候群の発症
 *仕事や対人関係からくる悩みから
 *急激な環境の変化、受験への圧迫感、家庭内のトラブルなど
 *過労、睡眠不足、かぜなどの身体的な不調がきっかけ
 ☆特効薬や即効性のある治療法がない
 *症状の改善には時間がかかる
 *ストレスを上手に発散すること
 *消化、吸収のよい食事を規則的にとる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『病気のメカニズムがわかる事典』


不安神経症&過敏性大腸症候群
(『病気のメカニズムがわかる事典』記事より画像引用)



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宮内庁「小和田氏への招待状」に悩む事情

2018年12月19日 | 皇室
小和田氏天皇陛下主催の食事会を無断欠席の前例がある

 ☆お祝いモードに包まれた皇太子ご夫妻
 ☆親族を巡って、船出は波乱含みである

雅子さまもお心を痛められて
 ☆来年の5月1日に皇太子徳仁殿下が天皇に即位される
 *政府はその日を「即位の日」としてゴルデンウィークは十連休になる
 ☆明治以降、年号が変わるときは、前天皇の崩御を受けて新天皇即位
 *お祝いムードだけということではなかった
 ☆今回は、天皇崩御という哀しみがないのでお祝いの色を出しやすい
 ☆宮内庁は、お祝いムードの中で頭を抱えている(皇室ジャーナリスト談)
 *皇太子殿下が雅子さまとご結婚された翌年の正月、親族のみの新年の食事会がされた
 *通常招待状と返信用のはがきを同封して送り賛否を確認
 *小和田さんの場合は、返信用のはがきも出さなかった
 *陛下の招待状を無視するのはさすがに初めてのことだったようた
 *当日はご夫妻の分も料理を用意し、お席も準備しておいた
 *席は空席のままで食事会の雰囲気が白け切ってしまった
 ☆さまざまな会合に、小和田氏だけが参加しない
戦争責任の話をされては困る
 ☆小和田氏は、国連大使時代から「天皇の戦争責任と謝罪」にこだわっていた
 ☆今回の招待各は約2千6百人の予定だ
 ☆新天皇の即位式典やその後の饗宴の儀
 *小和田氏を招待するのか、宮内庁職員は頭を抱えている
 ☆今まで通り無視してくれるのが最も良い
 *晩餐会などで、他の皇族や旧皇族などから今までの非礼を追及される
 *新皇后が心を痛めるだろうし、戦争責任の話をされては困る
中国も小和田氏の発言を注視
 ☆新天皇即位の後、最初の訪問を受けるのは中国の習近平主席
 ☆中国はこれまで、小和田氏の発言を注視
 *新天皇の中国訪問の約束を引き出そうと画策する
 *小和田氏の影響があるといわれる新天皇の発言
皇太子さまと雅子さまとのご結婚
 ☆雅子さまの母方の祖父が公害企業チッソの社長、会長だった
 *縁談は一時、消えた恰好になったが、皇太子さまは諦めていなかった
 ☆小和田氏に大きな影響力を行使できる外務省の先輩、柳谷氏が動いた
 *柳谷氏が小和田氏を説得するのに数か月かかった
 *雅子さまが柳谷氏の自宅を訪れ、皇太子さまと話し合われ結婚に繋がった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS12月号』


小和田氏天皇陛下主催の食事会を無断欠席の前例がある
(『THEMIS12月号』記事より画像引用)


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