「それは違うよ! 雲の絨毯(じゅうたん)の上は晴れてるから…」
悌次はシャワーのように降る雨の空を見ながら明にそう言った。
「まあ、それはそうだな。確かに、晴れているだろうけど…」
「もちろん、僕も実際に見た訳じゃないし、科学的に紐解いただけだから断定はしない」
「雲海の上で寝そべってみたいもんだ」
「ははは…下から先生に尻を引っぱ叩かれるぞ」
二人は視線を落として、また勉強を始めた。算数の教科書に出ている問題について話していたものが、いつの間にか外れてしまったのだ。気づいた二人は慌(あわ)てて教科書の練習問題をノートへ写し、やり始めた。教師の川田はテスト成績が最悪だった二人を放課後、教室に残し、もう一度、教えていた。15分ほどで戻るから、それまでに練習問題を解いておきなさい・・と指示し、職員室へ戻ったのである。川田が教室を出ていったあと、5分ばかりして雨粒が落ち始めた。それが瞬く間に本降りとなり、ザァーザァ~…と喧(やか)しくて仕方ない。明が突然、切れて、やかましぃ~! と喚(わめ)いて、二人の話が始まったのだが、もちろんその間、練習問題は手つかずで放置されていた。教室の時計が川田が戻って来るまであと5分少々を示していた。焦(あせ)る二人だが、根っから勉強嫌いの二人に、すぐ解ける訳がなかった。
「よく降るな…。どうだ、出来たか」
川田が教室へ戻り、二人のノートを覗(のぞ)き込んだ。
「先生! 雲の上は晴れてますよね?」
問題が解けていないのをカムフラージュするためか、明が突然、川田に訊(たず)ねた。不意打ちを食らった格好の川田は怯(ひる)み、ノートから視線を外した。
「…そりゃ、晴れてるだろうな。先生も見たことがないから分からんが、そう思うぞ…」
「父ちゃんは山の上で雲海に昇るお日さまを見たって言ってましたよ。お日さまは、まだ寝てたそうですが…」
「ご来光、直前だな、そりゃ」
「なんでも、その日の下界は、どしゃ降りだったって…」
「まあな、そういうことだ…」
なにがそういうことか分からない二人だったが、問題が出来ていない負い目もあり、頷(うなず)いた。
「よし! もう帰っていいぞ! 問題は出来れば家でしておけ。ははは…それにしても、良く降るなぁ~」
川田は二人の問題が解けてないのは先刻、承知だった。勉強だけが人生ではないことを川田は知っていた。川田は働きながら夜間大学を卒業し、代用教員から本採用となった苦労人だった。雨にも負けず、雲の上へ這(は)い上がった男だった。川田は勉強よりもそのことを教えたかった。
完