水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

不条理のアクシデント 第十六話 二講山[にこうさん]神社の怪

2014年02月23日 00時00分00秒 | #小説

 弘前は山歩きで疲れていた。二講山(にこうさん)の峠を越えればなんとかなるだろう…と歩き始めたのだが、すでに小一時間が経過していた。だが、いっこう峠には出られず、益々、木々が生い茂る山深い奥地へ引きこまれようとしていた。弘前が今までに登った山には見られない異様な気配だった。弘前は少し怖くなってきた。いつもは数人の山仲間と登るのだが、この日にかぎり、一人で出たくなり訪れたのだ。
「妙だな…」
 マップを確かめ、磁石で方角を探ると、間違ってはいない。かといえ日暮れが迫っていた。野宿出来る装備は万が一を考え持って出たから心配はなかったが、どうも辺りの気配が不気味で、こんな所で一夜は過ごしたくない…と弘前は歩き続けた。それでも、どんどん日は傾き、やがて夕闇が弘前の周りを覆(おお)い始めた。そんなとき、弘前の前に一人の老人の姿が遠くに見えた。どう考えても老人がこんな山深い道を歩いているはずがない…と弘前は思った。だが、どこから見ても老人である。弘前が足を速めたため、その姿は次第に近づいてきた。
「あのう…もし! ここは二講山でしょうか?」
 目と鼻の先まで老人の姿が近づいたとき、弘前はその後ろ姿に問いかけていた。老人は歩を止め、振り向いた。
「はい、確かに…。お参りですか?」
「はあ?」
 弘前は意味が分からず、問い返していた。
「ですから、御社(みやしろ)へお参りですか? とお訊(たず)ねしているのです。私はこの先で暮らしております宮司の神下部(かみしもべ)と申します」
 弘前はそれを聞いて、すべてに合点(がてん)がいった。どうもこの先に神社がありそうだ…と思えたのだ。そこに住んでいるなら、老人が辺鄙(へんぴ)な山奥を歩いていたとしても、なんの不思議もなかった。
「いや! そんな訳でもないんですが…。どうも迷い込んだようで、峠に出られないんですよ」
「そうでしたか…。こちらへは正反対ですよ。まあ、もう目と鼻の先ですから、寄っていって下さい。さ湯くらいしかお出しできませんが…」
「どうも…」
 弘前は疲れていたこともあり、素直に老人のあとに従った。
 五分ばかり歩くと、老人の足が止まった。
「ここです」
「えっ?」
 老人は片手で前方を指し示した。だが、弘前の目には木立が深々と茂るただの山地にしか見えなかった。
「よ~く、見なさい…」
 老人に、そう言われ、弘前は目を擦(こす)りながらもう一度、前方を見た。すると、不思議にも俄(にわ)かに霞(かすみ)が棚引(たなび)き、鳥居と御社が現れた。弘前は自分の目を疑った。
「では、私(わたくし)は中でお待ち申しております…」
 老人はそう告げると、スゥ~っと消え去った。弘前は怖ろしさで、思わず疾駆していた。
「おい! 大丈夫かっ!!」
 気づいたとき、弘前は峠道に横たわっていた。どうも、疲れから眠ってしまったらしい。起こされたのは二講山を下山中の男だった。弘前は助かったと思った。さっき現れた老人は夢だったんだ…と思った。
「二講山に神社ってあります?」
「んっ? …そんなもんは、ない。さあ! 早く下りないと日が暮れるぞ」
 藪(やぶ)から棒(ぼう)に何を訊(き)くんだ、こいつは…という顔で、その男は弘前を立たせながら言った。
 日没が迫っていた。二人が立ち去った峠道に、二講山神社のお札が一枚、落ちていた。

                                   完


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