水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《剣聖①》第二十八回

2009年12月01日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《剣聖①》第二十八回
 最近では味噌汁の出汁をとる煮干しの入れ加減も覚えたから、左馬介がそう口を挟む必要もなくなった。この一手間が省けると、左馬介も気疲れが失せる。門弟達が朝稽古を終える迄に賄いの準備を終え、整えておくといった要領も鴨下は日に日に掴み、時の無駄は解消されていた。また嘗(かつ)て左馬介がそうであったように、鴨下も少しずつ道場に馴染みつつあるようであった。賄いの準備を終え、朝稽古へ遅れながらも加われるようになったことで、左馬介も内心、胸を撫で下ろしていた。そうなれば、余裕が全てに生じてくる。技を忘れ、初心で望む剣聖への道も、全てが平静となる心の余裕
から胎動してくるような気がする左馬介であった。
 春の日々も巡り、早や皐月の鯉の吹き流しが葛西の町屋に棚引
く候となっていた。ここ、千鳥屋の瓦屋根にも、その光景は見られた。
「蟹谷さん、もう宜しゅうございますよ。あちらに酒肴を準備させておりますので、楽しんでからお帰り下さいまし。…それと、いつもの
ように僅かですが、包んでおきましたので、どうぞ…」
 主人の喜平は、薪割りに汗する蟹谷へ、そう優しげな声を掛けた。五郎蔵一家との一件があってからというもの、千鳥屋の堀川道場に対する肩入れは尋常ではない。現にこうして、堀川の蟹谷の小事を心よく認めて雇っていたし、丁重な遇(もてな)しまでしていた。


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