世の中には何をやっても不運な男というのがいる。この男、滑山も、その中の一人だった。不運が重なれば、自(おの)ずとやる先が分かってきて引き気味に物事を停滞させる。滑山もご多分にもれず、いつの間にか停滞し、アグレッシブさが消えた低いテンションの男になっていった。
あるとき、滑山が会社帰りの電車に乗っていると、運悪く雨が降り出した。今日は降らないと天気予報が言ってたはずだが、また、これか…と滑山は思った。当然、傘は持っていなかった。電車に揺られながら、駅でやむのを待つしかないか…とも思ったが、やむ気配もなく、雨脚(あまあし)は益々強まり、本降りになってきた。長時間、待つのも嫌だな・・と思え、滑山は駅からタクシーで帰ることにした。運悪く、タクシー乗り場は混んでいたが、それでも40分待ちで、ようやく乗ることが出来た。滑山は後部座席に座ると、ともかくホッとした。
「よく降りますね…」
「えっ!? …はあ」
滑山は間をおいて返した。
「どちらまで?」
「ああ、あのビルの方向へ」
「? 方向って、あんた…?」
運転手は困惑し、不機嫌な顔をした。
「だから、あちらの方へ、ともかく走って下さい」
運転手は渋々、十字路手前でウインカーを点滅させ、その方向へとハンドルをきった。
「で、どの辺りまで?」
しばらく走ったところで、運転手は滑山に訊(たず)ねた。
「ああ、僕が言うから、そのまま走って下さい」
「…はい!」
ええ、走りますよ、あんたは客なんだから…というような気分で運転手は返した。滑山は助手席でいろいろと先を考えていた。自分の考えたことが、ことごとく裏目に出る。とすれば、決断した所で、その真逆に動けばどうなるだろう…と。
「次の通りは?」
「右へ」
「はい」
タクシーは滑山の指示どおりの方向へ進んでいった。滑山は自分で思った逆を口にしていた。右へ・・と運転手には言ったが、滑山の思考は左へと命じていたのだ。そうこうして走っていたタクシーは、ついに工事中で通行止めの標識に出食わした。
「お客さん、Uターンしますか?」
「いえ、ここで結構です」
そう言うと滑山は料金を支払い、タクシーを降りた。運転手は妙な客だ…と首を捻(ひね)り、訝(いぶか)しげな眼差(まなざ)しで車を反転させた。
滑山は通行止めの標識を越えて歩いた。すると不思議なことに、その先には滑山の自宅があった。滑山は帰宅していた。
それ以降、滑山の不運は、ことごとく消え去り、幸せに暮らしたそうである。
完