水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

不条理のアクシデント 第十一話 不運な男

2014年02月18日 00時00分00秒 | #小説

 世の中には何をやっても不運な男というのがいる。この男、滑山も、その中の一人だった。不運が重なれば、自(おの)ずとやる先が分かってきて引き気味に物事を停滞させる。滑山もご多分にもれず、いつの間にか停滞し、アグレッシブさが消えた低いテンションの男になっていった。
 あるとき、滑山が会社帰りの電車に乗っていると、運悪く雨が降り出した。今日は降らないと天気予報が言ってたはずだが、また、これか…と滑山は思った。当然、傘は持っていなかった。電車に揺られながら、駅でやむのを待つしかないか…とも思ったが、やむ気配もなく、雨脚(あまあし)は益々強まり、本降りになってきた。長時間、待つのも嫌だな・・と思え、滑山は駅からタクシーで帰ることにした。運悪く、タクシー乗り場は混んでいたが、それでも40分待ちで、ようやく乗ることが出来た。滑山は後部座席に座ると、ともかくホッとした。
「よく降りますね…」
「えっ!? …はあ」
 滑山は間をおいて返した。
「どちらまで?」
「ああ、あのビルの方向へ」
「? 方向って、あんた…?」
 運転手は困惑し、不機嫌な顔をした。
「だから、あちらの方へ、ともかく走って下さい」
 運転手は渋々、十字路手前でウインカーを点滅させ、その方向へとハンドルをきった。
「で、どの辺りまで?」
 しばらく走ったところで、運転手は滑山に訊(たず)ねた。
「ああ、僕が言うから、そのまま走って下さい」
「…はい!」
 ええ、走りますよ、あんたは客なんだから…というような気分で運転手は返した。滑山は助手席でいろいろと先を考えていた。自分の考えたことが、ことごとく裏目に出る。とすれば、決断した所で、その真逆に動けばどうなるだろう…と。
「次の通りは?」
「右へ」
「はい」
 タクシーは滑山の指示どおりの方向へ進んでいった。滑山は自分で思った逆を口にしていた。右へ・・と運転手には言ったが、滑山の思考は左へと命じていたのだ。そうこうして走っていたタクシーは、ついに工事中で通行止めの標識に出食わした。
「お客さん、Uターンしますか?」
「いえ、ここで結構です」
 そう言うと滑山は料金を支払い、タクシーを降りた。運転手は妙な客だ…と首を捻(ひね)り、訝(いぶか)しげな眼差(まなざ)しで車を反転させた。
 滑山は通行止めの標識を越えて歩いた。すると不思議なことに、その先には滑山の自宅があった。滑山は帰宅していた。
 それ以降、滑山の不運は、ことごとく消え去り、幸せに暮らしたそうである。

                            完

 


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生活短編集 20 もう、いいかい? 

2014年02月17日 00時00分00秒 | #小説

 功太は四人の仲間と、かくれんぼで遊んでいた。魚屋のみっちゃん、乾物屋の文ちゃん、八百屋の良夫君、肉屋の進の四人である。
「もう、いいかい?」
 今日は母親の和江に買物を頼まれていたから、寄り道をせず早めに戻ろうと、功太は買物を済ませたのだが、いつもの遊び仲間に見つかり、つい遊んでしまったのだ。誰も盗らないのが分かっているから、功太は買物袋をベンチの上へ置いて遊び始めた。缶けりから始まり、ケンパ、ビ―球と進み、すでに二時間が経過していた。そして今、かくれんぼである。ジャンケンに負けて鬼になった功太は途中抜け出来なくなっていた。
「ま~だだよっ!」
 目を隠し声を出した功太に割合、大きな声が複数、返って来た。こう言われれば、待たざるを得ない。実のところ、功太の心は急(せ)いていた。早く帰らないと和江に何を言われるか分からない。当然、それは叱られることを意味した。だから、気が急いていた。本当は、ケンパが終わったとき、帰ろうとしたのだ。そのとき、進が呼び止めたのだ。あとは、ズルズルと流されていた。こういう決断力のなさは父親似に違いないと功太には思えた。けれど今は、そんな流暢(りゅうちょう)なことを思っているときではない! と、功太は、また声を出した。今度は一回目より少し大きめにした。
「もう、いいかい?!」
「ま~だだよっ!」
 少し遠退いた複数の声が返って来た。声の大きさからして、もう一回くらいかな…と、功太は思った。
「もう、いいかい?!!」
 しばらくして、功太が三回目の声を出した。
「もう、いいよぉ~」
 功太は、よし! と目を開けて走ろうとした。だがそのとき、功太の目の前には母親の和江の姿があった。
「もう、よかないわよ! 功太」
 功太の前には、親鬼の怒った顔があった。功太は隠れようと走った。

          
                 完


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生活短編集 19 待ってました!

2014年02月16日 00時00分00秒 | #小説

 ここは、とある鉄道の駅前である。一人の男が、どこからともなくやって来て、地面にドッカ! と腰を下ろした。そして、じっと動かず、数時間ばかり佇(たたず)むと、またどこかへ消え去った。この珍事が来る日も来る日も続いていた。初めのうちは見て見ぬふりで放置されていたが、その男は何をしているのか? と不審に思った誰かが駅に通報し、駅側もついに重い腰を上げ、駅員に職務質問させることにした。
「あんたねぇ~、こんなところで何しとるの?」
「… ?」
 男は駅員の問いかけの意味が分からないのか、怪訝(けげん)な眼差(まなざ)しで駅員を見た。
「だからね! あんた何してるのかって訊(き)いてるのよ」
 次第に駅員の語気も強くなった。
「別に何もしてないよ。座ってちゃ悪いかね?」
「… わ、悪くはないさ。悪くはないけどね、ここは駅の出入り口が近いからね」
「近いから、なんなの?」
「だからさ。通る人がね、気味悪がってさ…」
「それはその人の考え過ぎでしょうよ。だいいち、ここは駅の敷地内じゃないでしょ? 業務妨害でもないし…」
「そりゃ、そうなんですけどね…」
「だったら、いいじゃないですか。しばらくすれば、いなくなるんですから…」
「… まあ、いいですがね。早く去って下さいよ。私も、こんなこと言いたくないんですけどね。上から言われたんで言ってるだけなんですよ。悪く思わないで…」
 駅員は這々(ほうほう)の態(てい)で足早に去った。完全な駅員の空振り三振である。男は気分を害したのか、しばらく仏頂面だったが、やがていつもの柔和な笑顔に戻った。そして数時間が経つと、その男は立ち上がって尻に敷いていた風呂敷を畳み、駅前から消え去った。男はその場を去る前に、『来ない…』と、意味なくいつも呟(つぶや)くのだった。
「おい! また来たぞ」
 いつの間にか駅員の間でその男に三公と渾名(あだな)がついた。とても忠犬ハチ公まではいかないや…と失笑された挙句の渾名である。そして、十年の歳月が流れた。
「おい! 七(しち)公が来たぜ…。あいつは感心な奴だ。誰かを待ってるに違(ちげ)ぇねえんだ…」
 十年の間に巷で評判になったその男は、三公から七公にまで渾名が昇格していた。そんな寒いある日、自転車に乗った一人の店員が男のところへ息を切らせてやって来た。手にはラーメン用のおかもちを持っている。
「へいっ! お待ちっ!!」
「待ってました! でも、かかっちまったねぇ~、10年だっ!!」
「すみませんねぇ~、お客さん。つい混んでたもんで、忘れちまって…」
「まあ、いいさ。急ぐ人生でもないしね…」
 そう言うと、男は店員に金を支払った。おかもちからラーメンを出しながら金を受け取った。
「待ってますから、冷めないうちに食っちまって下さいよ」
「寒いなか、悪いね!」
「いえ~、待たせましたからね」
 二人は顔を見合わせ、大笑いした。そのあと、男はフゥ~フゥ~と吹きながら、熱いラーメンを美味(うま)そうに啜(すす)った。遠くで駅員二人が、その光景を眺(なが)めていた。
「やっぱり三公だぜ、ありゃ…」
「いやいや、そこまではいかんだろ」
 二人は顔を見合わせ、大笑いした。

                            完


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生活短編集 18 小判

2014年02月15日 00時00分00秒 | #小説

「あのう…これなんですが、お幾らくらいするもんでしょうか?」
 とある銀行の窓口に現れた中津登志子は、恐る恐る女子行員に訊(たず)ねた。バッグの中から女子行員の前に差し出したのは一枚の小判である。
「えっ! …ちょっ、ちょっとお待ち下さい。専門の者をお呼びいたしますので…」
 そう言うと、女子行員は席から立ち上がり、足早に奥へと消えていった。しばらくして、男子行員を伴って女子行員は戻ってきた。
「お待たせいたしました。この者に変わりますので…」
 男子行員は置かれた一枚の小判を手にして驚いた。
「あの…失礼ですが、これをどちらで?」
「はあ、実はですね。昨日、年末の大掃除をしておりましたら、蔵から壺に入ったこれが出てきたんですよ」
 登志子は、ありのままを一部始終、説明した。それによれば、この小判が壺にはまだ数百枚、入っているという。鑑定用ルーぺで小判を見る男子行員の顔色が少し変わった。
「驚きましたね。…これは、慶長小判金に間違いありません! お訊(たず)ねの件でございますが、小判は金(きん)としてのお値段と、骨董(こっとう)的価値としてのお値段が異なります。もちろん、骨董的価値の方が相当高うございますが、慶長小判金の場合、市場価格の相場取引では最低でも70万はいたしますでしょうか。むろん、今も言いましたように最低価格でございます。当行では生憎(あいにく)、この手の商品は取扱いをいたしておりません。プルーフ貨幣とかの金貨などは販売、買い取りをさせていただいておりますが…」
「そうなんですか…」
「あのう…お売りになるつもりでございますか?」
「いえ、そういう訳でもないんですけど、家においておきましてもね~。値打ち物なら金庫とかに入れとかなきゃなんないし…」
「お売りがご希望なら、骨董商がいろいろございますから、そちらで…。一度、役所の方とかでもご相談なさっては、いかがでしょうか」
「有難うございます。そういたしますわ…」
 なんと親切な行員だろう…と思いながら、登志子は小判を大事そうにバッグへ入れると、お辞儀をして銀行を出た。
 中津家へ戻った登志子は驚いた。家の表門の前は多くの報道陣が取り囲んでいた。登志子には、その訳が分からない。これかしら? とバッグを見たが、まさか…と思えた。このことを知るものは家族の者しかいない。まさか夫が…とは思えた。その可能性が、なくはなかった。久彦は口下手だから、うっかり洩らしたとも考えられる。そうだとすれば仕方ないわ…と思いながら、登志子は少し離れた横の通用門へと迂回(うかい)した。しかし、そこにも報道陣はいた。
「あっ! 奥さまですか? 発見された壺のことを少しお訊(き)かせて下さい!」
「あの…私は、なにも知らないんです、本当に!」
 登志子は逃げるように家の中へ駆け込んだ。
 次の日の朝、新聞やテレビ各局が中津家の壺の話題を賑やかに報じていた。
「派手に出てるな。俺のせいだ、申し訳ない。つい、口が滑(すべ)っちまったんだ…」
 夫の久彦は新聞を見ながら登志子に謝った。
「仕方ないわよ。一枚70万以上だって。…ってことは、に、2千万以上!! ど、どうする、あなた!」
「どうもこうも…これもご先祖様の助けだ! 建て変えたこの家の住宅ローンが完済できるぞ!」
 数日後、報道陣を前に記者会見が行われた。フラッシュが激しく焚かれる中、壺を挟み満面の笑みで会見に臨んだ二人だったが、壺を開けた途端、中の小判は忽然(こつぜん)と消えていた。そして、壺の中には一枚の紙に炭書が認(したた)められ入っていた。
- やはり、お主(ぬし)らには任されぬものと心得ござさうろふ この金子(きんす)は子孫のため預かりいたすべくさうろふ 借財は自らをもって返却されるべしと思ひ致しさふらふ ━
 二人は唖然(あぜん)とした。候文(そうろうぶん)は後日、口語訳され、一般に公開された。
「こんなことって、ある? 信じらんない!!」
 登志子の鼻息は荒い。
「俺も信じられんが、消えたものは消えたんだ。見つからなかった、と思えばいいじゃないか」
「まあ、そうだけど… …」
 30年後、住宅ローンは無事、完済された。それと時を同じくして、壺の中に、ふたたび小判が現れた。二人はそのことを知らない。

                             完


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生活短編集 17 そろそろ 

2014年02月14日 00時00分00秒 | #小説

 宮園家では、世間では到底考えられない古くからの伝統があった。家風として代々、大切に守り継がれてきた行事である。とはいえ、それは神仏とはまったく関係がなかった。
「おい凌翔(りょうしょう)、そろそろ、あの準備をな…」
 すでに隠居して滅多と姿を現さない白髭(しろひげ)を蓄えた凌幻(りょうげん)が今年、古希を迎えた息子の耳元へ小声で呟(つぶや)くように言った。
「心得ております、父上…」
 凌翔も心に留めていたのか、素直に頷(うなず)くと、スクッと立ち上がった。そして、片隅に置いた古い木箱から一足の白い草鞋(わらじ)を取り出した。そして、厳(おごそ)かに両手で頭上におし頂くと、畏(かしこ)まって頭を畳につけ、一礼した。このときから宮園家の古式的行事は始まったのである。
「そろそろ、草鞋も編(あ)まねば…。お前も見ておくとよい」
 一礼を終え、白草鞋を白紙の上へ静かに置いた凌翔に、凌幻が静かに語った。
「父上は、まだまだ…」
「いやいや、もう歳じゃによって、万が一のこともあろうゆえのう」
 凌幻は息子へ諭(さと)すように続けた。そしてヨロヨロと立ち上がると、白紙の上の草鞋を手に取り一礼して両足に履(は)いた。
「家族の者達を呼びなさい」
 凌翔が去り、しばらくすると子供を含む五人が凌翔に続いて現れた。凌幻の妻、凌翔の妻、そして凌翔の三人の子である。それを見届け、凌幻は白髭を撫でながら静かに告げた。
「揃ったようだな…。そろそろ、始めるとしよう。皆、その隅へ座りなさい」
 凌幻に命じられた家族全員は、片隅で一列に正座した。凌幻が両手をパシッ! と叩いたのを合図に、賑やかなロック調のリズムが部屋に響き始めた。音を自動感知してスイッチが入るシステムである。凌幻はもの凄いフリで踊り、やがて胸元から取り出したマイクを片手に絶叫してロック曲を唄い始めた。

                            完


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生活短編集 16 ご神杖[しんじょう]

2014年02月13日 00時00分00秒 | #小説

 篝火(かがりび)が煌々(こうこう)と焚かれ、村のあちらこちらで火の粉を舞わせて輝いている。霊験あらたかな先万(さきよろず)神社の例大祭である。このお社(やしろ)の例大祭は一週間、夜っぴいて行われる伝統行事だ。ご祭神は一本の杖(つえ)である。洩れ聞くところによれば、昔々、一人の杖をついた老人がこの村へやってきて、神のお告げを言うと杖を残し、たちどころに消え去った・・という言い伝えがあった。それから先、この村では時折り起こる干ばつがなくなり、万物の豊穣(ほうじょう)の年が続いた。村人達は老人が神の化身に違いない、と固く信じた。そして、その老人が残した杖を、ご神杖(しんじょう)と崇(あが)め、御社(みやしろ)を奉納して祭った・・とも言い伝えられていた。
 いつの時代にも心善(こころよ)からぬ者はいるものである。このご神杖である杖の言われをどこで耳にしたのか、一人の男がこの村へやってきた。村人達は最初、不審がったが、悪さをする訳でもなく、交番の巡査も手出しができなかった。その男はホームレスのようにこの村に住みついた。哀れがってその男に食い物を与える村人もでて、月日は流れていった。そして半年後、神社の例大祭がやってきたのである。宮司が祭礼準備でご神杖を検(あらた)めようと御神箱を開けると、中に入っているはずの杖が忽然(こつぜん)と消えていた。宮司は驚愕(きょうがく)し、そのことを村の総代に伝えた。
「ええっ!」
 総代が腰を抜かして驚いたのは申すまでもなかった。それと相(あい)前後して、この村に住みついた男は姿を暗ましたのだった。村人や交番巡査が口惜しがったのは言うまでもない。ところが、男はひょんなことで捕まった。ご神杖を盗んで悦に入っていたその男は、その日以降、眠れなくなったのである。眠れない日々が続き、ついに男は痩(や)せ衰えた挙句、村へご神杖を返しにフラフラと舞い戻ったのだった。
「どうか、眠らせて下さい!」
 交番に現れたその男は、盗んだご神杖を巡査の前へ差し出すと開口一番、懇願(こんがん)するようにそう言ったそうである。この話には後日談がある。捕われたその男は改心し、罪を償(つぐな)ったあと、この神社で宮司の下男(しもおとこ)をしている。男の話によれば、よく眠れるようになった代りに、杖で頭を軽く叩かれる夢をよく見るそうである。夢ならいいと思えるが、痛いそうだ。
 夜も更け、篝火の輝きも一段と際(きわ)だってきた。今年も賑やかな御祭礼が繰り広げられている。下男が篝火の薪(まき)を足している姿が見える。

             
                完


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生活短編集 15 友ちゃん

2014年02月12日 00時00分00秒 | #小説

 執事の私(わたくし)が申し上げるのも畏(おそ)れ多いのでございますが、皆月(みなづき)友子ちゃんは今年、人生で初めてお金というものをお使いになられました。といいますのは、かねがね一度、使ってみたい・・と思っておられたのでございますが、今まで欲しいものはすべて、お付きの婆や、美苗が買ってくれましたから、その機会には恵まれなかったのでございます。その美苗と友ちゃんは同い年で、今年で96才でございます。あっ! 言わせていただきますが、ちゃん・・呼ばわりは、友ちゃんのかってのお願いなのでございます。ですから私は敢(あ)えて友子さまとはお呼びせず、友ちゃんと言わせていただいておる訳でございます。
 お正月ということもあり、友ちゃんは久しぶりに美苗とお芝居見物にお出かけになられました。といいましても、一般社会の私達とは少し異なりまして、スケジュールのすべては一週間以上も前にすでに決められていたのでございます。決めたのは友ちゃんご自身ではなく、皆月家で企画課長を務める山崎という老人でございました。この辺(あた)りを、もう少し詳しく申しますと、山崎は決裁印を押しただけで、企画立案したのはその配下の五人います企画課所属の若いお付きだったのでございます。では、友ちゃんは何をされたのか? ということになりますが、友ちゃんは、お芝居見物に行きたいわね・・と、婆やの美苗に呟(つぶや)かれただけだったのでございます。美苗は、『ほほほ…左様でございますわね。そのように手配させることにいたしましょう』と答えたのですが、それが、かれこれ十日ばかり前のことでございました。
 もちろん、お芝居見物だけではございません。企画立案されましたスケジュールには様々な行程が分刻みの表に纏(まと)められ、それを実行する責任者として運転手を兼(か)ねた外出課長の川端が命じられたのでございます。誰に命じられたのか? これも詳しく申しますと、友ちゃんのご子息で今年、喜寿を迎えられました長男の文雄さまでございました。行程表には当然、お食事やお買いものetc.の予定も入っておりますから、それはそれは緻密(ちみつ)な企画立案でございました。だから、友ちゃんがお金など使える訳がございません。では、どこで? 何に? という疑問に突き当たる訳でございますが、それをこれから詳しく語りとう存じます。
 賑(にぎ)やかにお正月を盛り上げるお獅子の音曲(おんぎょく)が心憎いばかりの演出でお二人の耳に聞こえております。これも、すべて企画課員による分単位の立案でございました。
「お天気もこのように穏やかに晴れ、ようございました…」
「そうね、婆や…」
 お芝居を見終えられた友ちゃんは、すでにご予約のお手配がされております会員制の超高級レストランへ婆やの美苗と向かわれたのでございます。そのレストランへは、すでに幾度(いくたび)も足繁くお通いになっておられますから、数分ばかりの道中でございますが、いつものことのようにスムースな時の流れが続いていたのでございます。ところがその日に限り、俄(にわ)かに友ちゃんは尿意を催(もよう)されたのでございます。事後に記された外出課長、川端の報告書によりますと、そのとき川端は少し離れた駐車場で待機していたようでございます。これも離れていたという責めが川端にあったのか? を吟味いたしますと、友ちゃんに、『いいわ…』と、お言葉を受けた旨を書き記(しる)しておりますから、強(あなが)ち、過失があったとは言い難い訳でございます。いつも駐車場で待機していたということもございますから、川端を責めるのは、ちと酷(こく)というものでございましょう。で、俄かに催された友ちゃんに婆やの美苗も驚き、慌(あわ)てふためきました。いつもは、左様なことが起こる状況など皆無だからでございます。美苗は、辺りを見渡しました。すると幸い人気(ひとけ)のない草むらが数メートル向こうに見えたそうにございます。歩いておられたのは、川の堤防伝いの小道でございましたから、なるほどと私(わたくし)も合点いたしたようなことでございました。
「見て参ります!!」
 と、言い放ち、美苗は小走りでその草むらへ下りて参りました。しかし、友ちゃんご自身は、すでに我慢の限界が来ておられたそうにございます。上手い具合に自動販売機が近くにございました。友ちゃんはこの時とばかりに、少しの貨幣をポシェットから出されたたそうにございます。友ちゃんは財布を持っておられません。友ちゃんの財布は婆やの美苗が保管しているからでございます。だから、いつの日か一度、お金を使いたい・・と思っておられました友ちゃんは、密かに硬貨を隠し持っておられたのでございました。それが丁度、このとき! とばかりに絶好の機会で訪れた訳でございます。友ちゃんは硬貨でペットボトルを買われますと、すぐに中身を捨て、その中へ用を足された・・ということでございます。婆やの美苗が、「お嬢さま、大丈夫… …?」と堤防を昇り、戻って来た折りには、事はすべて終わっていたと、そのような報告がございました。

              
                完


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生活短編集 14 屋上にて

2014年02月11日 00時00分00秒 | #小説

 すがすがしい行楽日和となった五月のゴールデンウイークである。連休ということもあり、世間では例年の交通ラッシュが起きていた。田所はそんな世間に嫌気がさし、マンションの屋上で青空に流れる雲を眺(なが)めていた。彼の横には地上に向かって釣り下げられた一本の釣竿があった。糸の先にはドーナツが餌(えさ)代わりに付けられていた。餌は何でもよかったのだが、下から舞い上がる風圧を考えてのことだった。田所は屋上で釣り気分に浸(ひた)っていたのである。この光景は尋常ではない。ただ、辺りに人の気配はなく、田所一人という状況のみを考えれば、強(あなが)ち異常とも言えないものがあった。屋上へ釣竿を持ち込んで地上に向かって糸を垂らそうと、取り立てて妙なことではない。他人がいて、その状況を見れば確かに違和感はあり、まともな者の所作とは思えないのだが、誰もいないのだから違和感は生じなかった。では、田所はどういう気分で糸を垂れていたか・・ということである。彼の頭の想念は鯉幟(こいのぼり)ならぬ鯉釣りだった。
 田所は心地よくなり瞼(まぶた)を閉ざしたが、時折り目を開けては竿の具合を弄(まさぐ)った。だが彼は竿の先は見なかった。想念の邪魔になるからである。想念では、ほどよい大きさの池のほとりにいて、竿を垂れているのだ。水面(みなも)には時折り、鯉が跳ねていた。
「オッ! かかったか!」
 竿がしなる微音に、田所は跳ね起き、叫んだ。次の瞬間、田所は釣竿を握りしめていた。糸の先には、強風に煽(あお)られたのか、切れて飛んできた隣家の鯉幟が引っかかっていた。
「こりゃ、大物だっ!」
 田所はニタリと笑い、したり顔になった。

           
                完


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生活短編集 13 でました!

2014年02月10日 00時00分00秒 | #小説

 ここは都会の片隅にある繁華街の裏通りである。時折り、酔っ払いが漫(そぞ)ろに通り抜ける片隅で、吉川は八卦(はっけ)の易者稼業を今夜も続けていた。夜風が袴(はかま)の裾(すそ)を撫(な)で、その冷たさに、今夜はこれくらいにしようかと椅子から立ち上がった、そのときである。フラ~リ・・フラ~リと、どこから現れたのか、酒に寄ったホステス風の若い女が、ドカッ! と客椅子に座った。
「なにっ!? あんた、私じゃ視(み)られないっていうの?」
 吉川は長年の感で、性質(たち)の悪い客に捉(つか)まったな…と額(ひたい)に皺(しわ)を寄せた。外見からして、かなりの酩酊状態である。吉川は、『酒癖が余りよくないようだ…』と、占い師の直感で推断した。
「あっ! そんな、つもりじゃ…。ど~れ、拝見させていただきましょうかな」
 そう言いながら、吉川は慌(あわ)てることなく、ゆったりと、ふたたび椅子へ腰を下ろした。
「分かりゃ、いいのよ!」
 女はそう言うと、サッ! と右の手の平を広げて吉川の前へ差し出した。
「で、何を?」
「私さぁ~、どうも男運がないのよねっ! これさっ! …なんとかなんない! アアッ! 腹が立つぅ~~!!」
 女が急に叫び出し、差し出した手の平を引っ込めた。吉川は、『うわっ! 最悪だ…』とテンションを下げた。
「お客さん、落ちついて!」
 吉川が宥(なだ)め、女は不承不承(ふしょうぶしょう)、まあいいわ…みたいな顔をして落ちつくと、もう一度、手の平を吉川の前へ差し出した。その速さが緩慢になったのを見て、吉川は、『まあ、なんとかなりそうだな…』と思ったが、自分は手相は見ないことに気づいた。しかしまあ、女は酔っている・・と女の手の平を取ると覗(のぞ)き込んだ。手相を見ながら、吉川は筮竹(ぜいちく)は、そのあとでいいか・・と頭を働かせた。
「お客さん… … でてますな。おやっ! 五日後に出逢われる男の方があなたを救う・・と、でている。まあ、私の専門外ですから、当てにはなりませんがな。では、専門の方で…」
「ふ~ん、五日後ね…」
 女は絡まず受け流したから、吉川はホッとした。ここからは自分の専門分野である。女の手を離すと、筮竹を両手に握りしめ、吉川はいつもの呪文めいた気合い言葉を呟(つぶや)いた。
「ウウッ~!! でました! 男運は、あなたに、まったくありません。あなたの男運はすべて暗剣殺!」
「そうか。やっぱ、駄目なのね…」
 先ほどの語気はどこへやら、女は淋しそうに静かに立つと見料を支払って立ち去った。夜風が冷たくヒュウ~~と鳴った。吉川は立つと、小忙しく道具を仕舞い始めた。
 その一週間後の夜、この前の若い女が、またどこからか現れた。酒に酔った気配はなく、表情も素である。
「おや、この前のお客さん…」
 吉川は自分の方から女に声をかけた。
「易者さん、有難う。五日後さあ、素晴らしい男性に出会ったのよ。私達、結婚することになりそう!」
 女は急に快活に微笑むと、軽くお辞儀して立ち去った。吉川は言葉を返せなかった。本職の筮竹の八卦が外れ、適当に言った手相占いが当たったからだった。吉川はテンションを下げ、酒を飲みたい気分になった。

                            完


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生活短編集 12 勝負なし

2014年02月09日 00時00分00秒 | #小説

 ここは空手道場である。負けても負けても性懲(しょうこ)りもなく稽古に通う年老いた一人の男がいた。名を野真省次郎と言った。名からすれば凄腕の剛の者に思えるが、実際の腕はからっきしで、今までの試合で勝った試しのない男である。しかし、ただ一つ、他の者を凌(しの)ぐ根気強さが野真にはあった。この男、十五の年から空手を始めていたのだが、すでに五十年近くが過ぎ去ろうとしていた。弱いくせに強がって他の者との試合を望んだ。この日も朝早くから道場へ通い、いかにも自分が師範代かのごとく振舞っていた。師範代の寺内も年功のある野真には多くを語れず、一目(いちもく)置いて彼に従った。
「野真さん、今日はどなたと?」
「もうじき来るだろう。いつものように軽く腕を見てみよう…」
 野真は負けても、相手に負けたとは思っていなかった。軽く相手の技を探るため、わざと負けてやった…と、他の門弟達に言い放つのだった。実際は、完全にやられているのである。ところが、「ふふふ…なかなか、やるのう…」と、こう野真は嘯(うそぶ)いた。野真の心中は勝負なしの気分なのだ。誰が見ても、あんたが負けだろ? という散々な結果なのだが、彼はそう思っていなかった。
 小一時間ほどして、佐々(さっさ)正之助という大男が現れた。今日も野真さん、散々に…と誰もが思い、試合が始まった。
「お願いいたす!」
 声だけならもの凄く強そうな野真が、佐々にお辞儀をした。
「お手柔らかに、お願いいたします」
 佐々も低姿勢のか細い声でお辞儀をし、試合が始まった。結果は約2分で決した。もちろん野真がボロボロに負けたのは言うまでもない。
「なかなか、やるのう…。まあ、今日はこの辺にしておこう」
「有難うございました!」
「おお…。まあ、勝負なし、ということだな、ははは…」
 勝ったはずの佐々が負けたはずの野真に深々と頭を下げた。いつもの光景だから、試合を見守っていた門弟達も、取り分けて不思議がる様子もなかった。
 そしてある日、ついに野真の勝つ日がやってきた。その日も野真は、いつものように相手に対していた。もちろん相手は師範代の寺内でもかなわないと思える剛の者だった。ところが、異変が起こった。野真が構えた瞬間、相手は急におびえ出したのである。そして、野真が胴着に手先を振れた瞬間、相手は自ら、吹っ飛んだ。
「参りました!!」
 ヨロヨロと立ち上がった相手は、息も絶え絶えに野真にそう言った。野真は一瞬、自分の前で何が起こったのか信じられなかったので驚いた。相手の空手に払われて倒れるはずだったからである。それが、勝ったのだ。野真は穏やかな声で言った。
「態(わざ)と負けていただくとは有難い。…まあ勝負なしということで、お願いいたします」
 野真は相手に対し、深々と頭を下げた。

                           完


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