「草木の苦しみ悲しみ
を、人は知らず。」
(沢庵)
栗や柿の身に苦しみや悲しみがあることを人は知らない。
しかし、なんらかのサインを出しているものだ。
水が欲しいとか、枯れて倒れそうだとか。
草も同じである。
また、草木も人は苦しみも悲しみもあるとは思っていないだろう。
このように、他人の事は見えないものである。と沢庵和尚は述べています。
そのためには、どうしたらよいのかと、常に考えていた人でした。
聖人は苦を喜びといいます。
成長するための力となるからでしょうか。
振り返れば皆様も、
昨年は何かと苦しみ悲しみに堪え忍んできたかと思います。
それが、孟宗竹のように、太い節になったのです。
倒れない強い人間に育ったのです。
強い心になったあなたの言葉には力があることでしょう。
作日弟から電話があり肝臓にまで転移していて手術出来ないと連絡がきました。
残念です。残りの命を励ます為に東京に行ってきます。「神の国」への切符を手にした喜びに気づけば良いのですが。
悲しみの中からいい言葉が浮かびますように
祈願