生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

にちにち草

2016-07-26 03:40:58 | 日々の暮らし
休みでしたが、花屋さんで買ってきた

にちにち草の鉢を

施設のベランダに並べました。

お年寄りは花が好きですね。

とても喜んでくれました。
良かったです。

「にちにち草」で
思い出しました。

何十年前になりますが、入院していた知り合いのお嬢ちゃんに
贈った言葉がありました。




『ぁぃりちゃんはママと


お花の種を家の回りに


いっぱいまきました。


隣の家の花壇にも


まいちゃった

ぁぃりちゃんは


だめよ!

そんなとこに


まいちゃ!




ママに叱られちゃった


初めは楽しくて


毎日お水を


あげていましたが


ひと月たっても芽が出ないので


あきらめたぁぃりちゃんは

すっかりお花の事を


忘れてしまいました。




二月めの夏休み



家の回りには


たくさんの可愛い花が


咲き出しました。



ぁぃりちゃんは


思い出しました。



種をまいたことを



そして



水をあげなかったことを



後悔しました。



ごめんね、ぁぃり忘れたの


これからは忘れないからね


お隣のおばさん


びっくりしてた


覚えのない

にちにち草が


いっぱい  咲いたから


白い花びらの真ん中が



薄い赤がついた


可愛い花が いっぱい


咲きました。



お隣のおばさんも


喜んでくれたので




ほっとした



ぁぃりちゃんでした



家の回りいっぱい



花が咲き



とても明るくなり



心も身体も明るくなった



ぁぃりちゃんでした。


病気早く良くなって


元気になってください』


おじちゃんより。


花言葉は

友への思い。幸福。

『災難や病気は

大きなものを

手にするための

小さな痛手です』

(ヒマラヤ秘教)


今日の佳き日に

合掌
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戒老録

2016-07-25 05:09:38 | 日々の暮らし
私はいま、曽野綾子(85歳作家)の戒老録(かいろうろく)を読み始めています。

私は学生時代旦那の三浦主門の英米文学のゼミ(15名)を受けていました。

曽野綾子さんや遠藤周作さんの話を聞けるかと思って専攻したのですが、

あてがはずれて、厳しい宿題と質問攻めにあう苦労した1年でした。(答案用紙の返却の時、点数を読み上げて返す嫌な性格でした。私は頑張っていつも90点以上でしたよ)

まあ、そんな訳で美人作家の曽野綾子さんを身近に感じていたので、晩年へのアドバイスになると思い

聖書や法華経や古典の徒然草のような教えと思い購入しました。

「ひとりで遊ぶ癖をつけること」の章。

年をとると、友人も減っていく。

体が悪くなって共に遊べる人も減っていく。

見知らね町を一人で見に行くような孤独に強い人間になっていなくてはならない…。


「草木の世話」の章。

草木の世話ばかりしていると早くボケる。
草木は黙って育つか、枯れるので、本質的に厳しい精神的な働きを必要としない。

人間の心を把握することのほうが難しさは比べものにならない…。


なかなか面白いので、自分の為に読みます。

皆様にはまだまだ先のことですから興味ないでしょうね。

さて、始めて私のブログに来た方が、感銘したとコメント残してくれる方や、

通りすがりの者ですが、そんなこと言ったって突然事故にあったらそんな事いえますか?

とコメントして行く方がいます。

前から読んで頂いている方なら分かっていると思いますが。

人は大きな自然災害や不慮の事故に出会うと、なすところなくうろたえてしまいます。

そんな時、どうしたらいいでしょうか。

代表的な言葉として
良寛の言葉があります。

『災難にあう時節には災難にあうのがよいのです。

死ぬ時節には死ぬのがいいのです。

これはつまり、災難を避ける最もよい方法なのです』

良寛が新潟の大地震にあって、死者1443名、全壊家屋9808軒、焼失家屋1204軒という大惨事にあい、かろうじて生き延びた時の言葉です。

じたばたしないで、死ぬ時は安じて死ねばいい。
常日頃からそういう覚悟を持って生きるそれこそが万全の対策となり、生き延びることにつながる。

何事も受容(受け入れる)の精神が必要と説いています。

今日の佳き日に


合掌






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平和への夢

2016-07-24 21:24:57 | 日々の暮らし
無事夜勤明けました。
いろいろご心配ありがとうございました。


さて、世界各地でテロリストによる一般人の犠牲者が出ています。

前に書き留めたある少女の詩をみつけましたので紹介したいと思います。

1996年3月パット・ヘン15才の詩です。
彼女の誕生日にパレスチナ人の自爆テロの犠牲になり亡くなりました。

彼女の詩

「わたし、国のために祈っています。
この美しくいい国には、花もあるし、木もあるし、蝶々もいるし、
なんでも、あります。

この国に欲しいのは、
ただひとつ、平和です。
わたしは、それが本当に欲しい。

どうして平和にならないの、お母さんに聞いても、こたえません。

ただ、わたしの頭をなでるだけ。

テロのニュースをきくと、私は不安で、気分が悪くなる。
だから、お母さんに聞かないではいられません。

いつ平和になるのって。

わたしは、平和になる日を待っています。

わたしは呼んでみます。

平和さーん、きて、きてーっ、
呼んでも呼んでも、
平和はなかなかやってきません」

パット・ヘンちゃんのお母さんは広島を訪れております。

ひなぎくのような花に

「パット・ヘン」

という名前がつけられました。

その花言葉は

平和への夢です。

それを読み返しています。

彼女の夢は

まだまだ遠いですね。

聖書のマタイ18-3に

『子どものように

ならなければ、

天の国に入る

ことはできない』


とあります。


彼女の思いが


かなえられますように

夜勤明けにプールで泳いで来ました。

夏休みで子ども達の

笑顔が一杯でした。


水に戯れるだけなのに


これが、

平和なんですね。


合掌
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草枕

2016-07-23 02:41:34 | 日々の暮らし
昨日は昼休みに3階のお年寄りに書道を教えに行きました。

先週食堂がある3階に行った時に、後ろから車椅子を全力で走らせながら、
先生!と
声かけて来たおばあさんがいました。

書を教えて下さいと。

それで、昨日彼女のユニットに行きました。

右手が使えなくて、左手に筆を持たせ介助して書きました。

書き初め用の和紙に、
希望される字を書きました。

「健康祈願」「家内安全」と。

お部屋に貼りました。

すごく嬉しそうでした。
約束が果たせてホットしました。

そこで、夏目漱石の
「草枕」を思い出しました。

『山路を登りながらこう考えた。
智に働けば角が立つ。
(理性で動こうとすれば、ぎすぎすして穏やかに暮らせない)

情に棹(さお)させば流される。
(人間の感情はコントロールできなくて、感情に流されてしまう)

意地を通せば窮屈だ。

とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。

どこへ越しても住みにくいと悟った時、

詩が生まれて、画(え)が出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。

やはり向こう三軒両隣りに、ちらちらするただの人である。

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。

人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。』

漱石は、人は意地を通すものだから住みにくい。
だからと言って、どこへ行っても同じだ。

ならば、安らぎや喜びといった精神的安定を得るために、詩や絵といった芸術に親しむようにすればいい。

そうすれば、人の世界も決して悪いものではないと言っています。

あのお年寄りも体が不自由になり、仕方なく集団生活の中で窮屈にがまんしながら生きていたのでしょう。
 
その安らぎになったんだ。

あの笑顔見てそう思いました。

「生きる覚悟」
禅の悟りとは、いつでも、どこでも死ぬる覚悟ができることだと思っていたが、よく考えてみると、それは大変な誤りで、いかなる場合でも、平気で生きることであることがわかった。
(正岡子規)

と述べています。

夏目漱石も正岡子規も禅の心も、

人生の生き方を

教えていると思います。

何かの気づきになれば

良いのですが。


土曜は夕方から出勤の夜勤です。

朝方亡くなる人が続いています。

無事朝を迎えられますように願いたいものです。

皆様には佳い日で
ありますように。


合掌
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生きる力

2016-07-22 02:41:08 | 日々の暮らし
歴代首相の指南役で漢学者、「平成」の元号の発案者といわれる
安岡正篤(やすおかまさひろ)はこういっています。

「歴史は繰り返す。

たいていのことは古典の中にある。

何千年もたっているのに、人間そのものの根本は少しも変わっていない。

自分が創意工夫し真理を発見したと思っているが、

それは大変な錯覚で、すでに古典にのっていることを知らないのだ」

私も人生の迷いがあったときは、古典を読み救われていますから

この言葉に同感しています。

人の悩みは万葉の時代と何にも変わっていないからです。

古典を急に読みたくなりました。


徒然草の年を取るほど深みが増す楽しみより
(第21段)

「どんなに複雑な心境

の時も、月を見つめて

いれば心が落ち着くものだ。

ある人が、月ほど面白いものはないと言い、

別の人が、
露(つゆ)のほうがもっと素敵ですよと言って争ったのは興味深い。

どんなことだって素敵に変化していくのだ。

風もいいねえ。

水も素晴らしい。

誰もいない水辺や草の

きれいなところを

ひとりでさまよい歩くのは最高だ。

これほど心が慰められることはないねえ」

後世に誰かが

「花の美しさを楽しむことは子どもでもできる。

もう少し大人になると、月の輝きを楽しむようになる。

さらに人生経験を重ねてくると、

ただ白いだけの雪を楽しむことがてきるようになる」

と言ってます。

これから雪月花という言葉ができたのかもしれません。

悩みや辛いとき、自然と触れあい心を癒されることが必要だと

古代の人が教えています。


私はまだ、雪の白さより

月の輝きがすきですが。

「君(きみ)がため

惜(を)しからざりし

命さへ

長くもがなと

思ひけるかな」

(藤原義孝・後拾遺和歌集)

あなたへの想いがかなうなら命も惜しくなかったが、それがかなった今となっては、
逆に生きながらえたいと思うようになった。

天然痘で21歳で亡くなった美青年で仏の道も励んでさまざまな芸事に秀でていたので、将来を嘱望されていたスターだった。

恋しい人を残していく無念さを感じます。

古代の人も精一杯生きているのだから、

私達も負けずにへこたれずに生きましょう。

ラジオから、物まねのコロッケさんが、
売れなくて苦労している時に、

母さんからの手紙に

「あおいくま」という言葉を送って来たと言ってました。

あ せるな

お こるな

い ばるな

く さるな

ま けるな


と書いてあった。
「あおいくま」は
私に勇気を与えてくれましたと。

立派なお母さんですね。
生きる力になれば
ありがたいです。

合掌
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