昨日は昼休みに3階のお年寄りに書道を教えに行きました。
先週食堂がある3階に行った時に、後ろから車椅子を全力で走らせながら、
先生!と
声かけて来たおばあさんがいました。
書を教えて下さいと。
それで、昨日彼女のユニットに行きました。
右手が使えなくて、左手に筆を持たせ介助して書きました。
書き初め用の和紙に、
希望される字を書きました。
「健康祈願」「家内安全」と。
お部屋に貼りました。
すごく嬉しそうでした。
約束が果たせてホットしました。
そこで、夏目漱石の
「草枕」を思い出しました。
『山路を登りながらこう考えた。
智に働けば角が立つ。
(理性で動こうとすれば、ぎすぎすして穏やかに暮らせない)
情に棹(さお)させば流される。
(人間の感情はコントロールできなくて、感情に流されてしまう)
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、
詩が生まれて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向こう三軒両隣りに、ちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。』
漱石は、人は意地を通すものだから住みにくい。
だからと言って、どこへ行っても同じだ。
ならば、安らぎや喜びといった精神的安定を得るために、詩や絵といった芸術に親しむようにすればいい。
そうすれば、人の世界も決して悪いものではないと言っています。
あのお年寄りも体が不自由になり、仕方なく集団生活の中で窮屈にがまんしながら生きていたのでしょう。
その安らぎになったんだ。
あの笑顔見てそう思いました。
「生きる覚悟」
禅の悟りとは、いつでも、どこでも死ぬる覚悟ができることだと思っていたが、よく考えてみると、それは大変な誤りで、いかなる場合でも、平気で生きることであることがわかった。
(正岡子規)
と述べています。
夏目漱石も正岡子規も禅の心も、
人生の生き方を
教えていると思います。
何かの気づきになれば
良いのですが。
土曜は夕方から出勤の夜勤です。
朝方亡くなる人が続いています。
無事朝を迎えられますように願いたいものです。
皆様には佳い日で
ありますように。
合掌
先週食堂がある3階に行った時に、後ろから車椅子を全力で走らせながら、
先生!と
声かけて来たおばあさんがいました。
書を教えて下さいと。
それで、昨日彼女のユニットに行きました。
右手が使えなくて、左手に筆を持たせ介助して書きました。
書き初め用の和紙に、
希望される字を書きました。
「健康祈願」「家内安全」と。
お部屋に貼りました。
すごく嬉しそうでした。
約束が果たせてホットしました。
そこで、夏目漱石の
「草枕」を思い出しました。
『山路を登りながらこう考えた。
智に働けば角が立つ。
(理性で動こうとすれば、ぎすぎすして穏やかに暮らせない)
情に棹(さお)させば流される。
(人間の感情はコントロールできなくて、感情に流されてしまう)
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、
詩が生まれて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向こう三軒両隣りに、ちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。』
漱石は、人は意地を通すものだから住みにくい。
だからと言って、どこへ行っても同じだ。
ならば、安らぎや喜びといった精神的安定を得るために、詩や絵といった芸術に親しむようにすればいい。
そうすれば、人の世界も決して悪いものではないと言っています。
あのお年寄りも体が不自由になり、仕方なく集団生活の中で窮屈にがまんしながら生きていたのでしょう。
その安らぎになったんだ。
あの笑顔見てそう思いました。
「生きる覚悟」
禅の悟りとは、いつでも、どこでも死ぬる覚悟ができることだと思っていたが、よく考えてみると、それは大変な誤りで、いかなる場合でも、平気で生きることであることがわかった。
(正岡子規)
と述べています。
夏目漱石も正岡子規も禅の心も、
人生の生き方を
教えていると思います。
何かの気づきになれば
良いのですが。
土曜は夕方から出勤の夜勤です。
朝方亡くなる人が続いています。
無事朝を迎えられますように願いたいものです。
皆様には佳い日で
ありますように。
合掌