生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

満足という冠

2016-07-16 04:49:40 | 日々の暮らし
人は浅い眠り(レム睡眠)と、深い眠り(ノンレム睡眠)を交互に繰り返して睡眠しているといいます。

このレム睡眠の時に、昼間聞いた人を思い出しました。

私がこの施設に入った時からいたおばあさんが病院で昨日、

朝亡くなったと聞いたからです。

書道が好きでした。

暴力旦那が亡くなってホッとしたと話していました。

糖尿病で両足首切断して寝たきりでした。

夜勤の時、頑張ってるねと声かけに行きました。

ご冥福をお祈り致します。

また、SKD(関西の宝塚、東京のSKD)のダンサーが昨日朝亡くなったのを夜勤者が発見しました。

学生の頃有楽町に良く観に行きました。

そう嬉しいわ!

と喜んでくれました。

今日は私の夜勤の番です。

何か続くものですから心配になりました。

「杞憂(きゆう)」という言葉があります。

余計な心配をすること。
取り越し苦労をすることをいいます。

昔、中国の周の時代に杞の国という小国がありました。

大変気の小さい男がいて、天地がいつひっくり返るかと、そればかりを考えて恐怖にとりつかれて、物もろくろく食べないありさまでした。

そのうち夜も眠れなくなってしまいました。

友人が心配して訪ねて来ました。

こう言って恐怖の種を取り除いてやったといいます。

「天は気体の集まったもの。

われわれはその中で呼吸をしたり、体を動かしている。

地というのは、土のかたまりで世界の果てまで続いている。

われわれはその上を歩き回っているわけだ。

そんな天と地が引っくり返るはずがないではないか

男はそれを聞いて安心したという。」

この時、杞憂(余計な心配をすること)という言葉ができたといいます。

さて、今日目覚めた私の心に響いた言葉は

『若い女は美しい、

しかし老いた女は

もっと美しい。』

(ホイットマン・草の葉の美女の一節より)

『冠は心に在る。

頭にはない。

ダイヤモンドやインド石で飾ってもなければ

目に見えもしない。

わたしのは「満足」

という冠だ!』

(シェクースピア・ヘンリー四世より)

『君の路を行きつくと

よき満足がある。

しかし初めに満足する者は

先へ進まない。』

(リュッケルト・ドイツの詩人)

皆様も満足の冠を

戴く為に


今日も精一杯


生きましょう。



合掌
コメント
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