私はイエス様に色々話し掛けました。
「貧しい人を救うには。悩み苦しみ戦争、病気…。」
すると「あなたにはそれはできません。」と聞こえました。
私は言いました、イエス様はできたでははありませんか?
なぜ私にはそれができないのですか?
イエス様は「それはあなたが一人でやろうとしているからです。」
「あなたがたくさんの人の力を借りればそれはできるでしょう。」「その時イエスは力を貸すでしょう。」
そんな問答をしました。
皆の力が悩める人や世界的感染病や独裁者を抑える力になるのでしょう。
その時イエスは力になると。
皆さんの声が世界を、あなたを平和にするのです。
皆様に感謝。
電話やメールをしようとした人から、電話やメールが来たことがあると思います。
偶然の一致を「シンクロ二シティ」と呼びます。
これは宇宙からのメッセージと言われています。
私はこのようなことがよくある人は、ソウルメイト(魂の伴侶)の仲間と感じています。
ソウルメイトとは愛によって永遠に結ばれている人達のことで、幾つもの人生で何回も出会いを繰り返している仲間のことをいいます。
ソウルメイトはいつも一緒に地上に生まれて来ては、さまざまな人間関係を作り出し、お互いの学びを助け合っています。
大好きな人も、大嫌いな人も、どちらもきっとソウルメイトなのだと思います。
すべての人を大切にすることができたとき、私達の地球での学びは終わりとなり、ソウルメイトに感謝しながら肉体を脱ぎ捨てて、次の学びのステージに進むのです。
この世は魂を磨く場所なのです。愛や思いやりが深くなり慈悲深さ、謙虚さ、慎み深さが増して来たら、それは、魂が磨かれている証拠です。
魂を磨くには年齢をかさねるとは限りません。
サミエル・ウルマンの詩「青春」に
青春とは人生のある
期間をいうのではなく、心の様相のことで、優れた創造力、たくましい意志、燃える情熱、勇敢な冒険心などを持っている状態のことだそうです。
年を取ってもそのような気持ちを持っていれば、いつまでも青春というわけです。
私はそれに、好奇心旺盛な人と、夢を諦めない人を付け加えます。
自分は年だからと自分を制限する気持ちが老いを呼ぶのです。
ここで出会った貴方と私はソウルメイトなのです。
次の世でもまた出会うのです。
私は昨晩机に向かっていたら、棚から一冊の本が落ちて来た。
聖書だった。
驚いて開かれたページを読みました。
「聖水」のことが書いてありました。
「ピリポは人々に聖水を授けた。主の霊はピリポを連れ去られた。人々は喜びながら帰っていった。」
(使徒の働きB-31)
私は自分が作った草花や小枝を使いフランスのルルドの水を使った聖水を災い除けとして人々に掛けていました。
それはイエスに救われた人なのです。
あなたが救った訳ではないのですよと言われた。
ありがとうございます。
皆様にもあなたの神様の光と水が守ってくれますように祈願しています。
「君(きみ)がため
惜(を)しからざりし
命さへ
長くもがなと
思ひけるかな」
(藤原義孝・後拾遺和歌集)
あなたへの想いがかなうなら命も惜しくなかったが、それがかなった今となっては、逆に生きながらえたいと思うようになった。
天然痘で21歳で亡くなった美青年で仏の道も励んでさまざまな芸事に秀でていたので、将来を嘱望されていたスターだった。
恋しい人を残していく無念さを感じます。
古代の人も精一杯生きていたのだから、私達もコロナに負けず、へこたれずに生きましょう。
チベット仏教だったか、『縁起空』(えんぎくう)という言葉があります。
この世は全て縁というものでできている。
悪い事があってもこれまでの良かった事のお返しをしたと思えば楽になるでしょう。
これを縁起空といいます。
いいことばかり続かない不幸があるから幸せの有り難さを知るのです。
先日お年寄りのお世話をしている時、貧しくて人様に言えない事をたくさん経験した。
ご飯がなくて茶碗に外降る雪を詰めてお醤油掛けて食べていた。
美味しかった。
あの苦労があったからいまは幸せだよ。
『嫌な事も何かの縁』 (沢庵)そう考えれば道は拓けるものです。
縁があって私達も皆さんと出逢ったのです。
感謝しております。
これからもよろしくお願いします。