小学校2年生になる前、友達のゆうちゃんがいなくなってしまった
ゆうちゃんは僕より体は大きかったけれど、一学年下だった
幼稚園では、年少組で同じクラスだった
家も近いし優しかったので、時々遊びにも行ったりした
市内で一番大きな八百屋さんで、家は結構羽振りもよかった
僕が1年生の時、ゆうちゃんが「家にはカラーテレビがある」と言った
さっそく見に行ったら、テレビ画面の前に色のついたカバーが付いていた
これがカラーテレビか、なんだかよくわからないなと思った
僕はゆうちゃんが引っ越したのを知らずに過ごしていた
おじいさんが女川町の出身で、長男家族だけを残して女川に帰ったのだそうだ
ゆうちゃんはおじいさんの次男の子供だったそうだが、そんなことも知らなかった
このことは小学校を卒業する頃に、母から聞いた
その時は、あまり気にも留めなかった
東日本大震災の後、女川の名前をよく聞くようになった
ゆうちゃんは元気でいるのだろうか
母は、女川の名前が出るたびに「ゆうちゃんのいるところだねえ」とつぶやく
僕はゆうちゃんの名字も名前も知らないことに気付いた
ゆうちゃんは僕より体は大きかったけれど、一学年下だった
幼稚園では、年少組で同じクラスだった
家も近いし優しかったので、時々遊びにも行ったりした
市内で一番大きな八百屋さんで、家は結構羽振りもよかった
僕が1年生の時、ゆうちゃんが「家にはカラーテレビがある」と言った
さっそく見に行ったら、テレビ画面の前に色のついたカバーが付いていた
これがカラーテレビか、なんだかよくわからないなと思った
僕はゆうちゃんが引っ越したのを知らずに過ごしていた
おじいさんが女川町の出身で、長男家族だけを残して女川に帰ったのだそうだ
ゆうちゃんはおじいさんの次男の子供だったそうだが、そんなことも知らなかった
このことは小学校を卒業する頃に、母から聞いた
その時は、あまり気にも留めなかった
東日本大震災の後、女川の名前をよく聞くようになった
ゆうちゃんは元気でいるのだろうか
母は、女川の名前が出るたびに「ゆうちゃんのいるところだねえ」とつぶやく
僕はゆうちゃんの名字も名前も知らないことに気付いた