春休みなので子供たちが大声を出して遊んでいる
庭の南側、槇の垣根沿いに狭い路地がある
そこを
かくれんぼをしている男の子が走る
女の子も走る
声を抑えて
身を隠して
隙間からあちらを覗いている
みんな健全に育っている
昨日、数年ぶりに75回目の献血をした。
市役所に用事で行ったら、玄関にO型、A型の血液不足と書いてあったからだ。
用事を済ませ、まず受付。
献血カードが見つからないので、新たに作成していただいた。
受付の質問用紙の内容が以前とは大分変わっていた。
献血車に乗り、まずは看護婦さんの採血。
次に、横に座る医師の血圧測定と面談質問。
献血席が空いていないのもあったのだろうが、医師との会話が長かった。
それというのも、私のアフリカや中国での長期滞在記録を注目したからだ。
エボラ出血熱に感染したことはないかと訊く。
マラリアになったことはないかと訊く。
サーズに感染しなかったかと訊く。
感染したかどうか、そんなことは分からない。
少なくとも症状は起きなかったと答えた。
ウイルス性の病気は怖いのだと言う話になった。
お互いに会話を楽しんでいたともいえる。
面談が終了した後も、医師は採血の看護婦を相手に、延々と続けていた。
私は飲み物をいただき、採血開始。
400ccを4分とちょっとで終了した。
いつも通りよいペースだ。
総てが20分で終了した。
私の後にも3人が献血に来た。
心温かくなった。
いつも通り、ストレッチ体操・発声練習
15分間のコールユーブンゲン、本日はNo.23のDとEをやった
初見がずいぶん上達してきて、音程もシンコペーションによる強弱もなかなか
曲は「白百合」と「家路」を合わせた
指揮者が休みなので私が振る
「白百合」は転調の音取りとヘ長調の部分が不安定
今日で三回目の合わせ、しかも初めての人が二人もいたので仕方ないかな
「家路」は大分曲らしくなってきた
この曲は昨年の秋頃からだからずいぶんやっている
音取りに2か月以上掛かってしまった
大曲だから仕方ないか
8時半からは演奏会のための企画会議を行った
骨子は決まり、曲目も数曲決まった
楽しい演奏会になりそうなので、是非いらして下さい
演奏会場と日時は5月の会場抽選会で決まる予定
福岡県は北原白秋の故郷「柳川」です。
男声合唱の名曲、多田武彦先生の男声合唱組曲「柳川風俗史」を歌ってきます。
平均年齢60余歳、男性7名の珍道中となるでしょう。
学生の時以来、2度目です。
福岡は食べ物も安くておいしいので楽しみだな。
天気に恵まれますように。
そう思う方が多いと思いますが、私の地方は月遅れの雛祭りです。
4月4日に片づけるまでの10日間、部屋が少し華やかになります。
女の子の節句とお思いでしょうが、私も、息子も、亡くなった父も雛人形を持っています。
お内裏様のセットだけですが。
娘だけは供揃いの七段飾りです。
今年の卒団生は15名、チームとしてよくまとまっていました。
試合の後、六年生だけで反省会をする姿を何度か見ました。
お互いに励ましあい、協力する姿は心温まるものがありました。
でも、この六年生達も入団当初は違いました。
大半は3年生までに入団しました。
実はこの時期の子供は大変なんです。
3年生の前後をギャングエイジと呼びます。
自信満々で、悪いことを平気でするようになります。
怖いもの知らずで、自信家達が張り合のです。
怒鳴り散らす、喧嘩する。
そして、叱るとふてる。
そんな子たちが徐々に成長しました。
自制ができるようになり、思いやる心も育ちました。
そして、今日を迎えそれぞれが過去を振り返り、将来に向かって夢を語ってくれました。
その一瞬・一瞬を想い出すたびに涙が出てしまったのでしょう。
その年、その年で成長具合も仲間意識も異なります。
しかし、子供たちは確実に成長します。
この成長を見るのが楽しみで、続けられるのです。
夢に向かって、精一杯走り続けよう。
おめでとう
予定通り、1時間20分ほどで終わりました。
始めて間もなく、5年のトシが来て、手伝ってくれました。
いろいろ話もできました。
大きな水たまりから少しずつ水をスポンジで吸い上げます。
彼がぽつんと言いました。
さっきから全然減っていないみたい・・・
マラソンと同じだよ、最初の一歩を踏み出さないと始まらないだろう
「走りきるぞ」と意志を持ってやればゴールテープを切れるんだよ
ゴールした時の「やった」という気分が気持ちいいんだ
コツコツやるしかないんだよ
このまま放っておいたらどれくらいで乾くの
天気にもよるけれど、一日か二日で乾くよ
でも、こうして水を吸い上げておけば明日は朝から気持ちよくサッカーができる
グランドのコンディションが良いほうがいいだろう
雨が木曜日に降ればよかったんだね
今から水の吸い上げに行ってきます。
スポンジを使っての人海戦術を、今日は一人でやる予定。
1時間強の作業になるでしょう。
時には子供が見に来て、手伝ってくれたりします。
その時の会話も楽しみです。
普段と違う顔を見せてくれるから。
今日は晴れているし、風も強いから
水溜りさえなくなれば、明日は気持ちよく卒団メモリ試合が出来るでしょう。
では、
お手伝い大歓迎・・・
行ってまいります。
今更、現役の時のように仕事をする気はないが、活動は一生続けたいと思っている。しかし、一昨日工場見学しながらアドレナリン分泌を感じたのは何故なんだろう。今の私はもっと別のことに興味を持って、それに向かって活動を始めようとしているのに・・・。この疑問が頭の中でもやもやしていた。
結論をそんなに急ぐべきではないが、何となく感じたことがある。
私は三十路を迎える直前にようやく普通の仕事に就いた。退職するまでの30年余りは成長し、変化に富みとても充実していた。その理由の一つに、ほぼ5年単位で20余年間、全く異なる種類の仕事をさせて頂いたことだ。商品開発、商品企画、事業企画、研究開発が主たるものだ。その間、多くのビジネス本を読み、子育てに悩んで心理学の本を読み漁り、海外出張を重ね、仕事のやり方を180度転換させもした。恵まれすぎていた。そして現役最後の10年を迎えることになる。
誰でもそうだろうか。私はそれまで積み重ねた経験や知識を社会のために還元すべき時が50代だと考えていた。そして、その通りの仕事ができたと思っている。中国で4年間ほど活動し、後輩を育て、仕事のシステムを整えた。それはそれで充実していた。けれども、その10年ほどの期間は前の20年に比べて熱くはなかった。言ってみれば、わが身の脂肪を燃やしながら活動している、そんな感じだったのだ。
知識を吸収したり、斬新で多様な経験を積んだり、所謂学んでいることは夏の陽射しに似ている。心も開放し、瞬間的な嫌なことは山ほどあっても、あの光に包まれていればいつも癒されている気分だ。明るいのもいい。それに比べ最後の10年は冬の時代だった。冬そのものは決して嫌いではない。銀世界の無限を感じる拡がりは大好きだ。雪国育ちではないが、雪に囲まれた室内での雑音のない世界も好きだ。囲炉裏の火の赤も素敵だ。掘り炬燵での団欒も楽しい。
このように考えることは、今までの私の仕事人生を象徴しているようだ。自分に課せられた環境を善しとして受け容れ、その中で最大限の努力をする。でも、身体は正直なものだ。私は夏の開放が好きだったんだ。一昨日の工場見学には若いころの熱さを感じさせるものがあり、私の第六感を刺激していたのだろう。久しぶりに感じたこの癒しの感覚を、私は今日からどう処理していくのだろう。
自分に問いかけよう。「おい君、君は一体何をやりたいんだ?」