とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

「フセイン、最後の戦い」(2-2)――アメリカ単独攻撃への道

2008年03月13日 17時43分25秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
第2章 フセイン、最後の戦い
.........................(引用はじめ)..................................
2 空中分解する国連(2)

    単独攻撃への道
 だが、国際的反戦の盛り上がりは、アメリカの対イラク攻撃の意志を曲げさせることはなかった。変化があったとすれば、国際社会との協調を訴えるパウエル国務長官の外交努力が「失敗」とみなされ、その分、国防総省が全面的に戦争遂行の準備に邁進していった、という点であろう。パウエル国務長官は、フランスなどが主張していた、二段階方式に立ち戻ることにした。反戦ムードで包まれた国連の様子を見て、「イラクの決議違反、即武力行使」と判断するには、さすがに無理があると考えたのである。

 2月24日以降、米英とスペインは改めてイラクに対する武力行使を容認する新決議の起草を始めたが、これに対する安保理理事国の反応ははかばかしくなかった。それどころか3月1日には、米軍が基地利用で頼みの綱としていたトルコで、米軍の領内駐留を拒否する国会決議が採択された。これは、北部方面からの対イラク軍事作戦が大きく制約を受けることを意味する。

 ますます孤立していくなか、ブッシュ大統領は6日、とうとう「イラクに対する軍事行動は国連決議に縛られない」と発言して、最終的には単独行動であっても戦争を実行することを明らかにした。

 翌日に提出された査察団の再追加報告は、やはり「査察継続」を求めるものであり、アメリカと国連の対イラク軍事行動をめぐる姿勢は、ここに正反対の方向を向くことになったのである。
 そのなかで、パウエル国務長官は最後まで国連決議の道を模索していた、武力行使容認決議案の修正を何度も行い、安保理理事国に対する説得工作を行っていた。この時期、安保理理事国の中でも途上国をとりこもうとして、アメリカとフランスの間で援助合戦が繰り広げられていたことは、よく知られている。

 しかしこうしたアメリカの最後の努力に対して、フランスは3月10日、「拒否権の行使」を明言して戦争に反対した。これを受けてアメリカは、17日で外交交渉を打ち切ると宣言、同日夜にはフセイン政権に対して、「48時間以内にフセインとその2人の息子たちが国外に出ることがなければ、軍事攻撃を開始する」との最後通告を行った。アメリカとその「30数カ国の有志連合」という位置づけの、「連合軍」だけで武力行使を行う、との決断をしたのである。そして同じ日、最後まで査察を続けていた国連査察団がイラク国外に退去した。アナン国連事務総長は、「決議なく軍事行動を行うことは国連憲章違反だ」と表明したが、散々利用された後に塵くず同然に無視された国連の言い分など、もはや誰も耳を傾けていなかったに違いない。

  (中略)
  
  聞き届けられない声
 ブリックスのUNMOVIC委員長としての任期は、戦争終結から2ヵ月後の6月末に終わっている。任期終了に当たって、彼は「本当はイラク政府は殆どの大量破壊兵器をすでに廃棄していたのではないか」と回顧している。それこそ、97年の報告書が伝えていることである。そのことがなぜ、戦争前に大声で伝えられなかったのか。
 パレスチナ人で、イスラエルに爆殺されたガッサン・カナファーニーという有名な作家がいる。彼の作品のひとつに、イラクとクウェイトを舞台にした『太陽の男たち』という小説があるが(私注:未読)、ここに出てくる主人公は、給水車のなかに隠れ潜んでイラクからクウェイトに密入国をしようとするパレスチナ難民である。だが協力者となった運転手が通関手続きに時間を喰っている間に、密航者たちは暑さに耐えかねて死んでしまう。小説の最後に、給水車の運転手が「なぜお前たちはタンクの壁を叩いて助けを求めなかったのか、なぜだ、なぜだ」と悔恨して終わるのだが、この小説がその後シリアで映画化されたときは、密航者はタンクの壁を叩く演出になっていた。叩くのだが、国境検問所のエアコンの音が大きすぎて、運転者には助けを求める声が聞こえなかったのである。
 査察団に対して、イラク政府の担当官たちは「大量破壊兵器はない」と言い続けてきた。ブリックスは任期終了後、「フセインはなぜ大量破壊兵器を持っているような素振りをしてきたのだろう」と率直な疑問を投げかけているが、ただの「素振り」だったにせよ「本心」だったにせよ、ラシード石油省やサァディ大統領顧問などの査察団のカウンッターパートに当たっていた政府高官は、ただ「ない」ことを強調していたのである。国連では、そうした「否定」の声も含めて、多くの書類と報告が積み重ねられてきた。そのほとんどが無視され、超大国の政治決定ありきのなかで捨て去られていった。タンクの壁は叩かれていたのに、戦争への太鼓の音が大きすぎて、国際社会はそれを聞くことができなかったのである。その音はあまりにも大きすぎて、反戦デモの声すらも打ち消していった。ブリックスには、そうした声が届いていたはずなのに、聞こえない役を求められていたのだといえよう。

....................引用終わり..........................................


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