3年も経ってしまった。
その間、色々ありました。
2020年の夏に、ねえさんと二人で暑い中のランニングを最後に、コロナの影響で走りは殆ど出来ず。
2021年5月より仕事が朝からのフルパートになり、頑張ろう!!って張り切ってる矢先、
同年秋ごろよりぶるが痴ほう症に。夜は2~3時間おきに夜泣きとクル活(同じところをクルクル回る)対応でフラフラの私。新生児の授乳を思い出させてくれましたが、あの時は私も若かったからねえ。そんな生活が半年過ぎた頃、瑞記が「ぶるに車いすを買ってあげて!!」との切なる願いを訴えて来たので、ネットで探しまわり、岐阜の“はな工房”さんにコンタクトを。
2022年5月に車いすをレンタル。毎日朝夕と夜散歩にでかけたりして対応。ぶる、頑張って良く歩いていました。車いすには本当にお世話になりました。が、いくつも同時に色んな事が出来ない私。やる事目白押しの仕事との両立が厳しく、精神が崩壊寸前に。朝は頭痛で目が覚め、慢性の寝不足で職場での会話も頭が真っ白で。仕事に行く事を考えると吐き気がするようになった。午後のパートに戻してもらったが、やる仕事量は変わらず、結果自分の首を絞める事に。
そして11月コロナ感染。私一人だけで済んだので、それは有難かったが、間の3日間は、飲めず食えず。頭と顔の奥が割れる位の痛みに耐える事に。
なんとか回復して仕事復帰した直後の12月、ぶるに悪性リンパ腫が見つかり、余命半年から1年と宣告を受ける。ぶるの側にいてあげたい事と、私の中で何かが“切れ”、3月をもって退職をする事に。退職願いを出したが、ぶるはたった2週間で天国へ旅立ってしまった。第一発見者は瑞記。一番避けたい状況を私が作った。本当は、亡くなる前の3日間は、何となく気付いていたのに、余命は短くても半年。って、不安を隠して仕事を優先に考えて側にいてやれなかった。ぶるにも瑞記にも申し訳なくて後悔しきれない・・・だけど悲しんで居られる訳もなく、
2023年の正月に、一応新年の挨拶のために電話をすると、3月までに実家を解体するとの事。持ち家なんですがね、色々な事情がありますが、簡単に言えば、両親が人を簡単に信用してしまったが為の結果。です。そんな訳で、退職の理由が、ぶるの介護から母の介護に代わった訳です。そんで、実家の片付けを兄夫婦と私とで平日の午前中と土日とを使い、やっていましたが、「解体しろ」と言って来た人が、「2月までに。」ってなり、腹立てても仕方ないので、期限までに何とか終わらせ、母は、兄の家をベースに、私の家に来たりする事になりました。91歳の母。気丈ですが、父との大切な思い出の家が無くなる訳で、心情を考えるとなるべく側にいてあげたくて。91歳。元気とは言え、何が有ってもおかしくない年齢で、ぶるの二の舞は踏みたくないと思った。
退職するにあたっては、職場の方々も「残って欲しい」と、言っていただいたのですが、一度気持ち切れるとね。子供たちは可愛いけど、職場環境や“誰かがやってくれるでしょう”的な考えの人たちとは、仕事したくなくて。それに、家を一番に考えたくて。
でも、新しい職員が慣れるまで。との事で、5月いっぱいまで頑張りました。残務処理も引き継ぎも全部終わらせた!!当たり前だけど、頑張った!!私。
退職して1か月が経ちましたが、頭痛で目が覚める事も無くなりました。
お金の心配はあるけど、精神的に穏やかさを取り戻した今、これから、また少しずつ走り出して、体の内側から若返りを試みようと思います。
頑張るぞ!!