今、私は怒りがマックスに達してる。先ほど、ハンセン氏病家族訴訟で国側に3億7600万円ばかりの賠償金を支払うように判決が出た。国側は控訴するのではないかと思われていたが、控訴しなかった。当然だ。参院選挙中でもあり、控訴すれば与党側に不利となると判断したのだろう。患者ばかりでなく、家族にとっても涙が枯れるぐらいつらい経験をしてきてるのだ。世間から差別され、冷たい視線を投げかけられてきたのだ。ようやく救いの光が差した。かなり前になるが、日本のハンセン氏病に関する歴史本を読んだ事があるが、あまりのひどい人権侵害に怒りがこみ上げてきた事がある。一言でいえば、ハンセン氏病者は人間として扱われなかった。日本は一貫として隔離政策を取り続けてきた。戦後もその姿勢は変わらなかった。ハンセン氏病者を家族、社会から隔離して根絶やし政策を取ったことだ。戦前の人権感覚の欠如の中で、当然のようにハンセン氏病者、家族を差別し、療養所の中で家畜のような生活をさせた。社会正義の名のもとに、発病する原因が良くわからないまま、隔離すれば日本をハンセン氏病からを防げると考えたのだ。日本版アウシュビッツ収容所だ。逆らえば懲罰房に閉じ込め、妊娠すれば堕胎手術だ。ヒットラーのユダヤ人抹殺計画と同じように、当時の日本政府も患者の抹殺計画を考えたのだ。2019年の今になって、家族の救済だなんて、遅すぎる。患者自身が訴えた国の隔離政策の不当性は、2001年の裁判によって国側の敗訴が確定した。今、患者という言葉を使う事自体、不正確であり、日本では陽性者はひとりもいない。正確に言うなら元患者というべきだ。すでに病は治っているのだから、ふるさとに帰ればいいのだが、帰れないのだ。そこに問題の根深さがあるのだ。帰っても、差別、偏見を受けるのではないとか、家族、親戚に迷惑をかけるのではないかと心配で帰れないのだ。戦後の新憲法で人権尊重を高らかにうたいながら、日本での人権レベルは低すぎる。多くの人権侵害が存在している。人権侵害、明日は我が身なのだ。他人事と思わず自分の問題として考えるべきだ。いつ何時、社会から差別され、石を投げられるかもしれない。誰でもそんな経験をしたくないであろう。総理大臣、安部は家族に心より謝罪すべきだ。選挙を有利に進めたいから謝罪するのではなく、国家の最高責任者としておぞましい人権侵害を二度と起こさない決意のもとで謝罪すべきだ。安部は、事の重大さがわかってるのだろうか。わかってるなら、心より謝罪すべきだ。これからの課題は元患者、家族の人間としての復権だ。人間を取り戻す戦いが始まる。日本政府は応援しなければならない。国民も応援しなければならない。