共産主義は平等に富を分配する方法論をいまだ見いだせていません。
公平で平等な富の再分配を行うには価値観の統一が必要となります。
しかし人の価値観は人それぞれです。
誰かにとって公平で平等な富の再分配方法は他の誰かにとっては不公平で不平等な富の分配方法となっていしまいます。
それでは富の再分配ができなくなってしまいます。
なので、共産主義者にとって、統一されるべき価値観とは共産党のトップの価値観である、と乱暴に規定せざるを得ないのです。
不公平で不平等な富の分配方法を無理矢理万民に押し付けざるを得ないのです。
そして共産党のトップの価値観を万民に押し付けざるを得ないが故に、共産主義は多様性とは真逆の方向に進まざるを得ないのです。
自由は、統一されるべき価値観を阻害するものとして共産主義では好まれません。
誰しもが自由に発言をし自由に行動をした場合、統一されるべき価値観が崩壊します。
なので共産主義勢力下では自由に発言することや自由に行動することに大幅な制限がかかります。
共産主義は自由主義とは相反する存在と言えます。
そして、共産主義は究極の格差社会を作るシステムです。
共産主義勢力下では、富の再配分をする過程で一度、全ての富が共産党に集められます。
そして価値観を決める共産党幹部は当然、自分達に有利な価値観を押し付けます。
そうなれば共産党幹部に富が集まることになります。
日本共産党の内部も凄まじい格差社会であり学閥やしがらみが大きく幅を利かせる組織です。
日本共産党のトップを決める選挙が一切行われないのは権力をトップに集中させる為です。
共産主義とは独裁主義と親和性がとても高いのです。
共産主義は自由主義と相反します。
自由主義を自任している人達は、共産主義勢力と手を組むような野党勢力とは縁を切るべきです。
自由主義を標榜していながら主義主張と相反する勢力と手を組む行為は、筋を通しているとは思えない。と私は思うのです。