シネ・ウインドで上映が始まった「福田村事件」はまだ観ていないのですが、この映画に脚本として携わっている井上 淳一さんが個人的に好きなので、ちょっと気持ちを書きます。
僕が見た井上淳一さん関連作品を振り返ると、脚本で携わった片嶋一貴監督の監督の「アジアの純真」では日本の朝鮮人差別、監督作のドキュメンタリー「大地を受け継ぐ」では福島で被災された農家の方、「誰がために憲法はある」では憲法という、どれも社会派なテーマを扱っていて、映画で時代や社会に問題提起する作家性が僕は好きです。
そんな井上淳一さんが脚本で携わった映画で好きなのが、2018年の「止められるか、俺たちを」。
この映画は、1960~70年代、ピンク映画の鬼才と言われた若松孝二監督をはじめ、井上淳一さん自身も実際に所属していた「若松プロ」の人々の青春時代を、実話に基づき描いたもの。
井上さんはこの映画のため、自分の先輩に当たる若松プロの関係者を実際に取材し、脚本を書いたそうです。
若松プロの人々の群像劇であり、学生運動や三島由紀夫の自殺など、実際の事件も登場します。
登場人物が男女ともに全員完璧ではなく、失敗や喧嘩もするし嫌なところもありつつも、誰もを人間臭くて魅力的な人物として生き生きと描いています。
そこに井上淳一さんの若松プロへの愛とリスペクトを感じるし、後輩として先輩達の光も影も妥協せずに受け止めるという表現者の矜持も感じます。
僕がこの映画を好きなのは、井浦新さん演じる若松孝二監督を主役にせず、門脇麦さん演じる若松プロに加入した新人助監督のめぐみを主人公にしているところ。
もし若松監督が主人公だったら、ピンク映画の鬼才、天才監督の人生、みたいな映画で終わっていたと思うのです。
しかしめぐみの視点から描くことで、そんな天才若松監督の陰の部分まで、批判的に描くことができていると僕は思います。
例えば近年問題視されている映画界のハラスメント問題、まだ映画界の労働環境が整備されていなかったであろう1960~70年代、どう考えても若松プロも例外ではなかったと思う、というか実際、劇中で若松監督がめぐみや他のスタッフを怒鳴りつける場面も出てきます。
また、めぐみが主役になることで、男性だらけの環境で若い女性が働く難しさも見えてくる。
そもそもピンク映画というジャンル自体、表現の自由とフェミニズムという難しい問題を孕んでいると思いますが、そんな世界の中でも女性の視点をしっかり描いている。
そういう複雑な現実を、実際に若松プロに所属し、若松監督の弟子でもあった井上監督がちゃんと描いているのは、かなり内省的で誠実な態度だと僕は思います。
個人的に、普段はリベラル寄りな発言をしているのに女性差別やフェミニズムの問題には無自覚な有名人も多いと感じる中、僕は井上淳一さんのことは信用しています。
もう一つ、めぐみが主人公で良かったと思うのは、若松監督という天才を前に自分の才能の無さに悩む気持ちを描けている点です。
「若松孝二に殺される!」という台詞の通り、めちゃくちゃ怖い若松監督に振り回され、対抗しようにも相手は天才だから絶対に敵わないという悔しさ、分かるんですよね。
劇中、若松監督がめぐみに「映画なんてお前の気持ちをぶつけて作ればいいんだ!」みたいに言う台詞があり、この言葉は僕自身も作品を作る上で大事にしたい考えなのですが、でも、そうやって自分の気持ちを作品にぶつけられること自体が才能なんですよね。
例えば自分が演劇人だった頃、自由奔放に感情を爆発させて演技する人を見て、自分もやりたいと思っても簡単には真似できなかったように、この時のめぐみの気持ちは本当によく分かります。
そんなめぐみが、生まれて初めて自分で映画の脚本を書き上げる場面の静かな達成感、本当に自分のことのように感動します。
でも、めぐみはその脚本で監督に初挑戦するのに、真面目に説明しても俳優からまったく理解を得られないという残酷すぎる現実。
作者にとっては産みの苦しみも味わった渾身の一作でも、それは自分しか分からないことで、他人にはなかなか伝わらないものです。
だから、自分はすごく思い入れがあるのに、その作品を他人に軽く扱われて終わるという、本当に僕も似たような体験が何度もあります。
そもそも考えてみれば、何億円もかけて作られた映画だって、ながら見されたり、なんなら最近は早送りして見る人までいるのが現実だから、作者と受け手のギャップは永遠に消えないものかもしれません。
しかし、少しでも自分の作品を表現した経験のある人間なら、めぐみのような作者の苦悩は伝わると思います。
僕自身、売れない表現活動を長年やっているので、めぐみの気持ちは本当に自分のことのように分かるし、熱意のこもった映画を作っていた若松プロの人達にも本当に刺激をもらえます。
そして、めぐみは自殺してしまうのですが、せめて自分は売れなくても生きて表現活動を続けていこうという気持ちになります。
ところで、どうして僕は急に「止められるか、俺たちを」のことを思い出して書いたのか。
それは、最近生まれて初めて演劇の台本を書くという挑戦をしてみたからなのですが…その話は長くなるから次の投稿で!
僕が見た井上淳一さん関連作品を振り返ると、脚本で携わった片嶋一貴監督の監督の「アジアの純真」では日本の朝鮮人差別、監督作のドキュメンタリー「大地を受け継ぐ」では福島で被災された農家の方、「誰がために憲法はある」では憲法という、どれも社会派なテーマを扱っていて、映画で時代や社会に問題提起する作家性が僕は好きです。
そんな井上淳一さんが脚本で携わった映画で好きなのが、2018年の「止められるか、俺たちを」。
この映画は、1960~70年代、ピンク映画の鬼才と言われた若松孝二監督をはじめ、井上淳一さん自身も実際に所属していた「若松プロ」の人々の青春時代を、実話に基づき描いたもの。
井上さんはこの映画のため、自分の先輩に当たる若松プロの関係者を実際に取材し、脚本を書いたそうです。
若松プロの人々の群像劇であり、学生運動や三島由紀夫の自殺など、実際の事件も登場します。
登場人物が男女ともに全員完璧ではなく、失敗や喧嘩もするし嫌なところもありつつも、誰もを人間臭くて魅力的な人物として生き生きと描いています。
そこに井上淳一さんの若松プロへの愛とリスペクトを感じるし、後輩として先輩達の光も影も妥協せずに受け止めるという表現者の矜持も感じます。
僕がこの映画を好きなのは、井浦新さん演じる若松孝二監督を主役にせず、門脇麦さん演じる若松プロに加入した新人助監督のめぐみを主人公にしているところ。
もし若松監督が主人公だったら、ピンク映画の鬼才、天才監督の人生、みたいな映画で終わっていたと思うのです。
しかしめぐみの視点から描くことで、そんな天才若松監督の陰の部分まで、批判的に描くことができていると僕は思います。
例えば近年問題視されている映画界のハラスメント問題、まだ映画界の労働環境が整備されていなかったであろう1960~70年代、どう考えても若松プロも例外ではなかったと思う、というか実際、劇中で若松監督がめぐみや他のスタッフを怒鳴りつける場面も出てきます。
また、めぐみが主役になることで、男性だらけの環境で若い女性が働く難しさも見えてくる。
そもそもピンク映画というジャンル自体、表現の自由とフェミニズムという難しい問題を孕んでいると思いますが、そんな世界の中でも女性の視点をしっかり描いている。
そういう複雑な現実を、実際に若松プロに所属し、若松監督の弟子でもあった井上監督がちゃんと描いているのは、かなり内省的で誠実な態度だと僕は思います。
個人的に、普段はリベラル寄りな発言をしているのに女性差別やフェミニズムの問題には無自覚な有名人も多いと感じる中、僕は井上淳一さんのことは信用しています。
もう一つ、めぐみが主人公で良かったと思うのは、若松監督という天才を前に自分の才能の無さに悩む気持ちを描けている点です。
「若松孝二に殺される!」という台詞の通り、めちゃくちゃ怖い若松監督に振り回され、対抗しようにも相手は天才だから絶対に敵わないという悔しさ、分かるんですよね。
劇中、若松監督がめぐみに「映画なんてお前の気持ちをぶつけて作ればいいんだ!」みたいに言う台詞があり、この言葉は僕自身も作品を作る上で大事にしたい考えなのですが、でも、そうやって自分の気持ちを作品にぶつけられること自体が才能なんですよね。
例えば自分が演劇人だった頃、自由奔放に感情を爆発させて演技する人を見て、自分もやりたいと思っても簡単には真似できなかったように、この時のめぐみの気持ちは本当によく分かります。
そんなめぐみが、生まれて初めて自分で映画の脚本を書き上げる場面の静かな達成感、本当に自分のことのように感動します。
でも、めぐみはその脚本で監督に初挑戦するのに、真面目に説明しても俳優からまったく理解を得られないという残酷すぎる現実。
作者にとっては産みの苦しみも味わった渾身の一作でも、それは自分しか分からないことで、他人にはなかなか伝わらないものです。
だから、自分はすごく思い入れがあるのに、その作品を他人に軽く扱われて終わるという、本当に僕も似たような体験が何度もあります。
そもそも考えてみれば、何億円もかけて作られた映画だって、ながら見されたり、なんなら最近は早送りして見る人までいるのが現実だから、作者と受け手のギャップは永遠に消えないものかもしれません。
しかし、少しでも自分の作品を表現した経験のある人間なら、めぐみのような作者の苦悩は伝わると思います。
僕自身、売れない表現活動を長年やっているので、めぐみの気持ちは本当に自分のことのように分かるし、熱意のこもった映画を作っていた若松プロの人達にも本当に刺激をもらえます。
そして、めぐみは自殺してしまうのですが、せめて自分は売れなくても生きて表現活動を続けていこうという気持ちになります。
ところで、どうして僕は急に「止められるか、俺たちを」のことを思い出して書いたのか。
それは、最近生まれて初めて演劇の台本を書くという挑戦をしてみたからなのですが…その話は長くなるから次の投稿で!