2025年1/1(水)、新年が始まりました。
我が家の玄関には庭に生えていた南天と小菊が飾られて、ささやかなお正月の飾りになっています。
僕は毎日日記を書きたいのに、毎年前年の分の日記を書き終わらないまま新年を迎えてしまっていたのですが、今年はなんと前年の分はすべて書き終わったまま新年を迎えられたのです!
この調子で、毎日日記を書くという習慣、そして何より落ち着いた生活リズムを大切にして、充実した一年にしたいと思います。
とはいえ、微妙に日付が変わってから、つまり年が明けてから、大晦日の日記を書いていたのですが…まあ、許容範囲ということにします。
そんなわけで若干寝不足ではありましたが、初日の出が見たかったので頑張って7時前に起床!
しかし、厚い雲に覆われて初日の出はまったく見えず!
「日本の夜明けぜよ」とか言いたかったのに、新潟の元日なんてこんなもんです。
でも一年前を振り返れば、昨年は元日から能登半島地震に襲われたのです。
それに比べれば、何もない元日が本当に幸せだなあと感じました。
元旦から自分には珍しく早起きができたので、午前中のうちに母と初詣に行ってきました。
行き先は西区にある坂井神社で、歩いて向かいました。
坂井神社はちょうど坂道の途中にあるのですが、わざわざ横の道路を下まで下ってから、鳥居をくぐって石段を上るという。
そして本殿の前では行列ができていましたが大したことなかったし、途中で雪が降ったりはしましたがすぐに晴れて良かったです。
神様には、暴力や争いで人々が傷付けられ自由を奪われ命を落とすことのない、平和な世界が一日も早く実現しますようにとお願いしてきました。
ガザもウクライナも停戦しないまま新年を迎えてしまいましたが、こんな時代でも今年も諦めずに一歩ずつ、自分のできる行動をしていけたらと思います。
おみくじは吉でしたが、「人と人と互に力あわせてすればよきみちあり」という神様の言葉を信じようと思います。
「春、咲き誇っていた花々も、全て散りゆく運命であるが、暑い夏を耐えて力を蓄えれば、やがて稔りの秋が巡り来る。人生の山坂、涙にくれる時はあれども、苦しみ、悲しみの後には、そのぶん充実した喜びの実を、穏やかな幸福の種を、神様は屹度お与えくださる。」いやー、神様はいいこと言いますね!
帰り道、踏切の片隅にお地蔵さんの祠があって、鏡餅がお供えされていました。
西区も町並みは少しずつ変わっても、そこだけ昔からの風景が残っているようで、神社もそうですが、こういう文化は大切にしたいなと思いました。
そして午後、元日から「マックの福袋」「スタバの福袋」がトレンド入りしていましたが、僕は初詣の白山神社の前でガザの停戦を願うスタンディングをしてきました。
僕は初詣には坂井神社に行ったあとだったので、白山神社は中を通るだけで初詣はしませんでしたが、それにしてもすごい人混みでしたね。
でも、これだけ大勢の人がいれば、多くの人にメッセージを届けられるというもの。
去年は日本維新の会の石崎徹がいた鳥居の目の前に今年は誰もいなかったので、古町と一番堀の交差点を渡って初詣への行き帰りの人達、ポッポ焼きの行列に並ぶ人達に向けて、一人でプラカードを持って立っていました。
普段集団でやっているパレスチナ連帯スタンディングと違って、一人はやっぱり心細い…と思いきや意外と余裕だったので、やっぱり「慣れ」って大事だなと思いました。
しかも、小さい子供を連れたお母さんが「頑張ってください」と声をかけてくれるという温かさにも出会えました。
そして、たまたま初詣に来ていた、元脳性マヒブラザーズの周佐さん、古本屋ブック・オーレの木村店長と遭遇し、記念撮影!
いやー、やっぱり知り合いに会えると心強いですね!
NAMARAの森下さんにも出会いましたが、お子さんと二人でいるところをテレビに取材されていて忙しそうでした。
でも、挨拶をした時に、シネ・ウインドで上映中の「ファイト」で新潟プロレスで大仁田厚選手とグレート小鹿が対戦する場面で、リングアナの森下さんの声が入ってましたよ、という話ができて良かった!
さらに、大晦日にも出会った成宮アイコさんとお母さん、そしてひろさんとこもりさんという4人組にも出会えたのが面白かったです。
皆さん、今年もよろしくお願いします!
ちなみに去年の元日も白山神社の前で初詣をしていたら、会田誠さんの一家に出会って、記念撮影をお願いしたら僕のスタンディングを応援してくれたのでした。
その画像を投稿したら会田さんが拡散してくれたり、その節はありがとうございました。
あれから一年、未だに停戦しない状況に心が痛みますが、白山神社は歴史ある神社なので、きっとスタンディングをしている僕の願いも叶えてくれるだろう!
今年こそはガザが停戦し平和が戻りますように!
それから、去年の元日はスタンディングを終えて帰ろうとしていた時に能登半島地震が発生したのでした。
あれから一年、僕は2月に西区の災害ボランティアに行き、11月には能登半島の珠洲市にも行きましたが、亡くなった方を追悼するとともに、大切な人を失った方、家や暮らしを奪われた方が、一日も早く安全で安心な生活を取り戻せますように願いつつ、今も被災地で復興にあたるすべての方に心から敬意を表します。
そんな感じで、全体的に平和を願う元日となりました。
何度も言いますが、平和な一年であれと心から願います。