舞い上がる。

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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

『生きづらさを抱えた人間讃歌~Painting vol.1~』で朗読させていただいた文章を公開します!その一『僕は忘れない』

2016-10-24 23:00:02 | Weblog
あらためまして、10/22(土)に松本市 Give me little moreで開催された『生きづらさを抱えた人間讃歌~Painting vol.1~』終了しました!
お越しいただいた皆さんありがとうございました!

ざっくりとした感想などは昨日のブログに書きました。
『生きづらさを抱えた人間讃歌~Painting vol.1~』、無事に終了しました!ひとまずご報告!






僕はここで朗読をさせていただきました。(撮影:よしやさん)
人前で朗読を披露するという体験は、人生で二度目でした。



人生で初めて朗読をしたのは、昨年、新潟で行われたカルチャーMIXフェスタ、N-Art Communicationの中で行われた「紅白詩合戦」という企画でした。
このイベントは、ミュージシャンやダンサーやマジシャンやアイドルが出演するというカオスなもので、こわれ者の祭典の代表と副代表の、月乃光司さんとKaccoさんも出演していました。

去年、初めての朗読は、とても緊張して手足が震えるほどでした。
今まで自分が見てきたこわれ者の祭典や、カウンター達の朗読会の皆さんは、いつもこんなプレッシャーの中で言葉を発していたのか!と知り、あらためて尊敬の念を強めました。

そして、そんなプレッシャーの中でも自分の言葉を投げかける行為は、人間にとってとても大切なものだ!と身を以って実感しました。
あの朗読は、自分にとって忘れられないものになりました。



その時に朗読した文章は、ここに書いてあります。
N-Art Communication 朗読企画「紅白詩合戦」のために書いた作文みたいな僕の詩です。



今回の『生きづらさを抱えた人間讃歌~Painting vol.1~』では、その時に朗読した僕の作文のような文章に、少しだけ言葉を加えて持って来ました。
また、松本での開催ということなので、松本での思い出をたくさん登場させました。



と言うわけで、ご覧ください。



以下、本文です。





『僕は忘れない』
(タイトルは今つけました。)

二人の友人について朗読します。

東日本大震災が発生した時、僕はニートでした。
当時、僕は松本で一人暮らしをしながら演劇をしていました。
テレビでは毎日、被災地のニュース、義援金やボランティアの話題が報道されている中、しかし僕は、自分のアルバイトさえ探せず、自分の生活費さえどうすることも出来ず、そんな自分が情けなくなる毎日でした。
そんなある日、演劇仲間であるBLUESのおもケンという男が、家にやって来るとテレビを消して、言ったのです。

「ちひろさん、ニュースを見てちひろさんがつらくなるなら、ちひろさんはテレビなんて見なくていいんです」

当時、日本に溢れていたどんな言葉よりも、あの時のおもケンの言葉は僕の胸に刺さりました。
あの時の彼の優しさを、僕は忘れません。

それから約半年後、おもケンから、一度、激しく怒られたことがあります。
BLUESのみんなでコントライブを行ったときのことです。

その日は、本番の前日という大切な日だったにもかかわらず、僕はすごい鬱に襲われてしまって、家から出ることはおろか、連絡することさえしなかったのです。
そんな僕の家に、またしてもおもケンがやってきました。
いきなりドアを開け、ふざけるなよ!おもケンはそう叫びました。
情けなさと申し訳なさでどうしたらいいのか分からなくなりながらも、僕はおもケンに連れられて劇場へ向かいました。
そんな僕のことをBLUESのみんなは受け入れてくれました。
翌日、本番は無事に成功しました。

しばらくして、おもケンにあの時のことを謝りました。
するとおもケンはこう言ったのです。

「ちひろさん、あの時僕は怒ってたけど、でもあの時のちひろさんは何故か上半身裸で寝ていて、僕が入っていったら、何故か上半身裸のまま、何も言わずにコンタクトレンズを目に入れようとしていたんですよ。それを見ていたら、何でこの人上半身裸でコンタクトレンズなんて入れてるんだろう、何なんだろうこの人、この状況面白いなあって、怒りながらちょっと笑いそうだったんですよね・・・」

何とも言えない気持ちになりました。

公演が終わって間もなくして、新潟の実家に帰ることにしました。
躁鬱がひどくなっていた僕にとって、演劇とアルバイトを両立させながら一人暮らしをすることは、最初から無謀だったのかも知れません。
それでも約2年半、松本で演劇をやってきたことは自分にとってとても大切な体験です。

みんなと一緒に演劇をやってきた松本を一人で離れていった自分は薄情な奴だなあと、今でも思う時があります。
実は次の公演の出演も決まっていて、チラシに名前も載ってしまっていたんです。
それなのに、無理を言って、一人で松本を離れてしまいました。
そんな自分を、BLUESのみんなは何も言わずに肯定してくれました。(あ、嘘です。ちょっとは言われました。)
あの時のみんなの優しさを、僕は忘れません。

さて、もう一人紹介したい友人は、大学の友人の與那覇という男です。
與那覇は大学一年生の時に、深夜に僕の部屋を突然訪れ、彼の好きな歌ばかりを録音したCDを勝手にかけて、寝ている僕の横で一時間くらい一人で熱唱していった頭のおかしい男です。

僕が双極性障害を発症したのは、大学三年生から四年生にかけての時期でした。
不登校になった僕は、卒業間近になっても卒論も就活もまったくできずに、汚い部屋に引きこもってばかりいました。

そんな僕の部屋を、またしても與那覇が襲いました。
彼は連絡もなしにやってくると、唐突にPerfumeのチョコレイト・ディスコを歌いながら勝手に上がりこんできたのです。
その時気付きました。その日は2月14日だったのです。
そして、與那覇は何を言うかと思ったら、こう言ったのです。

「ちひろ、鉄道員見ようぜ!」

何故、このタイミングで鉄道員なのか!何故バレンタインデーに男二人で鉄道員なのか!
僕がそんな突っ込みを入れる間もなく、與那覇はゲオの袋から鉄道員のDVDを取り出し、僕のパソコンで勝手に再生し始めたのです。
2時間後、その汚い部屋には鉄道員を見て涙を流す、僕と與那覇の姿がありました。
自分にって、生涯忘れられないバレンタインデーの思い出になりました。

そんな僕らにも卒業の時がやってきました。
卒業式の会場を出ると、與那覇はおもむろにスーツを脱ぎ、プロレスラーのような肉体美を見せつけてきました。
彼はやっぱり頭のおかしい男でした。
その時、「ああ、親の顔が見てみたい」と嘆く声が聞こえ、誰かと思ったら、與那覇のお母さんでした。
與那覇のお母さんは愛知県でオカマバーを経営している人でした。

それから2年後、東日本大震災が発生した時、松本の僕の部屋に與那覇が遊びに来ました。
なんでも、全国を渡り歩いては遊び回っているんだそうです。
こんな時期によくやるよな、と思った僕に、彼は言いました。

「震災でいつ誰が死んでもおかしくないって思ったから、俺は会いたいやつには会っとくんだ」

本当の意味で命の大切さを学んでいるのは與那覇なんじゃないだろうか。
ニートだった僕は、そんなことを思いました。

松本でニートだった僕は、新潟の実家へと帰ってからも、しばらくニートとフリーターを行ったりきたりするような生活をしていました。
それでも、一つだけ、これだけは絶対に自分が成長した!と言えることがあります。
それは・・・僕は去年の2月から、晴れてスーパーウオロクのアルバイトになれました!
もう一度言います!スーパーウオロクのアルバイトになれました!

そんなある日、與那覇のお母さんが亡くなったことを彼のFacebookで知りました。去年のことでした。
與那覇のお母さんは、うちの母とも仲がよく、いつか愛知県に旅行した時は與那覇のお母さんのオカマバーに遊びに行きたいと言ってていました。
いつか行ってみたかった與那覇ママのオカマバーに二度と行けないと気付いた時、僕は與那覇のあの言葉を思い出していました。

「震災でいつ誰が死んでもおかしくないって思ったから、俺は会いたいやつには会っとくんだ」

僕は思いました。
あの時、ほんの少しの行動力と交通費さえあれば、僕は與那覇のお母さんのオカマバーにだって行けたのではないだろうか。

僕には今、会ってみたい人が大勢います。そして、それはきっと決して難しいことではない。
何故なら、僕はアルバイトをしているからです!アルバイトをすれば交通費が出せるんです!
今日だってバイト代で交通費を出して松本に来ることが出来たんです!

これから新しい出会いがある度に、僕は思い出すでしょう。
ありがとうおもケン、ありがとう與那覇、そして、ありがとうスーパーウオロク。
大切な出会いを、僕は忘れません。






以上です!



いやー!いい話ですねえー!(自分で言う)



ところで、せっかくなので補足的なお話をさせていただきたいと思うのですが、この朗読にはおもケンと與那覇が登場しますが、何故この二人なのかと言うと彼らは鬱の時の僕を知っているからです。
僕は基本的に正直に生きてるつもりですが、鬱の自分まで見せたことがある人は家族以外にほとんどいません。

だから自分が一番格好悪くて人に見られたくない部分を、見られてしまった時の二人の思い出を、朗読に登場させました。
ダサい自分を積極的に出していこうと思ったのは、成宮アイコリスペクトの気持ちからなのですが、これについてはまた後ほど語らせていただきます。

ちなみに、これは完全に余談ですが、鬱の俺を知ってる人物はもう一人、新潟にさくらもみぢがいます。
本番前日に緊張と不安で鬱状態を経験していた僕は、全然関係ないけど個人的にもんちゃんに感謝の気持ちを伝えたくなって、メールしたらちょっと元気になって頑張れたんですよね。





と言うわけで、僕が朗読した文章の紹介でした!



ところで、『生きづらさを抱えた人間讃歌~Painting vol.i~』では、もう一つ朗読させていただきました!
その文章も、これから公開させていただこうと思います!お楽しみに!







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