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図書館で児童文学を借りよう!「ふるさとは、夏」

2017-08-21 03:33:07 | Weblog
図書館で児童文学を借りよう!のコーナー!



一つ前の記事「図書館で児童文学を借りよう!「ジムのおばけキャベツ 」」に続いて第二弾です!



せっかくなので、一つ前の記事にも書いた前書きと同じものを、こっちにも書いておきます。



僕は子供の時から読書が好きで、近所にある坂井輪図書館に子供の時からずっと通っているのですが、未だによく行きます。
僕がよく読むのは小説とかエッセイとかが多いのですが、そんな中でも坂井輪図書館の児童文学のコーナーは大人になった今でもよく行きます。

児童文学って子供だけがよく読むものだと思われがちかと思いますが、本当に面白い児童文学というものは、年齢に関係なく楽しめるものだと思っています。
子供向けだけど子供だましでは決してない、寧ろ、普遍的な面白さを表現している物語を、子供にも分かりやすく書いた児童文学は、もちろん大人にとっても分かりやすいわけで、誰もが楽しめる優れたジャンルなのではないかと思っています。

寧ろ、自分のような読書で育ったような人間は、子供の時の読書体験のあのわくわくする気持ちが大人になっても蘇ってくるので、定期的に児童文学は読みたくなります。
児童文学、読み始めるのに遅いこともないと思うし、全体的にそんなに長くないし読みやすいですので、かなり僕は色んな人におすすめしたいジャンルです。

ただ、児童文学って多分、普通に買ったりするとちょっと高いと思うし、メディアとかでもあまり取り上げられることがなく、あまり有名にならないジャンルなのではないかと思います。
しかしですね、子供も利用する図書館には、ちゃんと児童文学のコーナーがあり、面白い児童文学を借りられる貴重な場なので、児童文学が気になってる人は図書館に行ってみよう!



ところで、話は唐突に変わりますが、6月末に、新潟市のえんとつシアターで、国際映像メディア専門学校さんが行った坂口安吾の「桜の森の満開の下」の演劇を観に行って来ました。
この時、僕は坂口安吾の原作を読まずに観劇したのですが、演劇の内容そのものより、坂口安吾の原作がどういう話で、それがどうしてこういう演劇になったのか、の方が気になったので、坂口安吾の「桜の森の満開の下」を読んでみようと思いました。

それで、坂井輪図書館に「桜の森の満開の下」を借りに行ったのが7月末くらいのことなのですが、その時についでに図書館の中をぶらぶら歩きまわっていたら、児童文学コーナーにちょっと懐かしい一冊を発見して借りてきてしまいました。
今から紹介するのは、そこで借りてきた本です。



と言う訳で、前置きが長くなりましたが、僕が最近借りて読んだ児童文学を唐突に紹介します!




「ふるさとは、夏」
芝田勝茂 作 / 小林敏也 画



僕はもともと、芝田勝茂さんの本が好きで、特に「夜の子どもたち」という本が、人生で好きな本を10冊上げるなら必ずそこにランクインするくらい好きです。
「夜の子どもたち」は夏の田舎町を舞台に、僕が一番好きな「少年少女の夏の冒険」っていうテーマを、ミステリアスにスリリングに描いた大傑作で、しかし現在は絶版しているので、僕は夏が来るたびに必ず毎年図書館から借りて読んでしまうくらい好きなんですね。

しかし、この日、僕が図書館に行ったら、「夜の子どもたち」はどうやら借りられてしまっていてなかったので、代わりに同じ芝田勝茂さんのこの本「ふるさとは、夏」を借りてきました。
ちなみにこの「ふるさとは、夏」は、「夜の子どもたち」と同じ出版社から出版されていますし、どちらも挿絵が小林敏也さんであり、どちらも夏休みに田舎で繰り広げられる冒険を描いているので、ちょっと近いというか、姉妹品、みたいな位置づけのような気がします。

ただ、「夜の子どもたち」はカウンセラーを目指す学生が主人公であり、「大人から見た子供」を描いていたと思うのですが、この「ふるさとは、夏」は両親の都合で親戚の暮らす田舎町に夏休みの間預けられる少年が主人公なので、「子供から見た大人」を描いている、という違いがある気がします。
また、「夜の子どもたち」が、ある田舎町で発生する謎の現象を、ちょっと陰謀論っぽいミステリアスな描き方をしているのに対し、この「ふるさとは、夏」は、その村に伝わる伝説や神様などを題材としたファンタジー色の強い作品だなあと思います。

物語の冒頭、主人公みち夫の、共働きのの両親が、母親が夏に海外主張するかどうか、もし海外主張するとすれば、その間、息子をどうやって育てるか、で揉めている、そして、それを隣の部屋で寝ている主人公が聞いている、という、実に生々しい現代の家族の描写から始まります。
その結果、母親の海外出張の間、主人公は父の田舎に預けられることになるのですが、父は実家とあまり仲が良くないからもう一回ちょっと揉める、という、そこもまた生々しくて良かったです。

色々あって、みち夫は一人で父の田舎に向かい、親戚の家で暮らしながら、年上の従姉と仲良く過ごしているのですが、その中で、都会育ちのみち夫と、田舎の風習の微妙に気まずいすれ違いなども、丁寧に描いていきます。
さらに、話を読み進めていううちに、その村は合併するかどうか、村おこしして都市化していくべきか、村の伝統を守っていくべきか、などで様々に意見が割れている、ということも分かって来て、さらに、村の有力者たちのパワーバランスなどの世の中の複雑さも、非常に生々しく伝わってきます。

このように、現実に起こり得る社会問題などを、児童文学の中にしれっと盛り込ませるのが、芝田勝茂さんはとても上手いなあと思います。
かと言って、難解さはまったく感じさせず、分かりやすく読みやすく、さらにわくわくするような文章を描いていく、というのが、本当に見事です。

物語の序盤、ごくありふれた少年の夏休みの日々を追っている中で、ところどころで少し不思議な展開がいくつか挟まれるのですが、そのあたりは非常にわくわくします。
しかも、それと平行して村の神様や伝説の話も少しずつ登場してくるので、そういう伝説や神様と、人々の生活がとても密接なところにある、地域の伝統がまだ残る田舎への憧れを感じる、とても魅力的な文章に引き込まれていきます。

そんな中、とある伝統行事の夜に、村のヒスイという少女とみち夫が出会うのですが、そこでとある事件が起き、そこからは二人がその謎に挑んでいくという、冒険が始まります。
しかも、その冒険の中で、村の神様たちが次々とみち夫とヒスイの前に現れては、色々なヒントを与えては消えていくという展開で、ファンタジーでありあがらミステリーでもあるという、本当に想像力を刺激させられる本当に面白い物語です。

何が面白いって、何も知らない田舎に突然一人でやってきて、少しずつ色々な謎に出会っては真相に迫っていくみち夫の心境が、読み手である自分にもダイレクトに伝わってきて、まさに一緒に冒険をしているような読書体験が出来るのです。
そういう文体によって、ミステリーの魅力とファンタジーの魅力をどちらも味わえる、まさに「楽しい!」と思える読書体験が出来る一冊です。

だからこそ、素晴らしい児童文学なわけですが、大人になって読むと、子供時代に対する懐かしさも刺激され、さらに感慨深くなります。
そんな子ども時代、味わったことがあるか分からないのに、懐かしい気持ちになってしまうのは、子供時代に過ごしたかった夏休みの憧れを描いているからかも知れないなあと思います。

また、この本の特徴だと思うのが、物語に登場する神様がどれも非常に人間臭くて面白いということです。
神様と人間の境目も非常に曖昧なんですが、だからこそ、親しみやすくもあり、こういう文化がまだ日本に残っていてもいいのになあ、と想わせられます。

その感じは、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」の神様描写にも似ているなあと思うのですが、この本が最初に出版されたのは1996年、「千と千尋の神隠し」の2001年より前なんですよね。
また、日本の土着的な神様などの信仰文化と、主人公の少年少女の成長と出会いと別れを同時に描く、というあたりもちょっと「千と千尋」感ありますね。

と言う訳で、長くなりましたが、「ふるさとは夏」面白いです!
(今度「夜の子どもたち」もまた読み直そうと思います。)
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