8/27(日)という一日にやたらと色々あったので、順番に書いていきます。
一つ目は、東区市民劇団 座・未来さんの「わたれ、風 ひらけ、道 -牡丹山諏訪神社古墳奇譚-」を観て来たことです。
座・未来さんのことはずっと応援しているのですが、今回の公演ではありがたいことにパンフに応援文を書かせていただけることになりまして、その関係で一度稽古を見学させていただいていたのですが、本番のステージでどういう演劇になるのかがとても楽しみでした。
本当なら、僕が座・未来さんのどういうところが好きなのか、っていうところから書いていきたいのですが、それはもう、パンフを読んでくれ!と言う訳で、感想を書いていきます。
ちなみに、僕が今までに観て来た座・未来さんの演劇で一番好きだったのは、去年の「阿賀野の雪花~新版・王瀬の長者~」だったんですが、その時に脚本を書いた近藤さんが今回も脚本ということで、それも気になっていました。
で、観終わった率直な感想ですが、何というか、おそらく作者の近藤さんが「今僕らが考えるべきこと」として伝えたいであろうメッセージが、ものすごく強く伝わってくる演劇だなあと思いました。
この演劇では、発掘調査をしていた大学教授と学生が古墳時代にタイムスリップしてしまうというSFであり、二人がその時代の流れに巻き込まれていくという歴史ファンタジーなのですが、特徴的なのは、古墳時代で暮らす人達が抱えている様々な問題というのが、絵空事ではなく、あくまで現代を生きる私達の抱える問題にも通じるものとして、描かれているんです。
例えば、古墳時代の新潟に暮らす人間たちが、当時の日本を治めていた大和の国や、隣国の蝦夷の国とどう付き合っていくべきか、という議論を繰り広げるシーンがあるのですが、自分たちの暮らす国の平和を守るために他国とどうやって付き合っていくべきかという問題は、現在の日本の置かれている状況とまったく同じだなあ、なんて思いました。
今思えば、去年の「阿賀野の雪花~新版・王瀬の長者~」では、阿賀野川の氾濫で村が被害に遭うというシーンが、東日本大震災を連想させるような演出だと思ったので、歴史を描きながらもそれが現実の社会問題と地続きであることを描くのは、近藤さんの得意とすることなのかも知れないと思いました。
また、この演劇の舞台は新潟市の東区に実際に存在する古墳を舞台にしているので、時間的にも地理的にも地続きの物語であり、それが劇中での出来事を現実と地続きとして描くことの説得力が増していたと思いますし、過去の出来事を現在の自分たちと地続きのものとしてとらえることは、歴史を考える上で最も大事なことだと思います。
もっと言えば、東区市民劇団 座・未来さんの演劇は、現代劇にせよ時代劇にせよ、一貫して新潟市の東区を舞台に描いているので、この劇団の演劇を観続けていることで、東区という土地の歴史に理解が深まるあたりも、市民劇団としての役割をちゃんと果たしているなあと思います。
はい、という感じで、何だか物凄く頑張って難しいことを考えたような感想をずっと書いてきましたが、それ以上にこの演劇のいいところは、そういう深いテーマを読み取ることも出来るのですが、それが決して押しつけがましいわけではなく、基本的には古墳時代を舞台にした群像劇として、普通に楽しい演劇になっているということです。
ストーリーも分かりやすかったし、何より登場人物の一人一人、言い換えれば役者さんの一人一人の個性が、老若男女が集まって作り上げる市民劇団にしか出せない魅力となっていたと思います。
役者さんの良かったところと言えば、誰一人「自分だけが目立とう」みたいな演劇をする人がいなく、全員で協力してこの演劇を作り上げていたことが感じられたことも良かったです。
分かりやすくて面白いストーリーと、一生懸命に協力して作り上げた演劇で、しかもそこには色々なメッセージも込められているという、まさに老若男女が楽しめる市民劇団ならではの良さだなあと思いました。
ただ、これまでの座・未来の過去作と比べて派手さが抑えめでやや地味な印象を持ったので、最初はもっとエンタメ性がもっとあっても良かったんじゃないかって思った部分もありました。
しかし、観終わってからもう一度劇の内容を思い返してみると、いや、やっぱりこの演劇はこれで良かったなあと思えてきました。
奇をてらった派手なことをやらなくても、物語と役者の魅力で直球勝負する渋さというか、正統派なところが、座・未来さんの魅力なんじゃないかなあと思います。
それに、劇中の台詞にもある通り、私達はどうしても歴史を考える時に「何が起こったか」を考えがちですが、それよりも「起こらなかったこと」(この演劇では戦争が起こらなかった)の大切さこそを考えるべきなんじゃないかというのが、この演劇に込められたメッセージなのかなという気もします。
「事件が起きたこと」を演劇にすると確かに派手でエンタメ性は上がりますが、「起こさなかったこと」をテーマにした作品は、確かに演劇にすると地味に見えるかも知れない、それでも本当に大切なことだからやるんだぜ、という気持ちのこもった演劇なのではないかと思います。
しかし、これは一歩間違うとただのつまらない演劇になってしまってもおかしくないと思うのですが、そうはならずにちゃんと楽しめる作品に作り上げた、出演者、関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした。
一つ目は、東区市民劇団 座・未来さんの「わたれ、風 ひらけ、道 -牡丹山諏訪神社古墳奇譚-」を観て来たことです。
座・未来さんのことはずっと応援しているのですが、今回の公演ではありがたいことにパンフに応援文を書かせていただけることになりまして、その関係で一度稽古を見学させていただいていたのですが、本番のステージでどういう演劇になるのかがとても楽しみでした。
本当なら、僕が座・未来さんのどういうところが好きなのか、っていうところから書いていきたいのですが、それはもう、パンフを読んでくれ!と言う訳で、感想を書いていきます。
ちなみに、僕が今までに観て来た座・未来さんの演劇で一番好きだったのは、去年の「阿賀野の雪花~新版・王瀬の長者~」だったんですが、その時に脚本を書いた近藤さんが今回も脚本ということで、それも気になっていました。
で、観終わった率直な感想ですが、何というか、おそらく作者の近藤さんが「今僕らが考えるべきこと」として伝えたいであろうメッセージが、ものすごく強く伝わってくる演劇だなあと思いました。
この演劇では、発掘調査をしていた大学教授と学生が古墳時代にタイムスリップしてしまうというSFであり、二人がその時代の流れに巻き込まれていくという歴史ファンタジーなのですが、特徴的なのは、古墳時代で暮らす人達が抱えている様々な問題というのが、絵空事ではなく、あくまで現代を生きる私達の抱える問題にも通じるものとして、描かれているんです。
例えば、古墳時代の新潟に暮らす人間たちが、当時の日本を治めていた大和の国や、隣国の蝦夷の国とどう付き合っていくべきか、という議論を繰り広げるシーンがあるのですが、自分たちの暮らす国の平和を守るために他国とどうやって付き合っていくべきかという問題は、現在の日本の置かれている状況とまったく同じだなあ、なんて思いました。
今思えば、去年の「阿賀野の雪花~新版・王瀬の長者~」では、阿賀野川の氾濫で村が被害に遭うというシーンが、東日本大震災を連想させるような演出だと思ったので、歴史を描きながらもそれが現実の社会問題と地続きであることを描くのは、近藤さんの得意とすることなのかも知れないと思いました。
また、この演劇の舞台は新潟市の東区に実際に存在する古墳を舞台にしているので、時間的にも地理的にも地続きの物語であり、それが劇中での出来事を現実と地続きとして描くことの説得力が増していたと思いますし、過去の出来事を現在の自分たちと地続きのものとしてとらえることは、歴史を考える上で最も大事なことだと思います。
もっと言えば、東区市民劇団 座・未来さんの演劇は、現代劇にせよ時代劇にせよ、一貫して新潟市の東区を舞台に描いているので、この劇団の演劇を観続けていることで、東区という土地の歴史に理解が深まるあたりも、市民劇団としての役割をちゃんと果たしているなあと思います。
はい、という感じで、何だか物凄く頑張って難しいことを考えたような感想をずっと書いてきましたが、それ以上にこの演劇のいいところは、そういう深いテーマを読み取ることも出来るのですが、それが決して押しつけがましいわけではなく、基本的には古墳時代を舞台にした群像劇として、普通に楽しい演劇になっているということです。
ストーリーも分かりやすかったし、何より登場人物の一人一人、言い換えれば役者さんの一人一人の個性が、老若男女が集まって作り上げる市民劇団にしか出せない魅力となっていたと思います。
役者さんの良かったところと言えば、誰一人「自分だけが目立とう」みたいな演劇をする人がいなく、全員で協力してこの演劇を作り上げていたことが感じられたことも良かったです。
分かりやすくて面白いストーリーと、一生懸命に協力して作り上げた演劇で、しかもそこには色々なメッセージも込められているという、まさに老若男女が楽しめる市民劇団ならではの良さだなあと思いました。
ただ、これまでの座・未来の過去作と比べて派手さが抑えめでやや地味な印象を持ったので、最初はもっとエンタメ性がもっとあっても良かったんじゃないかって思った部分もありました。
しかし、観終わってからもう一度劇の内容を思い返してみると、いや、やっぱりこの演劇はこれで良かったなあと思えてきました。
奇をてらった派手なことをやらなくても、物語と役者の魅力で直球勝負する渋さというか、正統派なところが、座・未来さんの魅力なんじゃないかなあと思います。
それに、劇中の台詞にもある通り、私達はどうしても歴史を考える時に「何が起こったか」を考えがちですが、それよりも「起こらなかったこと」(この演劇では戦争が起こらなかった)の大切さこそを考えるべきなんじゃないかというのが、この演劇に込められたメッセージなのかなという気もします。
「事件が起きたこと」を演劇にすると確かに派手でエンタメ性は上がりますが、「起こさなかったこと」をテーマにした作品は、確かに演劇にすると地味に見えるかも知れない、それでも本当に大切なことだからやるんだぜ、という気持ちのこもった演劇なのではないかと思います。
しかし、これは一歩間違うとただのつまらない演劇になってしまってもおかしくないと思うのですが、そうはならずにちゃんと楽しめる作品に作り上げた、出演者、関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした。