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舞い上がる。

日々を笑い、日々を愛す。
ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

成人の日が来る度に中途半端な自分を思い出す。

2018-01-08 23:33:25 | Weblog
1/6(土)、7(日)、8(月)と世間は三連休でしたが、皆さんいかがお過ごしでしたか。



僕は1/6(土)は寝坊したけどギリギリで14時から映画「いぬむこいり」を観に行きまして…
(感想は、明日あたり書こうと思います。)



昨日、1/7(日)は、RYUTistを見に行くつもりだったのに、夕方まで起きられないという非常に悲しい一日を過ごしてしまいまして…
(昨日はかなり落ち込んだんですが、今は立ち直っております)

(一つ前のブログに書いたので読んでみてください)
2018年も俺の人生ももう終わりだ。(ひどいタイトルだな…笑)



そして本日、1/8(月)は、やっぱり起きられずに夕方まで寝てしまうという、非常に切ない一日を過ごしてしまったわけです。
万代にNGT48を見に行くっていう予定もちょっと考えたんですけど、出来ませんでしたね…残念。




…という、非常に切ない3連休を過ごしてしまいました。
まあ、どうせ無職だからそこまで困らないっちゃ困らないんですが、正直あまりに不健康でわりと凹んでいるし焦っているわけです。





ところで、1/8(月)は成人の日だったわけですが、新潟市では1/7(日)に成人式が行われたそうです。
と言う訳で、成人式とか成人の日とかに僕が思うことを、色々書いていこうと思います。



成人式の迎え方として、ざっくり分けて、行くか、行かないかの二パターンがあると思うんです。
普通に行って同窓会みたいに楽しむ人もいれば(派手な格好したり騒いだりする人も含む)、そもそも興味なくて行かない人がいると思うんですよね。(僕の両親はどっちも行ってないし僕の友人には行かなかった人がやけに多い)



じゃあ自分はどうだったかと言うと、11年前、二十歳の時に一応行ったは行ったんですけど、あんまり面白くなくて終わったらすぐ帰ったっていう、そういう一番中途半端なつまらない成人式を過ごした人間です。
当時は信州大学の学生だったので、年末年始に新潟に帰省してそのまま成人式にも出たんですけど、特に思い入れもなかったので特にここぞと言うお洒落もせずに唯一持っていたスーツを着てなんとなくふらっと行きました。

で、行ったら中学生の同級生に再会してそれなりに挨拶とかしたんですけど、まあ、別に大して盛り上がることなく・・・
そして、高校の部活の友人たちに会って、一緒に高校の部室に行こうと言われて(歩いて行ける距離だった)、実際に挨拶に行ったんですけど、そこまで楽しくなかったので、そのまま先に一人で抜けて、帰宅しました。

だから、多くの人達は成人式のあとに中学や高校の友人たちと同窓会とかに行って楽しんだと思うんですけど、僕はそういうものにまったく縁がなく、普通に帰宅しました。
で、帰宅したら帰宅したで、もう新潟にいても仕方ないなって感じだったので、その日の夕方の高速バスで新潟を出て、長野へと向かったのでした。

その日の夜は、当時ボランティアでよく行っていた松本のスーパー障害者オバチャン和子さんの家に泊まりに行ったら、農学部の同期のトヤマックスがいたのでした。
実家の宮崎まで帰るのが面倒だから成人式には出なかったトヤマックスと話しながら、ああ、俺も成人式に出ないで松本で和子さんとトヤマックスと遊んでいた方が楽しかったなあ、などと思いながら、夜は更けていったのでした。



以上が、僕の成人式の思い出なんですが、なんかこう、中途半端でパッとしない、本当に自分の自分らしい部分が如実に表れた成人式の過ごし方をしてしまったなあ、と思っています。
成人式には取り敢えず行く、同窓会的なものにも取り敢えず行ってみるけど、途中で「やっぱりいいや」って感じで、変なタイミングでフェードアウトして、そのまま疎遠になっていく…僕の人間関係の終わらせ方って、大体これなんです。

要するに、同窓会とか地元の友達付き合いとか、そういう過去の人間関係をまるで大事にせずに、まったく興味を失い、どんどん切り捨てていくんです。
ただ、だからと言って卒業したらキッパリと過去の付き合いを無かったことにするかと言うと、そこまではっきり分かりやすい人間でもなくて、一、二年くらいの何となくのグダグダな付き合いがあって、その後になんとなくフェードアウトしていくのですが、その中途半端な感じが、楽しくもない成人式に何となく流れで行ってしまって、高校の部活の集まりにちょっとだけ顔を出すけど一人だけ先に帰る、っていうところに、如実に表れていると思うのです。





ちょっと詳しく話しますと、僕は高校時代、何となくボート部に入っていたんですが、そこは今の自分では考えられないような、ザ・体育会系!って感じの部活だったんですよね。
毎年誰かがインターハイに出演するし、部員全員が全国を目指すことが前提として全てが動いていて、だからこそ毎日遅くまで練習して、それ以外にも朝練とかもあって、部員にとって高校生活の中心が部活にならざるを得ないような、(と言うか今思えばブラック部活としか思えない)そういう部活でした。

で、そんな「試合に勝てるかどうか」だけで人間が判断されていくような環境に、僕みたいな人間がどう考えても馴染むわけがないんですよ。
そんなこと、普段の僕の言動を見てもらえれば明白じゃないですか。(乱暴に言えば、他人からの評価なんて知るか!っていうのが僕のスタンスですので…笑)

なんですけど、じゃあ高校時代の僕がどうだったかって言うと、そんな部活に普通に三年間真面目に通い続けてしまったのです。
それどころか、顧問や先輩が言う「頑張って全国行くぞ!そのためには何を犠牲にしてもいい!」という言葉に全力で賛同してしまうくらいに没入してしまっていたのです。

要するに、自分がこの環境に向いているのかどうか、自分がやりたいことは何か、一緒にいたい人は誰かなどの、要するに「自分の願望」が何なのかを、全然判断できないんです。
で、それに気付くのは、それが終わって過去になってからで、「ああ、そう言えば昔はあんなことしてたけど、今思うと全然向いてないこと頑張ってたなあ…」みたいに振り返って気付くのです。

で、ここで、気付いたらすぐに付き合いをやめればいいものの、暫くグダグダで何だかんだ付き合ってしまう、っていうのが僕の特徴で、実際、僕は高校を卒業してからも、数年間はボート部卒業生の新年会に毎年参加してしまっていたくらいなのです。
でも、年々参加するのが苦痛になっていって、最終的に「もういいや…」って感じで、高校の知り合いとは一切の連絡を経ち、完全にフェードアウトしていくのです。

そうなってしまうと、かつてはあんなに熱中していたはずの高校の部活が、もう、「ああ、そう言えばそんなものあったね」ってレベルの、心底どうでもいいものになっていくんですね。
思えば僕がまだギリギリ部活の新年会に参加していた時でさえ、去年のインターハイでどこまで行ったとか、卒業生の誰々がプロの選手になったとか、そういう報告を聞いた時も一切の興味を持てなかったくらいなので、だから例えば今、あの部活がどれだけ活躍しようが逆に部活が廃部になろうが、本当に死ぬほどどうでもいいのです。





まとめると、

①周りに流されるように何かに熱中してしまう。→
②時間が経ってそこから距離を置いた時に、かつて熱中していたものが大して好きでもなかったことに気付く。→
③にもかからわず暫く何となく数年間ダラダラと付き合ってしまう。→
④それに耐えきれなくなった時に一切の興味を失い一切の連絡を絶ちそのコミュニティから完全にフェードアウトする。

という、この①→②→③→④の流れを繰り返して生きているのが、本当に僕の人生だなあって思うんです。



中学でも高校でも大学でも、何かのコミュニティの中で人間関係を築いては、数年後にその関係を続けるべきかに暫く悩み、ある時一気に切り捨てて完全に疎遠になっていく、それを繰り返し続けているのが僕の人生なんだと思います。
(ちなみに、この①→②→③→④の流れが、今は自分と新潟演劇との付き合いで起きているなって思っているんですけど、この話は長くなるので、後日あらためて書いてみようと思います。)





ただ、じゃあ何でもかんでも過去のものは切り捨てているかって言われたら決してそうではないのです。
例えば大学の友人たちとの付き合いはなくなったけど與那覇とはたまに連絡を取るし、新潟演劇との付き合いはなくなったけどさくらもみぢとは相変わらず仲はいいし、ニコ生はやめたけどブログはずっとやっているし、BLUESも続けているし、NegiccoやRYUTistみたいなアイドル現場には通い続けているし、こわれ者の祭典のことは応援し続けるし、僕の中で生き残るものはちゃんと生き残るんです。



これは僕が前にブログにも書きましたが、大槻ケンヂさんのエッセイに載っていた「「あ、これ今の自分と違う」と感じる文章はだいたい3年前から」、「そんな文章の中にも稀に何年経っても変化しない著者の本質みたいなものがある」にも通じる話だなあと思うんです。
人間、3年くらいで環境も自分も変化してほぼ他人同然に変わり続けていくけれど、その中にまれに変わらずに生き残っていく本質みたいなものがあるんだなあと思います。



で、そういう自分の本質なのか、それとも数年後にはまったくどうでもよくなってしまうようなものなのか、その判断が出来るか出来ないかの境界線みたいな微妙な時期(要するに③の時期)というものが、人生には何度か訪れるものだと思うんですが…僕にとって成人式ってそういうものだったと思うのです。
そういう判断に迷いながら生きている微妙な感じが、自分の成人式の中途半端な過ごし方に、如実に表れているなあと思うのです。



そして、ああいう中途半端な成人式を過ごした自分は、多分これからも物事の判断に迷いながら中途半端に生きていくような気がするのです。
なんかまとまったような、まとまっていないような感じですが、僕にとって成人式はそんな感じの思い出です。







オチが思い付かないので、今日の夜、帰って来てテレビを付けたらやっていた音楽番組の、NEWSの「チャンカパーナ」の画像でも貼っておきます。
(この「チャンカパーナ」って曲、多分僕は一生好きだと思います。)
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