自分にとってツイートはもはや遊びではなく自己表現の手段と化してしまっているので、ツイートの順番にも内容にも尋常ならざるこだわりを持ってしまう。
例えるならば芸術家が本人以外には違いがまったく分からないような細部にこだわるかのように、ツイートを自己表現としている自分はツイートの内容や順番に強いこだわりを持ってしまう。
ただでさえ不安定な精神や生活リズムが治らず、自分の思い通りに生きていくことの出来ない人間なので、その上さらにただのつぶやきでしかないツイートという行為に自分の生活のかなりの大部分を振り回されてしまう。
だからと言ってツイート辞めれば楽になるという話でもなく、それは大袈裟に言えば生きることの否定になってしまう。
昨夜、2/27(日)に、「今夜は最近頭の中に溜まっていた色んな感想をツイートして、そのあとカレーのツイートをしよう」と思ったらもう、その順番でツイートしないと気が済まなくなってしまいました。
でも、感想をツイートをするだけでも推敲が必要で気軽には出来ず、体力も使うので夜に力尽きて寝てしまいます。
そして一度寝たらいつ起きられるか分からない自分が、なんとか起きて昨夜つぶやく予定だったツイートをすべて終えられたのは、もう翌日の午後だったりするわけです。
それでやっと、2/27(日)につぶやく予定だった、日曜日のカレーがツイートできるわけです。
もう月曜日なのに…そう、今日はもう2/28(月)。
皆さん、月曜日の…いや、日曜日のカレーです。
例えるならば芸術家が本人以外には違いがまったく分からないような細部にこだわるかのように、ツイートを自己表現としている自分はツイートの内容や順番に強いこだわりを持ってしまう。
ただでさえ不安定な精神や生活リズムが治らず、自分の思い通りに生きていくことの出来ない人間なので、その上さらにただのつぶやきでしかないツイートという行為に自分の生活のかなりの大部分を振り回されてしまう。
だからと言ってツイート辞めれば楽になるという話でもなく、それは大袈裟に言えば生きることの否定になってしまう。
昨夜、2/27(日)に、「今夜は最近頭の中に溜まっていた色んな感想をツイートして、そのあとカレーのツイートをしよう」と思ったらもう、その順番でツイートしないと気が済まなくなってしまいました。
でも、感想をツイートをするだけでも推敲が必要で気軽には出来ず、体力も使うので夜に力尽きて寝てしまいます。
そして一度寝たらいつ起きられるか分からない自分が、なんとか起きて昨夜つぶやく予定だったツイートをすべて終えられたのは、もう翌日の午後だったりするわけです。
それでやっと、2/27(日)につぶやく予定だった、日曜日のカレーがツイートできるわけです。
もう月曜日なのに…そう、今日はもう2/28(月)。
皆さん、月曜日の…いや、日曜日のカレーです。