舞い上がる。

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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

あるカップルの出会いと別れを描いたヒット作は、果たして名作なのか「花束みたいな恋をした」観てきました。

2021-02-26 14:55:10 | Weblog


2/23(火)、イオンシネマ新潟西でワンダーフリーパスポートで5本連続の2本目、「花束みたいな恋をした」、観てきました。







予告編はこちら。



菅田将暉さんと有村架純さんが演じる男女が、偶然出会い付き合い、やがて別れていく5年間を描いたドラマです。
まず良かった点は、5年間の物語の中で本当に役者が年を取っていくように見えること。

特に菅田将暉さん、「溺れるナイフ」「糸」でも思ったけど年齢の変化や内面の変化を自然な演技で表現する力がやっぱり凄い!
特に後半の仕事がキツくてやつれていく演技とか本当に悲壮感が伝わって来て素晴らしかったです。

もちろん有村架純さんも、普通に見たら可愛い女優さんなんだけど、ごくごく普通の女の子っていう感じがすごく出ていたと思います。
それから個人的に好きだったポイントとして、途中で出てくるオダギリジョーさん、「南瓜とマヨネーズ」でも思ったけど、カップルの平和を乱す危険な色気を持った男を演じさせたら最強なんじゃないかってくらい良かったです(オダギリジョーさん以外だったら斎藤工さんかな…)

何が言いたいかと言うと、役者はすごく良かった!!ということです!!
なので、これから僕が色々書いていく中で正直酷評する部分が大きいのですが、それは決して役者が悪かったわけではない!!ということを、最初に言っておきます。

さて、この映画、「恋愛あるある」「共感しすぎてつらい」などの感想が散見され、大絶賛も多く、実際ヒットしているということで、かなり期待して観に行ったのですが…正直、最初から最後まで心に響くことや刺さることが一つもなくて驚きました。
すべてが表層的で、何で付き合っているのか分からない2人が別れただけみたいな映画だなあと思ってしまいました。

主演の2人は偶然出会い、いわゆるサブカル的な趣味が合ったことで恋に落ち付き合うという物語で、本作の特徴としてサブカル的な固有名詞がたくさん登場します。
でも、サブカルの描写が物凄く表層的なので2人が全然サブカル好きに見えず、だから趣味が合った喜びが感じられず、故に二人がお互いを好きになる物語に説得力が何も感じられなかったんですよね。

(ここから軽くネタバレします)例えば、2人が最初に出会った日に押井守監督を目撃して盛り上がる下りが登場し、それは2人が仲良くなるきっかけの大事なエピソードとして描かれます。
しかし、本当に押井守監督が好きな人達なら「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」「パトレイバー」「攻殻機動隊」くらいの単語は絶対出すと思うんですが…2人の会話の中に押井守監督の作品名が一つも登場しないんですよね。

彼らは作品名を一切出さずに「押井守は神だよね!」という表層的な会話しかしないから、本当に押井監督好きな人に全然見えないし、全然リアリティが感じられないわけです。
しかもここのシーン、せっかく押井監督ご本人が登場しているという、展開としてめちゃくちゃ面白い場面なのに、すごく勿体ないわけですよ。(「ビューティフルドリーマー」に対する変態的な愛情だけで映画を一本作ってしまった本広克行監督を見習ってほしいです!)

そして、サブカル大好き人間である彼らの対比となるいわゆる「普通の人達」が、普通のヒット作(本作では「ショーシャンクの空に」)と実写化映画(本作では実写版の「魔女の宅急便」)の話をしていて、それを見て「こいつらは分かってない」みたいに思う下りも登場します。
これも、ヒット作や実写化映画を酷評すればサブカル好きっぽいんでしょ、こういう感じなんでしょ、という浅はかさだけが目立つんですよね。

おそらく本作の作り手は、サブカル好きな人達の共感を得ようとしてこういう固有名詞の登場する展開を描いていると思うんですが、描写の一つ一つが表層的なので、浅はかさだけがかえって目立つわけです。
これは例えるなら、オタクに「萌え~」と言わせるレベルの浅はかさでサブカル好きを描くようなものだと感じてしまいました。

大体、「ショーシャンクの空に」も実写版「魔女の宅急便」も普通に面白い映画だし、いわゆるサブカル系の人からバカにされることなんて絶対ないと思われる映画だから、例として不適当としか思えないんですよ。
「魔女の宅急便」繋がりで言うと、あの映画を監督した清水崇監督の現在公開中の最新作「樹海村」の方が、よっぽど深く人間を描いていたと思いますよ!(余談ですが、本作を評価しているとあるネット記事で「魔女の宅急便」を「ジブリ」と表現していましたが、ジブリはアニメのみ、実写映画は角野栄子さんの小説を原作としたものでジブリは関係ないです!)

こんな感じで全編に渡って様々なサブカル的な固有名詞が登場するんですが、実はそれらはすべて2人のとってつけたような会話に固有名詞が登場するだけで、内容について具体的に語り合って盛り上がる、みたいな描写はまったくないので、何から何まで表層的なんです。
しかもこういう中途半端なサブカル要素が登場するからこそ、共感どころか「サブカル好きな人達なのに、じゃあ何であの話題は出さないんだ?」みたいな、普通に映画を見ていたら本来まったく気にする必要がないような部分が異様に不自然に感じられてしまい、そこがノイズとなってしまうという、完全に逆効果だったと思うんですよ。

サブカル要素以外にも、全体的に「お洒落な男ってこういう感じでしょ」「意識高い系ってこういう感じでしょ」「広告代理店ってこういう感じでしょ」「親ってこういう感じでしょ」「社畜ってこういう感じでしょ」みたいな人間描写の一つ一つが、まるでネットのコピペをそのまま再現したように表層的なので、役者はすごくいいはずなのに全体的に登場人物達にまったく人間味が感じられず、見ながらずっとうんざりしてしまいました。
正直、開始15分~20分くらいの押井守監督の下りあたりで、「あれ、この映画自分には合わないかも…?」と違和感を覚えて見続けたのですが、そのまま最後までずっとその違和感が消えることはない映画でした。

そんな感じで、サブカル描写にしても人間描写にしてもすべてが表層的なので、登場人物達にリアリティがまったく感じられず、故に主演の2人が恋に落ちる下りもまったく現実味が感じられませんでした。
何であの状況で恋をしたのか?菅田将暉がカッコいいから、有村架純が可愛いからでごまかしてない?それ以上の説得力ある表現がほしかったです。

二人が恋に落ちる下りをしっかり描けてないのは恋愛映画として致命的だと思うんですよ。
別に共感できなくても、気持ちが少しは理解できるとか、少なくとも二人の恋愛をいいなあと思わせてくれるものがほしかったです。

それがあれば最後の別れも盛り上がったと思うんだけど、最初から何もないから最後も「あ、やっぱり別れた」みたいな感じでした。
何で付き合ったのか分からないカップルが別れただけで、切なさも感動も何もなかったです。

サブカル趣味が表層的なのは百歩譲るとして、趣味が合ったから付き合いましたって何なのそれ?って思うんですよね。
趣味が合わなくても、性格が合わなくても、どうしてもうまくいかないのが見えているのに、何故か好きになってしまうし、好きになったら気持ちが止められないのが恋ってやつじゃないのかい!?

僕だって恋愛をするし、恋愛映画が好きな人間だからこそ、恋愛をなめるな!!って感じで僕は怒っていますよ!
そういう様々な恋愛を描いてきた恋愛映画、ポルノ映画の歴史が日本にはあるのですが、そういう映画の爪の垢を煎じて飲んでほしいです!

ここ数年だけ見ても、今泉力哉監督の「サッドティー」や「愛がなんだ」、山戸結希監督の「溺れるナイフ」や「ホットギミックガールミーツボーイ」、加藤綾佳監督の「おんなのこきらい」や「いつも月夜に米の飯」、大九明子監督の「勝手にふるえてろ」や「私をくいとめて」など、新しい視点で描いた恋愛映画の傑作が邦画でも本当にたくさん生まれているのです。
そういう映画にここ数年心を動かされ続けてきたので、本作には物足りなさしか感じませんでした。

そもそも僕は恋愛映画が好きで色々見ていますが、不倫であれ犯罪であれ普通の恋であれ、本当に様々な恋の形を描いた映画がこの世にはあるし、例えば僕は女性でも同性愛者でもないけれど、女性や同性愛者の物語に感動もすることもあって、恋愛映画にはそういう力があると思うんです。
だからまったく共感できないつまらない恋が始まって終わるだけの映画を何のために作る必要があったのか全然分からないんですよね。(いや、正確には薄々分かっているのですが、それは後述します)

ただ、人間、若い頃に運命の恋だと思って燃えあがった恋が、大人になって振り返ってみるとただの一時の思い込みに過ぎなかった、なんてことはよくあるわけで、そういう恋愛を描いた映画である、という意図は理解できるんですよ。
要は「(500)日のサマー」の日本版ではないかという。

でも、それを描くならせめて、若い頃の恋も当時の彼らには真剣だったしそれなりに幸せだった、という部分をしっかり描かないと、その後の展開にも説得力がないと思うんです。
だから、やっぱりこのテーマで恋愛を描くなら、恋の始まりを、それこそ「(500)日のサマー」くらいしっかり描かないと、何も響かないよなと思いました。

それでも、この映画が共感を呼びヒットしているのは事実なわけで、その理由は何なのか考えてみたのですが、もしかしたら実はこのくらい表層的な恋愛の方が(あるいはこのくらい表層的な映画の方が)実は一般的なのかも知れないな…と思うのです。
あくまで僕は個人的な感覚として「この程度で人は恋をしないし付き合わないよ」と思いますが、案外このくらいの軽い気持ちで付き合う人達の方が多数派なのかも知れません。

さっきも言いましたけど、恋なんてするつもりじゃないのにしてしまうことこそが恋だと僕は思っているんですが、この映画の2人は、最初から恋をしたいと思っていた美男美女がたまたま出会ったから付き合った程度にしか見えませんでした。
でも、もしかしたら多くの人達は「可愛い彼女/カッコいい彼氏と恋がしたいなあ」くらいの気持ちを持っているのかもしれないし、このくらいの軽い気持ちで恋をしてしまう人達の方が多数派なのかもしれなくて、だからヒットしているのかなあと…(僕みたいに重い片想いばかりしてる人の方が少数派なのかもしれません。そりゃまあ彼女もいないわけです)

そして、ここが非常に重要なポイントなのですが、土井裕泰監督と脚本家の坂元裕二さんは2人ともテレビドラマで活躍されてる方じゃないですか。
作り手の作家性が発揮され時にマイノリティな気持ちさえも表現する映画というジャンルに比べて、お茶の間に届くテレビドラマっていわゆる多数派、一般層に受ける必要があるじゃないですか、視聴率って大事ですし。

だからこそ、こういう普通の恋愛を描いた映画が作られ、そして映画よりもテレビドラマを見るような普通の人達にヒットしているのかなあ、と考えると、納得はできるんです。
それに、僕みたいに映画に強烈なインパクトを期待する映画ファンって、日本全体から見たらきっと少数派で、もっとライトに映画を楽しみたい人達に受けた映画ということなのかもしれません。

まあ、「君の名は。」「鬼滅の刃」みたいに映画ファンじゃない一般層にも大ヒットする作品があれば、映画館が潤うのだから、映画ファンとしてはこれはこれでいいのかもねって思うわけですが…
ただ、映画ファンとしては、庵野秀明監督の作家性が炸裂した「シン・ゴジラ」や、同じく菅田将暉さん主演の恋愛映画でもピンク映画出身の瀬々敬久監督の「糸」くらいの感動は期待してしまうのもまた事実。

それから、この映画の感想や評論を色々調べてみた中で(好きな映画よりも寧ろ嫌いな映画がヒットしていた時の方が調べてしまう人間です)、「人を選ぶ映画だよ」という意見を拝見しました。
つまり、彼らが劇中で交わす様々なサブカルチャー的な固有名詞が好きな人達や、彼らのような恋愛に共感できる人には感動できる映画だけど、そうじゃない人には受けないよ、という意見。

確かに、彼らにまったく共感できなかった僕は、この映画をまったく楽しめなかったので、それは当たっているのかもしれません。
どんな表現物も万人に愛されることは難しく、好きな人は好き、人を選ぶ、というタイプの映画だって、それはそれで普通なのかもはしれません…

…しかしそれと同時に、いや、それは違うぞ!と思ってしまう自分もいます。
というのは、「人を選ぶ作品」というのは分かるのですが、「共感できなければ面白くない」というのは、ちょっと違う気がしてしまうのです。

僕なりにこの映画をまとめると、「共感した人が楽しめる、人を選ぶ作品」であり、そして「(おそらく)日本の多数派の人達が共感しやすい物語」になっていると思うのです。
これ、ビジネスとしては分かるんです。多数派に受けるものを作ってヒットさせるのは、ビジネスとしてはきっと正しいんです。

でも、それを「映画」でやるのってどうなんだ!?って思ってしまうわけです。
映画って、ビジネスであると同時に、プロデューサーや監督や脚本家、役者さん達や様々なスタッフの人達による「作品」でもあるわけですよね。

もちろんどちらも大事な要素だとは思うんですけど、ビジネスとしての成功を重視するあまり、作品としての面白さを少し軽視してしまっているよに思えたんです、この映画。
作品としての面白さというのは、脚本の完成度とか演技力とかだけではなく、作り手の人達がこの映画を通してどうしても表現したいことがある!という気持ちのようなものです。

例えば、個人的にまったく共感できる要素が一つもない映画だとしても、作り手の「どうしてもこれを表現したい!」という気持ちが伝われば、感動したり好きになったりできるのが映画だと思うんですよ。
例えば、暴力映画とかホラー映画とか、まったく共感できない、なんなら目をしかめたくなるような場面ばかりなのに、どうしても心を動かされてしまう映画ってあるんです。

ただ、この映画「花束みたいな恋をした」からは、こういう日本の多数派の人達に受ける作品を作ればヒットするよね、という意図はすごく伝わってくるのに、映画の作り手が表現したかったものがいまいち伝わってこなくて、それが残念でした。
とはいえ、はっきり言って「花束みたいな恋をした」よりも、もっとずっと浅はかな意図で作られた日本映画なんて山ほどあるわけで、それに比べればかなりいい映画!とも思ってしまったのもまた事実。

例えば漫画やアニメの強引な実写化で演技力よりも顔の良さだけでアイドルを起用する、みたいな駄作が今まで山ほど作られてきましたが、この映画は何より登場人物がみんな名優ばかりなのでその悲劇だけはなかったわけです。
しかしながら、パッと見「いい映画」に見せる実力のある俳優ばかりだから、悪い部分が隠されている、という見方もできるなあ、なんて意地悪な感想を持ってしまいました。

僕がこの映画に共感できないって言いましたが、唯一の共感ポイントはあって、それは主演の2人ではなく、過酷な仕事が嫌になったトラック運転手が荷物を海に投げ捨てた、というエピソードでした。(実際に映像が出るわけではないけど)
これは、めちゃくちゃ気持ちが分かったし(バイトでパワハラを受けて何度そういう体験をしてきたことか!!)、映画ってそういうヤバくなっちゃった人の気持ちも描ける力があるものだと、僕は思っているわけです。

でも、考えてみたら、普通の人はたとえそういう気持ちになっても、そんな危険なことはしないで静かに生きていくわけじゃないですか(いや、僕もそうですけど)。
だから、そこまでヤバイ人生も送らない、いわゆる普通の人達をターゲットにして、そして、そういう普通の人達に狙い通りにヒットしたという、まあそういう映画なんだろうなという感想でした。

でも僕にとっては、そもそも映画ってどんなジャンルであれ、みんなには理解されないマイノリティな気持ちをこの映画だけは分かってくれる!と思うから感動するものだし、その感動を求めて僕は映画館に通うわけです。
だから、映画を見て自分の周囲と分かり合えないマイノリティを感じてしまうなんて、僕が求めている映画の感動の真逆で、あえて嫌な言い方をすると、はっきり言って最低の映画体験でもあるわけです。

いや、僕は映画なんてリアルじゃなくても共感できなくても、なんなら面白くなくても「観て良かったな」と思えればいい映画だと思うんです。
でも、「花束みたいな恋をした」に関しては、明らかにリアルさや共感を狙ってると思われる映画なのに、少なくとも僕にとってはリアルでもないし共感もできないから酷評している、ということです。

なんか、この映画を好きな人のことは嫌な気持ちにさせてしまった感想かもしれませんが…でも、僕の感想なので僕の主観がすべて!周りが共感してようが感動してようが関係ない!という強い気持ちで今回は謎の気合が入って書いてしまいました。
というか、この手の出演者も豪華でお金もかかってシネコンで大々的に宣伝されてヒットするタイプの映画、もしも自分が酷評できる意見を持っているなら、もしかしたらそれは貴重な意見なのかもしれないと思うので、逆に言っておいた方がいいかも、という気持ちも込めて、書いてきました。

さて、そんな感じで長々語ってしまいましたが、「花束みたいな恋をした」、現時点で2021年のワーストです!
ただですね、ワーストって、例えばベスト10圏外の中途半端な面白さの映画よりも熱く語りたくなってしまうんですよ!

だからこんなに長い感想になってしまいました。
そして、ここまで語りたくなってしまうだけの映画であったことは紛れもない事実なので、少なくとも僕にとって「どうでもいい映画」ではないし、ある意味、今年一番心が動いた映画とも言えるかもしれないし、今後も折に触れて見返すなんてこともあるかもしれませんね…

だから、ある意味めちゃくちゃ思い出に残った映画になりましたが、何も残らない映画よりは実はこっちの方がまだ良かったのかな、とも思うし、なんかここまで長々と感想書いてきたら逆に好きなんじゃないかくらいの気持ちにもなってきました(どっちだよ)。
でも、もしもこの映画を僕と同じくらい酷評している有村架純みたいな美女に出会ったら、僕も思わず運命を感じて恋を…いや、しないでしょうね!!
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