3/22(金)、ここ最近あまり調子が良くなくて色々停滞しているのですが、この日もやりたいと思っていたこと一つも出来ない日でした。
時間はたくさんあるはずなのに、変な時間に眠くなって、変な時間まで寝てしまうから、やりたいことが一つもできなくて、ここ最近は思い通りの人生をまったく送れていません。
例えば、今日は朝起きたらあれがやりたいな、何時からあそこに行きたいな、って思ったら、みんなある程度は普通にできるじゃないですか。
難しいことは出来なくていいから、その程度のことでいいから、自分のやりたいことを出来る人生がよかったなと思うのに、自分が自分の人生を思い通りに動けないなという気持ちがかなりあります。
数年前みたいに、毎朝同じ時間に起きて午前中だけ働いて午後は好きなことして同じ時間に寝て、給料は多くないけどそこそこもらえて毎日が充実していて、ああいう人生がまた送れたらどんなに幸せだろうなと思います。
特別なことは要らないから、ああいう普通の幸せな人生を生きられるようになりたい。
自分だけ何も出来ないまま、時間だけがどんどん過ぎて人生がどんどん短くなっていく感じがしてってもうこんな人生嫌だと思っています。
が、Twitterをやっていたらちょっとだけ気持ちが楽になってきました。
気持ちが落ち着いてきたので、自分の躁鬱(双極性障害)に対しての気持ちを書いていくことにします。
躁鬱の人はとにかく自分と他人の区別がなくほとんどテレパシーといってもいいほど他人の心の声というか心の奥底の感覚まで心じゃないところまで耳が届いてしまうので「もらいやすい」。だから気持ちのいい人といるとどんどんうまくいくが、意地悪な人といると足を引っ張られる。そこの見極めは訓練。
— 坂口恭平 (@zhtsss) January 12, 2019
これは、躁鬱でもある作家の坂口恭平さんが1月にしたツイートなんですけど、「他人の感覚をもらってしまう」という、自分でも気付いていなかった自分の本質をここまで的確に言語化したツイートに出会って本当にびっくりしました。
躁鬱の人がどうしてこうなってしまうのか、躁鬱の人は全員がこうなりやすい傾向にあるのかは分かりませんが、少なくとも僕はこうなります。
そんなわけで、僕は他人の感覚をもらってしまいやすいです。だから一緒にいる相手の思想や考え方にどんどん染まってしまうことがよくあります。
でもこれ、自分がないとか優柔不断とかイエスマンとか、そういうのとも違うんですよね。素直に生きていて自然にそうなってしまうんですよね。基本的に人を嫌いにならない性格ってこういう理由もあるのかも知れません。
基本的に僕は常に本音で生きているし、僕の発言は全部本音と思っていただいて構わないんですけど、その本音がその人に染まっていく感じなんですよね。
あとで思えばあの人に染まってしまったなあ…と思う考えでも、その時は心の底から自分の本音としてそう思ってしまうんですよね。
そして、本音でしか人と向き合えないという、良いのか悪いのか分からない性格でもあるんですけど、その本音そのものが相手に染まっていくから、相手からは「自分を分かってくれてる!」って勘違いされやすいのかも知れないな、なんて思います。
実際は勝手にそういう感じになっていってしまっているだけで、別に相手に合わせるつもりとかまったくないんですよね。だからふと口にした本音が相手の考えと違ったりすると、その相手が離れていく…なんてこともあります。笑
あと、基本的に人を疑うことを知らないし言葉は全部額面通りに受け取ってしまうから、多分騙されやすい人間だとも思うんですよ。
でも、何しろ相手の感覚をもらってしまう人間なので、相手が嘘とか社交辞令ばかりの人だと、疑わないにしろ、その言葉に対する違和感を敏感に感じ取ってしまって、気持ち悪くなってしまうんですよね。就活が苦手なわけですよ。(マルチ商法の勧誘を受けた時はマジで体調を崩しました)
そんな人間なので、本音で人と向き合う人とはいい関係を築けるんですけど、自分の本音を伝えようとする言葉ではなくて、自分の印象をよく見せようという目的で言葉を選ぶ人と会話すると、会話してるのに会話してないみたいな感覚になって気持ち悪くなっちゃうんですよね。一番苦手なタイプ。
で、そういう感じって、案外ツイートによく出るものだと思っていて、ツイートの方が実際に会うよりも落ち着いて人を見られる部分もあるから、ツイートで人を判断することも実はわりとよくあります。