nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

ケベック・シティ

2011-10-05 00:00:00 | 旅行記
 ツアー6日目にして初めての快晴の朝を迎える。
 朝食は昨日買い置きしたサンドイッチ、チーズ、ヨーグルト、オレンジ、それと部屋置きのコーヒーで済ます。
 コンドミニアム方式なので、厨房施設、食器類など申し分ない。
 出発までの間、朝焼けの景色をビデオに収めたり、野鳥やリスなどを観て過す。
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 済んだ青空の下、紅葉が一段と映えるモン・トランブラン村、そして話題のローレンシャン高原を後にする。
 天候が一日づれてくれれば、印象もまた大分異なったであろうが、昨日までの状態では、期待値とはほど遠い結果となってしまった。
 今回の紅葉探勝ツアーのハイライトは終わり、車窓を流れる景色を楽しみながらケベック・シティへと向かう。
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 周囲の紅葉も次第に薄らみ、ひたすらスピードを上げてバスは進んで行くが、所々で道路工事が
 行われており、一般的に道路状態は良くないようだ。これも冬の厳しい寒さが原因とか。
 1時間ほど走って高速道路のP.A.でトイレ休憩。ここのトイレはコーヒーショップの中にあり、
 しかも規模が小さいので、日本のそれとは大違いだ。
 隣接して巨大なマクドナルドの店があったが、そこにもそれらしき設備は見当たらなかった。
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 快晴状態から次第に雲が多くなってきたが、雨が降るようなことにはならないようだ。
 単調な景色が続き、車内の皆さんの大半は旅疲れからか居眠り。
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 バスはモントリオールとケベック・シティのほぼ中間にあるトロワ・リヴィエールの町に入る。
 この町はケベック・シティに次ぐカナダでは2番目の歴史をもつ古都であるとのこと。
 セント・ローレンス川に沿って発展した町には、18世紀の協会や家並が今もそのままの姿を留めているという。
 町の名前は、フランス語で「3つの川」という意味を持ち、セント・モーリス川がセント・ローレンス川に注ぐ河口で3本の流れに分岐している
 というのがその由来。
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 この町のセント・ローレンス川沿いにあるレストラン、Le Grand Heron-Auberge du Lac Saint-Pierre でケベック風フランス料理の昼食となる。     *
Img_2527Img_2528Img_2529  
 メニュー : 赤ビートのスープ、サーモンキッシュ、シャーベット・アイス、コーヒー 。
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Img_2531Img_2530  食後、レストランの庭に出て、悠然と流れる大河・
 セント・ローレンス川の景観を楽しむ。
 この付近の紅・黄葉はようやく色づいたばかりだ。







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 その後1時間半ほどでケベック・シティのシャトー・フロントナック : Chateau Frontenac に到着。何のことはない、半日以上のバス旅行であった
 シティ名物のこのホテルは、客室 627を誇る巨大な建物。ただその一部が改築中なので、玄関への入口が狭く分かりづらいのが難点だ。
 ここのフロントに荷物を預け、現地ガイドの上田氏の案内で市内観光へ出発。 
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Img_2533Img_2534  先ず徒歩でホテル近くの聖トリニティ大聖堂 :
         Cathedral of the Holy Trinity
へ。
  約200年前に建てられた英国国教派の教会だ。
 高く突き出た尖塔が目印。教会内部のステンド
 グラスが美しい。
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 次いで ノートルダム聖堂 :
  Basilique-cathedrale Notre-Dame de Quebec
へ。
 ケベックのカトリックの中心といえる大聖堂で、
 ケベック大司教座所在地であり、新大陸で最初に
 建設された聖堂とのこと。聖堂の外観だけでなく
 内装も見応えがあり、保存されている宝物にはフランス統治時代の絵画や銀器など貴重なものも多いという。
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 その後は、人通りの多いトレゾール小路 : Rue du Tresorを通ってダルム広場へ出る。
 この路地は別名「画家の小路」とも言われている細い路地。
 その名の通り、長さ 100mほどの狭い通りの両側には、若い画家が自作の絵や版画を並べて売ってい.る。シャトー・フロントナックなどのケベックの名所を描いた銅版画は数ドルぐらいからあるとのことでした。
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プラス・ダルム(ダルム広場) : Place d'Armes
 シャトー・フロントナックそばにある、旧市街の中心となる広場。
 中央には噴水があり、1608年にケベックに入植したシャンプランの銅像も建っています。 
 この公園からセントローレンス川の方を見ると、正面に観光案内所があります。
 ここは風が吹き通り寒いほどだ。その強風に帽子を吹き飛ばされたが、若い女性が拾ってくれた。
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Img_2667Img_2672 テラス・デュフラン : Terrase Duffelin
 シャトー・フロントナック・ホテルのそばにある、
 幅広い板張りのテラス。
 長さ約400mのボード・ウオークは、大勢の人が散
 策しています。
 このテラスからはセントローレンス川や、遠くオ
 ルレアン島を望むことができます。
 芝生にはいくつもの大砲が並んでいて、街を守っ
 ていた当時の様子がしのばれます。

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Img_2670Img_2671 知事の散歩道 : Promnade des Gouverneurs
 テラス・デュフランから戦場公園に向かってのび
 ている遊歩道。
 テラスから約300段の階段を上がり、登りきった
 ところにはシタデルの城壁があります。
 このシタデルからは、なだらかな起伏の戦場公園
 を見渡すことができます。
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シタデル : La Citadelle
 この城塞は1820年代に建築されたものですが、現
 在も実際の軍事施設として機能しているとのこと
 だ。
 ガイドツアーで内部を見学することもできるほか、夏期には衛兵交代式も見ることができるとか。
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戦場公園 : Parc des Champs-de-Bataille
 セントローレンス川に面した起伏のある芝生の公園。
  1759年に英仏軍の戦場となった場所で、現在公園内には犠牲者を弔う碑が建っています。
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ローワー・タウン : Lower Town
 プラス・ダルムからローワー・タウンまでは、階段を歩いても下りられるが、観光案内所の横から「フニキュラー(Funiculaire)」とよばれるケ
 ーブルカーでも、あっという間に下りることができる。料金は片道$1.75。
 城壁に囲まれた旧市街地がアッパー・タウンと言われるのに対して、セントローレンス川の河岸にあるローワー・タウンは一段下がっていること
 から、そう呼ばれているという。
 ローワー・タウンのメインストリートとも言える通りが「プチ・シャンプラン通りQuartier du Petit-Champlain」で、両側にはブティックやギフト
 ショップなどが建ち並ぶ、賑やかなショッピング・ストリートになっている。
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フェアモント ル シャトー フロントナック : Fairmont Le Chateau Frontenac
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Img_2669Img_2673  プラス・ダルムの南側に面し、セント・ローレン
 ス川を見下ろす高台に建つホテル。
 1892年の建築で、緑青色の屋根をもつルネサンス
 期のシャトースタイルをしており、がっしりとし
 た石造りの建物は、ケベックの象徴となっている。
 ホテルの名前は、フランス植民地時代の総督フロ
 ントナック伯爵にあやかって付けられたとのこと
 だ。
 ホテルの前にテラス・デュフランが続いている。
 シャトーから、オールドケベックのすばらしい見どころや観光地までは歩いてすぐです。
 どの客室の内装も美しく整えられており、ヨーロッパの歴史に見るようなエレガントさに溢れて
 いるという。
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 観光を終えて部屋へ入ると、ホテルの玄関側で展望は全く効かず、ビルの間から空が見えるだけだった。
 夕食は町のレストラン・Cafe de la Paixで。
 メニュー: ベジタブルスープ、ビーフ・フィレ・ミニョン、バースデーケーキ、紅茶。 
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 8時40分 モン・トランブラン村発 → 9時30分 ハイウエイ・P.A. 9時45分 → 12時00分 トロワ・リヴィエール(昼食)13時10分 → 14時40分
  ケベック・シティ、シャトー・フロントナック着  15時20分 … 市内観光 … 16時30分 ホテル (4720号室) 
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ケベック・シティー(フランス語:Ville de Quebec、英語:Quebec City)
 カナダ・ケベック州の州都。人口 717,641。
Img_2675_2 ケベックはインディアンの言葉で「狭い水路」を意味するとおり、セント・ローレ
 ンス川が幅を狭める地点に位置している。
 北米唯一の城塞都市であり、石畳の細い道や石造りの建物が連なる旧市街は【ケベ
 ック・シティ歴史地区】としてユネスコの世界文化遺産に登録されている。
 街の歴史は、1608年フランス人探検家サミュエル・ド・シャンブランが、この地に
 木造の砦を築いたことに始まる。以来、北米のフランス植民地、ヌーベル・フラン
 スの要衝として、毛皮交易と布教を軸に発展を遂げた。
 しかし、その後勃発した英仏の七年戦争が植民地にも飛び火し、1759年にケベック
 シティのアブラハム平原でフランス軍がイギリス軍に敗れると、ヌーベル・フラン
 スは終焉を迎える。
 パリ条約でイギリス領となり、1867年カナダ自治領が成立しオタワに首府が移転す
 るまでイギリス領カナダの首府だった。アメリカ独立戦争では米軍の襲撃を受けた
 が撃退した。 
 しかしながら、人口の9割以上を占めるフランス系住民の文化や伝統までも支配す
 ることはできなかった。
 連邦の成立とともに州都となったケベック・シティは、やがてフランス系住民によ
 る自治拡大の動きが活発化するなかで、その中核として独自の道を模索していくこ
 とになる。 
 ケベック州の車のナンバープレートにも刻まれている[ Je me Souviens ](私は忘
 れない)これはケベコウ(ケベック人)が好んで口にするモットーだとのことだ。
                           【地球の歩き方より】