今晩はオスロからコペンハーゲンまでの船旅のため、スーツケースを預けるので、着替え、洗面用具などを持ち込む必要があるため、別途用意す
ることになる。
*
ホテル・レストランでの朝食は、品数は多くはなかったが、まずまずの内容だった。
*


出発までの時間があるので、ホテル近くの歩行者
天国を散歩する。
土曜日の8時頃のこととて、商店は閉まっており
人影も殆ど見当たらない。
古い街並が、何か心を落ち着かせてくれる佇まい
だった。
澄んだ青空が広がり、心地よい風が吹いて、少し
ばかり寒いほどだ。
*


その歩行者天国の歩道に、あのリレハンメル・オ
リンピックの標示が残されている。
オリンピックというイベントがこの地に大きな影
響を齎したことが分かる。さらにマンホールの蓋
にまで……。
*


そして、街の所々にある野草が目に付いた。
*
*
今朝も9時半にホテルを出発。
ミョーサ湖沿いの道をオスロに向かう。森と湖が多い風景は心を癒してくれる。
2時間ほど走って、オスロ郊外にある中華料理店で昼食。
これは中国の何処の料理なのだろうか、ノルウェイ風とでもいうのか、あまり食べたことのない何種類かが出る。
*

エケベルク Ekeberg
オスロ観光は、先ず市内の展望ということで、エ
ケベルクの丘へ行く。
ここからはオスロ・フィヨルドの向うにオスロの
街並が見える。
港には今日の夕方に乗船する予定のDFDS・シ
ーウェイズの客船が停泊しているのも見える。
この丘の中腹の途中には、あのムンクの有名な
[叫び]を描いた場所といわれるところがあると
か。
絵の中で橋のように見えるものが、実は道路だと
いうことを知ることになる場所だという。
その道端には[叫び]の碑が設置されているとのことだが、残念ながらそこへは案内されなかった。
*
オスロ Oslo
ノルウェーの首都オスロは、1048年ヴァイキング王ハーラルによってフィヨルドの奥深くに築かれたという。一方をオスロ・フィヨルド、他の
三方を山に囲まれた街並はノルウェー文化の中心地であり、緑豊かな自然と見事に調和して美しい景観をつくり出している。人口約59万4千人。
13世紀の終わりに、ノルウェーの首都となったが、その後の発展は決して順調ではなかったという。
北海とバルト海の制海権を巡るトラブル、ペストの大流行などにより、ノルウェーの国力は弱まり、やがてデンマークの支配下に置かれるように
なった。同時に、オスロは首都の名を失うことになり、さらに1624年、オスロの街は大火でその大部分を焼失したとのこと。
この時にデンマーク王クリスチャン4世が再建したルネッサンス様式の街が、現在の街の原型という。
新しい街は、この後300年にわたり、王の名にちなんでクリスチャニアと呼ばれることになる。
1614年、ノルウェー・スウェーデン王国が誕生すると、街は急速に発展。
ノルウェー独立後、再び「オスロ」に戻るのは1925年のことだったとのことだ。
*
オスロ市内での観光は、先ず国立美術館へ。
『ムンクの部屋』を除いてはノーフラッシュでカメラ撮影もOKとのこと、ただ自由時間が50分で
は思うように作品を観賞することは出来そうもない。
ここでの目玉は何と言ってもムンク(1863~1944)の『叫び』だ。
ムンクの日記(ムンク美術館のHP)によると、
「夕暮れに友人と2人と道を歩いている時、突然空が血のように赤く染まった。疲れを覚えた私
は立ち止り、柵にもたれた。青黒いフィヨルドの町の上には、血の色に燃え立つ雲が垂れ込め
ていた。友人たちは歩き続けたが、私は不安に震え立ちすくんだ。
そして、果てしない叫びが自然をつんざくのを感じたのだった」
という体験をモチーフにしているという。
その不安が画面から迸り出るように感じられた。
*

その『叫び』と『マドンナ』は
絵はがきからの画像です。
その他ゴーギャン、ピカソ、モネ、セザンヌ、モジリアーニなど著名な画家の作品が多く展示されてい
たほか、ロダンの『考える人』の塑像がありました。
*
国立美術館 Nasjonalgalleriet
国内外の美術品を所蔵するノルウェー最大の美術館。
1836年にノルウェー国会によって創設された。ノルウェーの主要芸術作品を収集
し展示することで、一般の人々の美術に関する関心を高めていくことを第一目的
としているという。
収蔵品数は彫刻が約1900点、版画と線描画が約4万点。『叫び』『マドンナ』など、エドワルド・ ムンク(Edvard Munch)の
主要な作品が展示された『ムンクの部屋(Munchrom)』は必見です。
*
フログネル公園 Frognerparken
次いで行ったのはフログネル公園。土曜日とあってか、周辺は大変な人で賑わっている。
園内にはピクニックエリアや菩提樹の並木道がありその周りに多数の彫刻が置かれている。
その彫刻の作者は、グスタフ・ヴィーゲラン Gustav Vigeland (1869~1943年)。
彫刻の数は212点、刻まれた人間の数は、人造湖脇の胎児から噴水にある骸骨まで合わせると650
体以上になるという。
ヴィーゲランは長い間、噴水とそれを囲む20の彫刻を制作したいと考え、少しずつ構想を膨らま
せていた。そして1921年、オスロ市が彼の構想に必要な敷地と材料を提供し、この公園が完成し
たとのことだ。
園内の彫刻はすべて人間と人生をモチーフにしたもの。中央に建つ『モノリッテン(Monolitten人
間の塔)』は13年の歳月をかけて造られた大作で、121人の老若男女が絡み合って塔を形成してい
る。 *


*

*
カール・ヨハンス・ガーテ通り周辺
Karl Johans Gate
最後はショップやレストラン、観光スポットも集まり、街一番の賑わいの町、カール・ヨハン通
りへ。
オスロの中央駅から、王宮へと続くカール・ヨハンス・ガーテ通り(Karl Johans Gate)が、街の
メインストリート。このあたりはオスロの街の中心となるエリア。
通りの両側にはレストランやブティックが並び、賑わいを見せています。広場や公園もあり、散
策にも最適です。
19世紀には日曜の14:00にこの通りを歩くのが、オスロの紳士淑女の習慣となっていたという。
また、グランド・ホテル1階にあるグランド・カフェ(Grand Cafe)は19世紀末にムンクやイプセ
ンら芸術家が集った場所とのことです。
*
以上でオスロ市内観光を終わり、市内近くにある大 型客船の停泊する港へ。
ここで4日間お世話になったバスの運転手氏とお別れになる。年輩のダンディで、愛想の良い方
だった。
乗船にはパスポートを提示して船内へ入る。船はパール・オブ・スカンジナビア号。
船内のチェックイン・カウンターでTDが受付処理をして、船内の案内や今日の夕食のスヶジュ
ールなどを説明した後、各人の客室の鍵を渡される。
我々は9階の602号室の海側の部屋。部屋は狭いがシングルベット2つ、洗面所にシャワー室があ
る。
*
荷物などの整理をしてから外を見ると、何と船は
動いているではないか。
慌てて11階のデッキへ出てみると、オスロの市街は既に後方になってしまっている。
出航の銅鑼の音も、汽笛も気が付かなかったのは残念だ。
船首へ行ってみると、ここは超満員の乗船客で入り込む隙間もないほどだ。
オスロ・フィヨルドの素晴らしい景色が後へ後へと流れて行く。
船尾へ回って去りゆくオスロの街を眺めることにする。それにしても短いオスロの市内観光だった
*
パール・オブ・スカンジナビア号
1989年に建造後、スカンジナビアの海を渡り続け
ている巨大で近代的な客船とのことです。
近年大幅なリニューアルを行い、最新の設備を整えたという。
定員は2168人で、レストランやショップ、バーなどさまざまな施設があります。
【技術仕様】
長さ:178.4m、幅:33.8m
総トン数:40,039トン
航海速度:22キロノット、車両積載能力:350台
旅客定員:2168人、電力設備:AC220V
エンジン:35,000馬力、船級: ノルウェー船級協会認証、建造/改装:1989年/2001年
船内施設 : 各種レストラン、カフェ、パブ、バー、ナイトクラブ、プール、スパ、サウナ、映画館、会議室など
*
船は波静かな海上を滑るように進んで行く。
期待していた海鳥はほとんど見られない。
*


夕食は8階のレストランで5時半からとは早い時
間だ。
今晩はワンドリンクが付くとのことで、白ワイン
を注文する。
料理はバイキング・スタイル。
小生は魚料理を中心に選ぶ。もうザリガニは当た
り前になった。鮭、鱈、鰊、鯵、蟹、海老、そし
てムール貝などなど、一品一個づつ採っても量が
多過ぎるほどだ。
*



*
夕食後は船内を散歩。ゲームコーナーでは子供づ
れの親子で満員の状態。
バーや喫茶のコーナーも大声で話す人たちで満席
のようだ。
我々は免税店でショッピングの後、部屋へ戻る。
外は相変わらず波静か、船は暗い海上を揺れることなく進んで行く。
*
9.30. リレハンメル(バス)→ 10,.35.S.A. 10.55. → 11.50. 昼食(中華料理店)12.40. → 12.55. エケベルグの丘 13.15. → 13.30. 国立美術館
14.20. → 14.30. ブログネル公園 15.25. → 15.30.カールヨハン通り 15.40. → 15.50. オスロ港 (パール・オブ・スカンジナビア号)16.45. →
ることになる。
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ホテル・レストランでの朝食は、品数は多くはなかったが、まずまずの内容だった。
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天国を散歩する。
土曜日の8時頃のこととて、商店は閉まっており
人影も殆ど見当たらない。
古い街並が、何か心を落ち着かせてくれる佇まい
だった。
澄んだ青空が広がり、心地よい風が吹いて、少し
ばかり寒いほどだ。
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リンピックの標示が残されている。
オリンピックというイベントがこの地に大きな影
響を齎したことが分かる。さらにマンホールの蓋
にまで……。
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ミョーサ湖沿いの道をオスロに向かう。森と湖が多い風景は心を癒してくれる。
2時間ほど走って、オスロ郊外にある中華料理店で昼食。
これは中国の何処の料理なのだろうか、ノルウェイ風とでもいうのか、あまり食べたことのない何種類かが出る。
*


オスロ観光は、先ず市内の展望ということで、エ
ケベルクの丘へ行く。
ここからはオスロ・フィヨルドの向うにオスロの
街並が見える。
港には今日の夕方に乗船する予定のDFDS・シ
ーウェイズの客船が停泊しているのも見える。
この丘の中腹の途中には、あのムンクの有名な
[叫び]を描いた場所といわれるところがあると
か。
絵の中で橋のように見えるものが、実は道路だと
いうことを知ることになる場所だという。
その道端には[叫び]の碑が設置されているとのことだが、残念ながらそこへは案内されなかった。
*
オスロ Oslo
ノルウェーの首都オスロは、1048年ヴァイキング王ハーラルによってフィヨルドの奥深くに築かれたという。一方をオスロ・フィヨルド、他の
三方を山に囲まれた街並はノルウェー文化の中心地であり、緑豊かな自然と見事に調和して美しい景観をつくり出している。人口約59万4千人。
13世紀の終わりに、ノルウェーの首都となったが、その後の発展は決して順調ではなかったという。
北海とバルト海の制海権を巡るトラブル、ペストの大流行などにより、ノルウェーの国力は弱まり、やがてデンマークの支配下に置かれるように
なった。同時に、オスロは首都の名を失うことになり、さらに1624年、オスロの街は大火でその大部分を焼失したとのこと。
この時にデンマーク王クリスチャン4世が再建したルネッサンス様式の街が、現在の街の原型という。
新しい街は、この後300年にわたり、王の名にちなんでクリスチャニアと呼ばれることになる。
1614年、ノルウェー・スウェーデン王国が誕生すると、街は急速に発展。
ノルウェー独立後、再び「オスロ」に戻るのは1925年のことだったとのことだ。
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『ムンクの部屋』を除いてはノーフラッシュでカメラ撮影もOKとのこと、ただ自由時間が50分で
は思うように作品を観賞することは出来そうもない。
ここでの目玉は何と言ってもムンク(1863~1944)の『叫び』だ。
ムンクの日記(ムンク美術館のHP)によると、
「夕暮れに友人と2人と道を歩いている時、突然空が血のように赤く染まった。疲れを覚えた私
は立ち止り、柵にもたれた。青黒いフィヨルドの町の上には、血の色に燃え立つ雲が垂れ込め
ていた。友人たちは歩き続けたが、私は不安に震え立ちすくんだ。
そして、果てしない叫びが自然をつんざくのを感じたのだった」
という体験をモチーフにしているという。
その不安が画面から迸り出るように感じられた。
*


絵はがきからの画像です。
その他ゴーギャン、ピカソ、モネ、セザンヌ、モジリアーニなど著名な画家の作品が多く展示されてい
たほか、ロダンの『考える人』の塑像がありました。
*

国内外の美術品を所蔵するノルウェー最大の美術館。
1836年にノルウェー国会によって創設された。ノルウェーの主要芸術作品を収集
し展示することで、一般の人々の美術に関する関心を高めていくことを第一目的
としているという。
収蔵品数は彫刻が約1900点、版画と線描画が約4万点。『叫び』『マドンナ』など、エドワルド・ ムンク(Edvard Munch)の
主要な作品が展示された『ムンクの部屋(Munchrom)』は必見です。
*

次いで行ったのはフログネル公園。土曜日とあってか、周辺は大変な人で賑わっている。
園内にはピクニックエリアや菩提樹の並木道がありその周りに多数の彫刻が置かれている。
その彫刻の作者は、グスタフ・ヴィーゲラン Gustav Vigeland (1869~1943年)。
彫刻の数は212点、刻まれた人間の数は、人造湖脇の胎児から噴水にある骸骨まで合わせると650
体以上になるという。
ヴィーゲランは長い間、噴水とそれを囲む20の彫刻を制作したいと考え、少しずつ構想を膨らま
せていた。そして1921年、オスロ市が彼の構想に必要な敷地と材料を提供し、この公園が完成し
たとのことだ。
園内の彫刻はすべて人間と人生をモチーフにしたもの。中央に建つ『モノリッテン(Monolitten人
間の塔)』は13年の歳月をかけて造られた大作で、121人の老若男女が絡み合って塔を形成してい
る。 *


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Karl Johans Gate
最後はショップやレストラン、観光スポットも集まり、街一番の賑わいの町、カール・ヨハン通
りへ。
オスロの中央駅から、王宮へと続くカール・ヨハンス・ガーテ通り(Karl Johans Gate)が、街の
メインストリート。このあたりはオスロの街の中心となるエリア。
通りの両側にはレストランやブティックが並び、賑わいを見せています。広場や公園もあり、散
策にも最適です。
19世紀には日曜の14:00にこの通りを歩くのが、オスロの紳士淑女の習慣となっていたという。
また、グランド・ホテル1階にあるグランド・カフェ(Grand Cafe)は19世紀末にムンクやイプセ
ンら芸術家が集った場所とのことです。
*

ここで4日間お世話になったバスの運転手氏とお別れになる。年輩のダンディで、愛想の良い方
だった。
乗船にはパスポートを提示して船内へ入る。船はパール・オブ・スカンジナビア号。
船内のチェックイン・カウンターでTDが受付処理をして、船内の案内や今日の夕食のスヶジュ
ールなどを説明した後、各人の客室の鍵を渡される。
我々は9階の602号室の海側の部屋。部屋は狭いがシングルベット2つ、洗面所にシャワー室があ
る。
*

動いているではないか。
慌てて11階のデッキへ出てみると、オスロの市街は既に後方になってしまっている。
出航の銅鑼の音も、汽笛も気が付かなかったのは残念だ。
船首へ行ってみると、ここは超満員の乗船客で入り込む隙間もないほどだ。
オスロ・フィヨルドの素晴らしい景色が後へ後へと流れて行く。
船尾へ回って去りゆくオスロの街を眺めることにする。それにしても短いオスロの市内観光だった
*

1989年に建造後、スカンジナビアの海を渡り続け
ている巨大で近代的な客船とのことです。
近年大幅なリニューアルを行い、最新の設備を整えたという。
定員は2168人で、レストランやショップ、バーなどさまざまな施設があります。
【技術仕様】
長さ:178.4m、幅:33.8m
総トン数:40,039トン
航海速度:22キロノット、車両積載能力:350台
旅客定員:2168人、電力設備:AC220V
エンジン:35,000馬力、船級: ノルウェー船級協会認証、建造/改装:1989年/2001年
船内施設 : 各種レストラン、カフェ、パブ、バー、ナイトクラブ、プール、スパ、サウナ、映画館、会議室など
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期待していた海鳥はほとんど見られない。
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間だ。
今晩はワンドリンクが付くとのことで、白ワイン
を注文する。
料理はバイキング・スタイル。
小生は魚料理を中心に選ぶ。もうザリガニは当た
り前になった。鮭、鱈、鰊、鯵、蟹、海老、そし
てムール貝などなど、一品一個づつ採っても量が
多過ぎるほどだ。
*



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夕食後は船内を散歩。ゲームコーナーでは子供づ
れの親子で満員の状態。
バーや喫茶のコーナーも大声で話す人たちで満席
のようだ。
我々は免税店でショッピングの後、部屋へ戻る。
外は相変わらず波静か、船は暗い海上を揺れることなく進んで行く。
*
9.30. リレハンメル(バス)→ 10,.35.S.A. 10.55. → 11.50. 昼食(中華料理店)12.40. → 12.55. エケベルグの丘 13.15. → 13.30. 国立美術館
14.20. → 14.30. ブログネル公園 15.25. → 15.30.カールヨハン通り 15.40. → 15.50. オスロ港 (パール・オブ・スカンジナビア号)16.45. →