平成30年5月12日(土)晴
午後からは『サンクトペテルブルグ』へ行くため、『モスクワ ドモジェドボ国際空港』へ向かいました。
空港へ向かう途中に見た市内電車と、空港前の画像です。
15時55分 モスクワ発 S7049便
フライトはシベリア航空で、1時間半ほどで『サンクトペテルブルク・プルコヴォ空港』に着きましたが、途中サンドイ
ッチが配られました。
17時30分 サンクトペテルブルグ着
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プルコヴォ空港 Аэропорт Пулково
サンクトペテルブルグ市内にある国際空港。サンクトペテルブルク中央部より南に17kmの位置にある。
1932年に完成、開業。第二次大戦中にはナチス・ドイツ軍とのレニングラード包囲戦の最前線になり、1941年から
1944年の間には飛行は行われなかった。1944年1月にはドイツ軍は掃討され、1945年より貨物輸送便の飛行を開始し
た。
戦災の修復完成後1948年より旅客運航を開始、1949年にはソビエト連邦内15都市及び北西ロシア15地方都市への定期
便が就航した。
さらに、1950年代には滑走路の拡張、空港ターミナル設備の改装拡充を実施した。1973年にプルコヴォ空港と改称した
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空港からホテルへ向かう道路も車が多く、その途中の『ハウス オブ ソビエト』の建物前にある『モスクワ広場』に
『レーニン像』がありました。
ロシア国内にはまだレーニン像が残っているとのことでした。
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バスは空港から50分ほどで『グランドホテル エメラルド』に到着しました。
夕食はホテルのレストランでいただきました。メニューは次のとおりです。
「ビーツとニシンのサラダ」「パンケーキ ペトロフスキー」
「マッシュルームとクリームチキン添え」「バニラクリームのプロフィットロール(シュークリーム)」
今晩から5日間このホテルに滞在し、ゆっくりとサンクトペテルブルグを観光することになりました。
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グランド・エメラルド Grand Hotel Emerald
ネフスキー大通りの北東、スヴォロフスキー通り沿いに位置するグランドホテルエメラルド。
ホテル外観は現代的なイメージですが、ホテル内に入ると5つ星ホテルの重厚感がある内装で、ゆったりとしたラウンジ
もありリラックスできます。
建物の中心が吹き抜けのパティオ(中庭)になっていて、ガラス天井から入ってくる光が気持ち良いです。
お部屋は暖色系の落ち着いた雰囲気で、広さも十分。ミネラルウォーターの用意もあります。
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9.00. ホテル発 (バス)→ 9.10.革命広場 … マネージナヤ広場 … ヴォスクレセンスキー門 … 国立歴史博物館 …
カザン大聖堂 … 赤の広場 … レーニン廟 … 10.00. 衛兵交代式 … グム百貨店 … 11.00. 聖ワシリー寺院 … 駐車場
(バス)→ 12.10.レストラン・ステージ(昼食)13.10. → 14.40.ドモジェド国際空港 15.55.(S7-049便)→ 17.30.
ブルーコボ空港 18.10.(バス)→ 19.00.グランドホテル エメラルド着
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サンクトペテルブルク Санкт-Петербург 面積 : 1431㎢、人口 : 5,028千人
バルト海東部のフィンランド湾最東端に面するネヴァ川河口デルタに位置するロシア西部の都市、レニングラード州の州
都。
ロシアの近代化を目指したピョートル大帝が、サンクトペテルブルグの建設を開始したのは1703年のこと。
1712年に遷都して以来、1918年まで200年余にわたってロシア帝国の首都となる。
1825年にはデカプリストの乱が起き、1917年の二月革命で300年以上続いたロマノフ王朝が終焉。
十月革命で社会主義政権が誕生し、翌年首都はモスクワへと移った。
都市建設ののち、第一次世界大戦まで(1703年 - 1914年)はペテルブルク Петербург、第一次世界大戦開戦以降
(1914 - 24年)はペトログラード Петроград、ソビエト連邦時代(1924 - 91年)はレニングラード Ленинградと呼ばれ
た。 【wikipedia】
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