悠翠徒然

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『視聴熱』

2017-02-12 12:25:25 | Weblog
そんな言葉があるそうです。

視聴率に変わる指標として、『ザ テレビジョン』が提唱実践している方法だそうで、TwitterやfacebookなどのSNSなどで話題になっている量や質を基準に、『熱量』としてカウントするのだそうです。

面白いですね〜

少年漫画雑誌は読者アンケートによって、編集者と漫画家が相談して方向性を変えたりするそうです。

面白い方向に進めば良いのですが、単行本になって改めて読み直すと、
『あれ?』
となる作品もあったりします。

最終話が尻切れとんぼっぽいときは、きっと編集者の意見を聞かなかったんだろうなと、余計な想像してしまったり(笑)

一時代を築いたアメリカドラマ『24』は、読者の予想を裏切る為にSNSや投稿を参考にして、翌週の脚本を毎週変えて行ったそうです。

現場は大混乱ですよね!(笑)

連続テレビドラマだからできることなのかもしれませんが、これも双刃の刃。

後から見直すと、やりすぎ感満載(笑)

視聴率の呪縛どころか、視聴率の奴隷です(爆!)

でも、そのバランスってとっても難しそうですよね〜

ま、それはどの世界でも一緒です。

精神的支柱となるべきものがなければ、
『世渡り上手』
と言われるだけですからね。

『機を見るに敏』とはかなり違いますね(笑)


『視聴熱』がテレビ業界の活性化につながることを期待しています!

勝手にね〜(笑)












『梅』

2017-02-12 09:21:12 | Weblog


まず木偏の三画目について述べます。

二画目の縦画に載せるように書かないと、三画目だけが浮いてしまうので注意してください。

線の上にかぶせることを潔しとしない気持ちはなんとなくわかりますが、修正する為になぞっているわけではないのでどんどん載せてください(笑)

木偏の縦画が長くなると、『梅』全体が大きくなってしまうので注意しましょう。

苦戦しているのはやはり『毎』の部分だと思います。

木偏を外して『毎』だけで中心が取れるように書いてみましょう。

『毎』の下は『母』です。

『母』の元は『女』という字からできています。

故に『くノ一』の『く』の部分は反って書くことになります。
そして『母』の二画目は『くノ一』の『ノ』部分ですから、一画目ほど反らせる必要はないのです。

『母』の縦部分を斜め平行に書いてしまうと、潰れかかった箱のようになってしまうので注意しましょう。

この『梅』も横画の角度を合わせ、文字に規則性与えることを忘れないようにしてくださいね。

次回は『著』について、ざっくりと解説します。


『寒』

2017-02-12 08:58:10 | Weblog


競書漢字課題五文字の一文字目『寒』について、簡単に述べます。

画数も多く、終盤にふくよかな右払いもありますから、たっぷりと墨をつけて書き始めることが肝要です。

一画目の点は右上方より円を描いて入筆するのですが、その円を意識しないで書き始めると点が立ち気味になってしまうので注意してください。

またその一画目が『寒』の中心になりますから、左右対象を多少は意識しながら書くと良いでしょう。

右肩上がりの角度を揃えることは漢字に規則性を与えますが、横画の張りと線質の潔さは躍動感を与えてくれます。

特に一番長い横画は起筆前の『空間の筆意』の一部である、空走する部分を意識して書かねば、墨の部分だけのエネルギーだけで表すだけになってしまうので注意が必要です。

つまり書き手の呼吸や息遣いが、黒い墨の部分だけでしか表現されないということです。

それではいけません。

改めてこの『寒』をご覧ください。

起筆から終筆まで、一連の筆の動きがよくわかるはずです。

そう、大切なのは『一連である』ということなのです。

それは書き手の呼吸、息遣いへと繋がり、さらには文字そのものの中へと入り込んで行くことになります。

和翠塾のお手本は全て『空間の筆意』を意識したものです。

お稽古に生かしていきましょうね。





競書

2017-02-12 08:02:07 | Weblog
漢字課題順調にお稽古進んでいらっしゃいます?



王維の詩の一節です。


君自故郷来
応知故郷事
来日綺窗前
寒梅著花未

君故郷より来たる
まさに故郷の事を知るべし
来日きそうの前
寒梅花をつけしや未だしや

あなたは(わたしの)故郷からやって来られました
きっと故郷の様子をよくご存知でしょう
あなたの出発の日、あの美しい飾りの窓の前にある
寒梅はもう花をつけていたでしょうか、それともまだだったでしょうか

全体の意味を知ると、気分も深まりますね。

王維は盛唐の高級官僚であり、詩人でした。

同時代には、李白と杜甫がいます。

李白と杜甫の詩は中学高校で習ったような記憶がありますが、王維の記憶が薄いのは、私が勉強を怠けていたからでしょうね(苦笑)

李白は『詩仙』杜甫は『詩聖』と呼ばれ、仏教に傾倒し自然の美を詠う自然詩をつくり始めた王維は『詩仏』と称されたようです。

確かにこの五言絶句も、読み手の記憶にある故郷の景色を思い起こさせてくれます。

私はずうっと故郷に住んでいるので、この詩を読んでも望郷の念というものは抱きませんでしたが、それでも子供の頃に遊んだ近所の景色を思い出させてくれました。

駅前の踏切は高架になり、茶色だった電車は緑に、そしていつしかシルバーにかわっていきました。
秘密基地を作った空き地や雑木林には、空を遮る背の高い建物やマンションが建ち、子供の頃の記憶を呼び起こすものはもうほとんどありません。

変わらないのは神社とお寺だけです、、、

それでも、この詩を読めばそんな記憶を思い起こすことができるのです。

王維の作ったこの詩には、時空を超えて人の故郷を思う感情に訴えかける力がありますね。

それが自然詩の力なのかもしれませんね。