悠翠徒然

画像中心

小筆は消耗品

2017-08-30 19:34:56 | Weblog
命毛がなくなったり、その周りを囲む毛が少なくなったら買い替えどきです。

でも、使い終わった後の手入れ次第では、かなり長く使えますから、それぞれの遣い手に依る、と言うところでしょうね。

物は大切に使いましょう。




やはり一瞬で決まりました

2017-08-30 19:30:41 | Weblog
条件があまりにも合わず、30年以上の付き合いもとうとうおしまいになってしまいました。

でも、ビジネスですからチャンスはいずれまたやってくるものです。

三年後には必ずチャンスが巡ってくる。

そういうものです。

焦らず、腐らず、辛抱強くじっと待っていれば、浮かび上がるチャンスかくるものなのですから。

その時まで、元気でね〜

スイスのイベントで販売する作品が

2017-08-30 19:18:52 | Weblog
仕上がってきました。

今回は13作品作りました。

もう納品してしまったのでお見せできませんが、中々面白い仕上がりになりました。

スイスのイベントに集まるヨーロッパ中の人たちに、喜んでもらえると嬉しいですね。

全部売れてほしいものです。


個人的に売り物ではなく、コレクションしようと思って表具してもらったものも、中々の出来栄え(まさに自画自賛ですね!)

ついでに、0815に全紙に書いた作品の表具もお願いしました。

部屋がどんどん狭くなっていく、、、



本日は八月最終お稽古日

2017-08-30 16:46:01 | Weblog
明日木曜日の闇営業はありませんので、お間違いのないようにお願いします。


明後日は、早いものでもう九月!

競書が始まります。

昇級目指して頑張りましょう!

本日もお待ちしています。


和机に新しい敷物をご用意いたしました。




『たばこ休憩』

2017-08-30 07:09:16 | Weblog
「たばこ休憩が勤務時間に含まれるのはおかしい」

そんな不満が、たばこを吸わない一部の人にあるそうです。

そんな不満のの解決策として、たばこを吸わない人に、年間最大6日の有給休暇を与える制度を設ける会社があらわれたそうです。

有給休暇が増えることは良いことでしょうが、その査定が妥当なのかどうか、、、

喫煙所がシースルーなケースが多く、喫煙している人たちの無生産状態の表情や態度が、そんな不満を募らせている原因なのかもしれません。

会議の途中で
『ちょっとたばこ吸ってきます』
と言って10分15分中座するスタッフに、悪気は無いのでしょうが、待たされる側としては、大きなフラストレーションてむす。

喫煙者はそれも生理現象と同じように感じているようですが、非喫煙者にとってはそうは感じません。

プライベートな件で電話する中座と何ら変わりはないのです。

かと言って、それを無生産だと決めつけて、非喫煙者にその分を有給休暇として分け与えるのはどうなのかなぁ〜

その有給休暇、使いづらいだろうなぁ〜

有給休暇申請時に色ついてなければ関係ないのかなぁ〜

『非喫煙有給休暇を申請します』
なんて言わされたり、書かされたりしたら取りづらいですよね(笑)

ニコチンが入っていてもいなくても、煙が水蒸気であっても、喫煙者として見なされるのでしょうか?

喫煙する姿が対象なのか、喫煙所にいる状態が対象なのか、つまようじ加えながらぼーっとしていたら有給休暇もらえないのか(笑)

ま、様子見でしょうね〜




スタジオは

2017-08-30 07:01:54 | Weblog
堅牢な造りなので、Jアラートが鳴り響いたら逃げ込むのによい施設かもしれませんね。

もちろん地下の施設がベストでしょう。

でも、停電になったら地下は怖いですね。

地下鉄の施設なら、電源確保できていそうですから大丈夫かもしれませんね。

もちろん、万が一の話しです。


一瞬で決まるものではないけれど

2017-08-30 06:37:40 | Weblog
事情を知らねば、一瞬で決まったかのように見えるものです。

今日決断しなければならない事は、とても大きな事です。

30年以上の長きに渡って、そこそこ大きな取引のあった会社に、条件次第では決別する意思を伝える日なのです。

条件が他社より悪くても、営業担当者の努力の積み重ねによって、信頼関係が損なわれることはありませんでしたし、私も微力ながら契約更新に努力してきたつもりです。

しかしその信頼関係は、約一年の歳月をかけて、ゆっくりと確実に崩壊し続けてきたのです。

色々とにおわせたり発信したりしてきたのですが、時代の変化に弊社が変化せざるを得なかった現実を、きっと気付けなかったのでしょうね。

残念です。

そしてとうとう今日、完全に崩壊する日がやってきたのです。

崩壊は音も立てずに、ゆっくりと跡形もなく無くなるものです、、、。

できる事なら、そうあってほしくはありませんが、、、


優秀な営業マンなら、このチャンネルを見逃すはずはないでしょうが、まず期待薄でしょう。

それでも発信しておきます。

これが、ラストチャンスですよ。

打ち合わせのリスケは問題無いです。

遠慮なく連絡くださいね。

時間はまだ少しだけありますから。














ニュースの信頼性

2017-08-30 05:59:16 | Weblog
個人的にはかなり低いと思うのですが、世論はそこまで低くはないらしいです。

テレビ、新聞の記事は7割近くの国民が信頼性を抱いていると言うのです。

ネットニュースほど低くはありませんが、私は三割程度かな、、、

なぜそんなに低く感じてしまうのでしょうか。

それは新聞なら発行部数、テレビなら視聴率の奴隷になっているからです。

数字が稼げるなら、多少色をつけたって、面白くすればいいや的な発想が、ほとんどのニュース番組や報道番組にみられます。

カメラアングルやナレーション、効果音や選曲などによって、同じソースであっても、その印象を大きく変えることができるのです。

新聞なら社説以外のニュースは、事実になるべく忠実であろうとしていた時代もあったように記憶していますが、どのニュースも誰かの主観が相当入るようになってきているように感じます。

東スポまで吹っ切れていればまだしも、発行部数が増えれば、戦争にも加担してきた戦前から続く新聞社の姿勢と、そのDNAが息づくテレビ業界のニュースに、高い信頼性を感じるほど、お馬鹿でいるわけにはいきません。

それでも、それを浄化しようとする人たちがいることを忘れてはいけませんね。

自動的な自浄作用を盲目的に期待しているわけではありませんが、中側から変えていこうとする人たちの存在や行動を評価していくことも、新聞購読者やテレビ視聴者には必要だと思うのです。

新聞もテレビも、読む側と見る側が育てていかないといけないと思うのです。

極端な事を言えば、新聞とテレビは時代を反映しているわけであって、それはその時代の人たちが求めている物をわかりやすく表現しているとも言えるのです。

先の大戦だって、新聞は軍と組んで国民を煽り立てましたが、戦争を求めていた国民が沢山いたのも事実だと思います。

それは関東大震災から綿々と続いてきた不況と、世界的な帝国主義の植民地政策に乗り遅れまいとする国策が招いた必然だったのかもしれません。

とても不幸な事です。

反対意見は全て押しつぶされ、一石を投じることもできない時代よりは、少しマシな時代に生きている事はありがたいことです。

今時はTwitterやblogなどのエゴサーチの結果に大きく影響される企業も多く、放送局や新聞社も例外ではないでしょう。

そこでひとつひとつは小さな声でも、上げていけば大きな力になる事を信じてアップしていくことが大切だと思うのです。

『カントリージェントルマンたちよ、いざ鎌倉へ』

そんな覚悟を持った大人に、自然と育まれる国にしたいものです。