カオスでしょ(^○^)
すってから数日間置いた朱墨が、いい色出してます。
高級な梅干しみたいな色、、、。
例えがイマイチか(笑)
自分の中にあるブラックな部分を急に吐き出したくなり(そんな時ってありますよね?)、千字文冒頭の八文字を紙にぶつけてみたのです。
ぶつけたと言っても、一文字一文字は必要以上に冷静に、あるいは平静を装ってと言い換えても良いぐらいの状態にして、ほぼ一分ぐらいで出し切りました。
書いてすぐ撮影したので、生々しい、、、。
人がお互いに尊重し合うのは、
『おねがいですから、こういうところをさらけ出さないでくださいね』
そんなルールを守り合う為です。
でも、昨今のニュースの多くはそんなルールが通用しない連中のむき出しの欲望をさらけ出した事件ばかり、、、。
うんざりです。
うんざりだけれども、思い知らされるのです。
自分の中にもブラックな部分がある事を、、、。
そしてそれが溢れ出る前に、きちんと整理して、誰にも迷惑かけない形で外に出す作業も必要なのです。
それが私の場合、ドラムプレイであり、書なのです。
ドラムプレイはバンドでするので、ルールをひとり逸脱して勝手気ままに叩くことはできません。
しかし、書はいくつもの自分と向き合う作業なので、尊重し合うルールを破るのも自由なのです。
傷つけても、傷つけられたとしても、それは自分なのですから、そこは自己責任。
でも、鑑賞者の事を意識していないので、これでは作品になりません。
作品はもう少し、わかりやすくしないといけません。
大衆の感覚と離れすぎてしまってはいけないのです。
そこで鑑賞者を意識して書いたのがこちら。
生々しさはだいぶ消えましたよね。
その分、楷書で何か書いてあることが何となくわかる。
『何だろう?』
そう思わせて、作品に鑑賞者を近寄らせたら制作側としては勝ちです(笑)
この作品にはダリ風の題名もつけてみました。
『空中に浮遊する森羅万象』
題名を読めば『森羅万象』と書いてあるんだな、と言うことがわかる。
そして、はみ出ている楷書のパーツから、それぞれの文字を想像してみる。
そうするとそれぞれの文字がなんとなく見えてくる。
『なーんだ』って事になる。
そしてもう一度、離れたところから鑑賞してみる。
そうすると、浮かんでいるイメージ作りの為に空いているだけだと思っていた、文字下の空間が意味を持ち始めてくる。
鑑賞者はそこに、文字を書きたくなってくる。
もうこらえきれない静かな衝動。
ついには自分で四文字熟語を探し出し、そこに書き重ねてしまう、、、、。
鑑賞者を創作者にすること。
これがこの作品の狙いなのです。
新しいのか古いのかわからない感じですが、自分の欲する要求に正直に従って書いたことはまぎれもない事実なのです。
そこがあればOK。
そう思うのです。