年が明けたので、掛け替えてみました。
神郡晩秋の書です。
明治天皇の作った歌を書いたらしく、なんとなく、どしっとした風格を感じます。
神郡晩秋は小野鵞堂門下で、中村春堂、高塚竹堂と並び称されている方です。
大正13年に温知会を作り、そのホームページによると、現在では北海道から九州まで、数多くの支部があるようです。
跡見学園の非常勤講師を務めていたようで、『跡見流』の後継発展にも寄与していたようです。
跡見流は跡見学園の創始者である跡見花蹊が、頼山陽門下に入って学んだ漢字書体と、女流歌人であった尼僧『太田垣蓮月』のかな書体を織り交ぜたものと言われています。
明治期に日本女性の教育を真剣に考え、私塾でそれを実践してきた力強さとエネルギー溢れる書体が特徴的です。
私も十年ほど前、跡見花蹊展覧会を見た記憶がありますが、とてもしっかりとした書体で、高橋鵞翠に通じる力強さを感じました。
跡見花蹊は明治維新に、高橋鵞翠は太平洋戦争に、それぞれ大きな影響を受けた多くの日本女性の心の平安と、未来への希望をつなぐために、筆を執ったのではないでしょうか。
平成も終わりを告げようとしている現在、眼前に敵は見当たりません。
でも敵は背後にひたひたと忍び寄っているのです。
敵は、分かりやすい、国家や人の形をしていません。
だからわかりにくい。
為政者は敵を作り出して国民の矛先を自分達に向かないようにしたい。
そしてそれに大なり小なり、マスコミは乗っかってしまう。
作られたり、誇張された情報こそ、我々の敵なのです。
『これを買わないと時代遅れ、ダサいです』
『今これを飲まないと取り返しのつかないことになりますよ』
『お布施をすればどんな病も治ります』
『あいつはこんな悪いことをしたのだから、みんなで罰を与えよう』
『あいつらは日本の悪口を言っている。だったらみんなで悪口を言い返してやろう』
人間の心理を巧みに刺激して、真実を隠したり、歪曲化したりして、自分たちの都合よく我々を誘導したり扇動したりするのです。
ネット上の匿名性をいいことに、言いたい放題の無責任な意見に、右往左往させられる善良な市民がたくさんいます。
ところが、その無責任な意見の発信者も善良な市民だったりするのです。
テクノロジーの進化にモラルが追いついていないのでしょうね。
書の心で臨めば、無責任な情報にも、なんとか右往左往しないですみそうな気がするのですが、、、
私の考える書の心とは、儒教であり老荘思想であり、禅の教えであります。
書の心を持って、万事にあたりたいと思います。
今年もなんとか平安な日々を過ごしていきたいものですね。