と言っても一週間に3、4日ですが、ちょこちょこドラム叩いてます。
腕と脚だけでなく、背中も充実してきました。
なんだか歩く時胸張ってる(^○^)
結果を楽しみに頑張るのは私には向いてないのですが、経過を楽しめる事は頑張らなくても良いので継続できるようです。
頑張る事が無理なのかもしれません、、、
今、気付いたの?
ダメじゃん!
そう、ダメなんです、私。
楽しめる事に出会えたからよかった様なものの、出会えなかったらと思うとゾッとします。
ドラム演奏と書道の他に夢中になれた事は、
写真、8ミリ撮影と編集、物書き、映画鑑賞、音楽鑑賞とオーディオ、車とバイクに乗る事、そんなところかな。
多いような、そうでもない様な。
自分では分かりません。
でもそれらを仕事にしていたら、継続はできた様に思います。
それならなぜそれを選ばなかったの?
それは一流にはなれない事を悟っていたからでしょうね。
のめり込んで、ライバルの多さに気づき、到底頭角表すことができない世界で食べていくことの難しさを知ったからでしょう。
打算と言うか、現実的と言うか、、。
若者としては潔くないですね(苦笑)
でも、好き以外にそんなに才能がなかったドラム演奏の道で食べていこうとしたのでしょうか?
打算さえ起きない派手な魅力があったんでしょう。
そこが私の書道に対する魅力とは大きく違うところです。
書道に対して打算はまったくありませんでした。
単に墨の香りに包まれた緊張感ある教場で書くことが好きだったですし、そこに集まるある種のグループに属する人たちの佇まいが好きでした。
それは今でも変わりません。
自分に無いものを持っている人達に憧れを抱いているのかもしれません。
自分に無いものって何?
それは集中力の持続性でしょう。
私にあるのは瞬発力ある集中力。
不得意を克服する事をせず、得意を伸ばしてきた結果の今現在、その作戦は成功だったのか、そうでなかったのかは、私にも分からないのです。
ただ一つ言えることは、多くの失敗を経験しても後悔を感じ無いことのありがたさを噛み締めている事です。
反省はしても後悔はしない。
それはきっと、やりたいと思った事は必ずやってみた結果がダメであっても、結果には反省し、やった事には後悔しない程度の事しかやってこなかった、身の丈をわきまえた小心者の、カッコつけた言い訳なのかもしれません。
まだ勝負していないのかも、、、。
そう思う時、武者ぶるいと、底知れない恐怖に震える事があるのです。
それでも、深淵に立って底を覗きたいと言う気持ちが無くならない限り、私が存在できる理由があるのかもしれませんね。
怖っ!