そう問われたらどう返答しますか?
哲学は森羅万象を捉えた様々な教養を身につけて行く過程で湧き上がるように形成される、人が生きる上で役にたつ考え方とした場合、それが無ければ現在の社会的活動は無意味。
そうは感じていないゆえに、私の中には未熟であり形成過程かもしれないけれど哲学の様なものは存在するだろう、、、。
そう答えるでしょう。
かたいね(⌒▽⌒)
私が考える必要な知識とは、マンボウが一回に生む卵の数を知っている事ではなく、何故マンボウは多くの卵を産むのかを知ろうとする中で生まれる疑問の連鎖で得られる知識です。
それが積み重なって教養となり、教養は私の中で独自の方法で分類され保管されています。
便宜上分類するのは私にとって見つけやすいからであって、ひとりひとり違う知識の分類法が有るはずです。
先ほどのマンボウの卵と知識、教養、哲学を結びつけた流れは私のオリジナルな分類法故です。
ゴッホでもピカソでも王羲之でも空海さんでもなく、何故かマンボウが出てきてくっついちゃったんだな(^∇^)
論理的な感じで言ってはいますが、これが正解では無いことも私は知っています。
これは私の哲学から瞬時に導き出された回答です。
ここまで来るとどうでも良くなってくるのが私の限界点です。
広く浅く、たまに好きなことに出会った時には、ちょっと深く、さらに深く行くことも。
それが私の性格だし、それに従う様にしています。
行きつくところ、一番興味深いのは人間そのものです。
私はそれを、書道と音楽と組織運営から知ろうとしているのでしょうね。
だんだん面白くなってきましたよ〰